神戸市に依頼してあった母の戸籍は、
1週間ほどして届いた。
こちらの戸籍謄本に比べると、
まあ、文字に癖があり、読み解くのがとても困難だった。
狭い行に、太いペン先で書かれているため、
それもまた、読みにくくさせている。
それでも、なんとか読んでいく。
母の父となる人の項目には、
母の母となる人との入籍日から死亡の日までが書かれていた。
それから計算すると、
母の父となる人は、母の母となる人と結婚してから
わずか5年もたたないうちに亡くなっていることになる。
その間に4人もの子供を産んで、
4人目の子どもは、父親の死後生まれていることから、
あの時代、
とてもとても、女手一つで4人の子どもは育てられなくて、
母が養女に出された、
ということなのだろう。
母の母は、母の養母の妹、ということも判明。
(おばさんのところに養女に来たんだね。)
母の母が、どういう事情で遠く関西まで行って
家庭を持つことになったのかは分からないが、
空想を膨らませれば、
面白い小説が書けるかもしれない(笑)
それに伴い、こちらに来てからの母の戸籍を改めてみると
こちらの戸籍もまた面白い。
私のじいちゃん・ばあちゃん(養父母)の、
特に養父の家系が興味深い。
じいちゃんの親たちのその親たちの生年月日までが記録されていて
じいちゃんのじいちゃんは、天保13年11月10日生まれ、
じいちゃんのばあちゃんは、嘉永元年6月10日生まれ。
そのまた、親たちの名前は分かるけど、
生年月日までは書かれていない。
面白いのは、「隠居」の届け出や
「家督相続」の届け出まで記録されていることだ。
そして、婚姻が文久3年、とあるのもなんだかおもしろい。
こんなに昔のこともきちんと記録されてるんだねえ。
じいちゃんのじいちゃんが、
じいちゃんの父親に「家督」を譲ったという元治元年は、西暦でいうと1864年で、
時代はまだ、徳川の時代、将軍は14代将軍家茂、
調べてみたら、その年は「池田屋事件」が起きた年、ということだ。
あの時代のこんな田舎でも、
ちゃんと「歴史」は流れてるんだなあ、と
ちょっと感慨に浸りました。
そうしたことまで判明できたのは、
こちらの戸籍謄本は、とてもきれいな文字で(神戸市とはえらい違い・苦笑)
細いペン先で、とても丁寧に詳しく書かれているから。
それらをもとに、今、家系図を作成中(笑)
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