「昭和」から「平成」に変わったときは、
それほど感じなかった「元号」。
年を取ったせいか、
今、元号の変わり目にあたり、ニュースも見ながら
「なかなかいいじゃん、日本!」
と思ったりしています。
菩提寺の先代住職は、
住職でありながら(と言ういい方は、まずいかな?)
「元号」に対してことのほか、抵抗感を持っていたようです。
それは、「天皇制」に対する、住職個人の感情でもあったように思います。
亡くなられた方の位牌に、
亡くなった年を西暦で書いている、
という話を聞いたとき、
父はやや苦々しい顔つきでおりました。
父の位牌には、
普通なら「平成二十一年」と書くところ、
「二千九年」とかかれていますが、
このことを亡くなった父はどう思っているでしょうか?
時代が、「平成」から「令和」になりました。
出典は万葉集からという話ですが
いづれにしても、その万葉集の引用も、
中国の文献から、という説もあるという話も聞きました。
古式ゆかしい退位の礼や
皇位継承の諸行事を見ていると
日本の文化は昔から、
中国や朝鮮半島からの影響を受けているのだなあ、と改めて思う、
改元の朝でありました。
それほど感じなかった「元号」。
年を取ったせいか、
今、元号の変わり目にあたり、ニュースも見ながら
「なかなかいいじゃん、日本!」
と思ったりしています。
菩提寺の先代住職は、
住職でありながら(と言ういい方は、まずいかな?)
「元号」に対してことのほか、抵抗感を持っていたようです。
それは、「天皇制」に対する、住職個人の感情でもあったように思います。
亡くなられた方の位牌に、
亡くなった年を西暦で書いている、
という話を聞いたとき、
父はやや苦々しい顔つきでおりました。
父の位牌には、
普通なら「平成二十一年」と書くところ、
「二千九年」とかかれていますが、
このことを亡くなった父はどう思っているでしょうか?
時代が、「平成」から「令和」になりました。
出典は万葉集からという話ですが
いづれにしても、その万葉集の引用も、
中国の文献から、という説もあるという話も聞きました。
古式ゆかしい退位の礼や
皇位継承の諸行事を見ていると
日本の文化は昔から、
中国や朝鮮半島からの影響を受けているのだなあ、と改めて思う、
改元の朝でありました。