小学校の卒業式に招かれて出席してきました。
73名の卒業生・・・・
久しぶりに『旅立ちの日に』を聞きました。
改めて、いい歌だなあ・・と思いました。
『旅立ちの日に』 作詞 小嶋登 作曲 坂本浩美
白い光の中に 山並みは萌えて
はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあの時
心通った嬉しさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強くだいて
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に
今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に
10年近く前、この歌ができたいきさつを
ニュースステーションが特集を組んでやったことがありました。
とっても興味深くて、CDまで買ってしまった、という記憶があります。
(Wikipediaから)
『旅立ちの日に』(たびだちのひに)は、
1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲。
作詞は、当時の校長であった小嶋登。
作曲は、音楽教諭の坂本浩美(現・高橋浩美)。
編曲は、多くの合唱曲を手掛けている松井孝夫(影森中学と直接的な関係はない)。
近年では、卒業ソングの定番として認知され、
原曲の変ロ長調の他にハ長調など、たくさんの調で歌われている。
また、混声三部版、混声四部版、女声三部版、同声二部版と複数のバージョンが存在している。
影森中学校校長だった小嶋は、
荒れていた学校を矯正するために「歌声の響く学校」にすることを目指し、
合唱の機会を増やした。
最初こそ生徒は抵抗したが、
音楽科教諭の坂本と共に粘り強く努力を続けた結果、
歌う楽しさによって学校は明るくなった。
「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、
坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、
「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、
世界にひとつしかないものを残したい」との思いから、作詞を小嶋に依頼した。
その時は「私にはそんなセンスはないから」と断られたというが、
翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置いてあったという。
その詞を見た坂本は、なんて素敵な言葉が散りばめられているんだ
と感激したと、ラジオ番組への手紙で当時を振り返り語っている。
その後授業の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり楽曲制作に取り組むと、
旋律が湧き出るように思い浮かび、
実際の楽曲制作に要した時間は15分程度だったという。
出来上がった曲は最初はたった一度きり、
「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うための
サプライズ曲のはずであったが、
その翌年からは生徒たちが歌うようになった。
ちなみに初めて披露した年度をもって、
校長の小嶋は41年に及ぶ教師生活を定年退職したため、
小嶋が披露したのはこれが最初で最後となった。
その後しばらくは影森中学校だけの合唱曲であったが、
まわりの小中学校でも使われだしたことで、
1998年頃までに全国の学校で歌われるようになった。
現在では『仰げば尊し』や『巣立ちの歌』、『贈る言葉』などに代わり、
小中高の卒業式において全国で最も広く歌われている卒業式の歌となっている。
その当時はもう、子どもたちは高校、大学生で
この『旅立ちの日に』を、自分の子どもの卒業式に聞くことはできませんでした。
今日、久しぶりにこの歌を聞き、
当時の校長先生や坂本先生の思いと重なり
胸が熱くなる、卒業式となりました。
73名の卒業生・・・・
久しぶりに『旅立ちの日に』を聞きました。
改めて、いい歌だなあ・・と思いました。
『旅立ちの日に』 作詞 小嶋登 作曲 坂本浩美
白い光の中に 山並みは萌えて
はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあの時
心通った嬉しさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強くだいて
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して
今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に
今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に
10年近く前、この歌ができたいきさつを
ニュースステーションが特集を組んでやったことがありました。
とっても興味深くて、CDまで買ってしまった、という記憶があります。
(Wikipediaから)
『旅立ちの日に』(たびだちのひに)は、
1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲。
作詞は、当時の校長であった小嶋登。
作曲は、音楽教諭の坂本浩美(現・高橋浩美)。
編曲は、多くの合唱曲を手掛けている松井孝夫(影森中学と直接的な関係はない)。
近年では、卒業ソングの定番として認知され、
原曲の変ロ長調の他にハ長調など、たくさんの調で歌われている。
また、混声三部版、混声四部版、女声三部版、同声二部版と複数のバージョンが存在している。
影森中学校校長だった小嶋は、
荒れていた学校を矯正するために「歌声の響く学校」にすることを目指し、
合唱の機会を増やした。
最初こそ生徒は抵抗したが、
音楽科教諭の坂本と共に粘り強く努力を続けた結果、
歌う楽しさによって学校は明るくなった。
「歌声の響く学校」を目指して3年目の1991年2月下旬、
坂本は「歌声の響く学校」の集大成として、
「卒業する生徒たちのために、何か記念になる、
世界にひとつしかないものを残したい」との思いから、作詞を小嶋に依頼した。
その時は「私にはそんなセンスはないから」と断られたというが、
翌日、坂本のデスクに書き上げられた詞が置いてあったという。
その詞を見た坂本は、なんて素敵な言葉が散りばめられているんだ
と感激したと、ラジオ番組への手紙で当時を振り返り語っている。
その後授業の空き時間に早速ひとり音楽室にこもり楽曲制作に取り組むと、
旋律が湧き出るように思い浮かび、
実際の楽曲制作に要した時間は15分程度だったという。
出来上がった曲は最初はたった一度きり、
「3年生を送る会」で教職員たちから卒業生に向けて歌うための
サプライズ曲のはずであったが、
その翌年からは生徒たちが歌うようになった。
ちなみに初めて披露した年度をもって、
校長の小嶋は41年に及ぶ教師生活を定年退職したため、
小嶋が披露したのはこれが最初で最後となった。
その後しばらくは影森中学校だけの合唱曲であったが、
まわりの小中学校でも使われだしたことで、
1998年頃までに全国の学校で歌われるようになった。
現在では『仰げば尊し』や『巣立ちの歌』、『贈る言葉』などに代わり、
小中高の卒業式において全国で最も広く歌われている卒業式の歌となっている。
その当時はもう、子どもたちは高校、大学生で
この『旅立ちの日に』を、自分の子どもの卒業式に聞くことはできませんでした。
今日、久しぶりにこの歌を聞き、
当時の校長先生や坂本先生の思いと重なり
胸が熱くなる、卒業式となりました。