『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

葬儀の朝

2024年02月19日 | 介護

朝、7時00分。

もう、家族・親族は集まっています。

 

「皆さんで、棺の蓋を。」と、係の方に促されて

そこにいる全員が、蓋を持ち、あるいは蓋に触れ、

母に、最後のお別れをしました。

 

このあたりの曹洞宗の葬儀では、

昔は、先導・先大幡・先灯篭・先花籠(中略)

遺影・野掛け・香炉・霊膳・位牌(中略)棺付け・天蓋・墓標などの

「役付け」というものがありました。

先導は本家の主、位牌は喪主、霊膳はその妻、というように

大抵、役割が決まっているものもありますが、

親族の数によって違いますし、亡くなった方によっても違うので、

簡素化している現在の葬式に

「役付け」そのものを発表することはなくなりました。

 

それでも、私は一通りの「役付け表」を作って、

リビングの壁に、貼り出しておきました。

 

先花籠は、息子たちのお嫁ちゃんが

遺影は娘、

野掛けは、長姉が、

そして、香炉は次姉、

墓標は長男が、

後の息子たちは、棺付け、です。

 

昔、私の祖父母はまだ「土葬」の時代で、

それこそ「棺付け」役の人たちは、

棺桶を担ぐ人たちでした。

現在の「棺付け」は、棺を持つ人のこと。

息子たちだけでは持てないので、

甥や義兄たちも手伝って。

(頼もしい男性がたくさん。息子を3人産んで良かった・笑)

ご近所の皆さんが、寒い中を

最後のお別れに駆けつけてくださいました。

いよいよ、出棺です。

良い天気になりそう・・・・。

 

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田舎の通夜(賑やかに送ることが出来ました)

2024年02月18日 | 介護

2月12日、母の通夜。

 

「通夜に行ってもいいか?」と、遠くに住む甥や姪たちから連絡が来ました。

ばあちゃんを送る気持ちのある人たちは大歓迎です。

 

田舎の通夜は、独特です。(たぶん)

枕経 → 隣組の皆さんのお見舞い(と、葬儀打合せ)→ 湯灌(納棺のこと) → 通夜ぶるまい

 

枕経の様子

主な親戚が集まりました。甥や姪、その子供たちも、併せて50人弱という大人数

 

隣組の皆さんが帰られた後、

近しい者たちで湯灌(納棺)を行いました。

納棺の担当の方が、素敵な方で、

いろんなアイデアを提示してくれました。

 

娘3人で、母を囲んで。

そうだ! 父も仲間に入れてやらなきゃ!

 

それぞれ、娘の家族ごとに、

母の棺を囲んで記念写真を撮りました。

 

長姉の家族と。             次姉の家族と。

     

 

母の好きだった着物を棺に納めました。

あれやこれやと和服を重ねながら、

この着物は、おばあちゃんのお気に入り、

この着物は、海外旅行で着た着物。と、

思い出話にも花が咲きました。

 

そして、最後は通夜ぶるまい。

座る場所もないほど・・・・・・。

でも賑やかで、きっとばあちゃんは喜んでくれたと思います。

みなさん、明日の朝は早いから、ほどほどに・・・・・ね。

 

 

◆10日の夜は、久しぶりに家族全員が集まったので

 みんなで夕飯。

 夜に呼び出されることになるとは、全然思わなくて、

 みんなで、飲んで食べて、大騒ぎでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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母が旅立ちました

2024年02月17日 | 介護

母が旅立ちました。

2月10日の夜のことでした。

 

もともと、3連休に帰ってくる予定だった長男家族は

10日の午前中に母に会うことが出来ました。

急遽、車を飛ばして帰ってきた三男家族も、その日の午後、

何とか間に合って、母に会うことが出来ました。

午前中、ちゃんと目を開け、何か話したそうにし、

時折、首を上げて息子をしっかり見ようとしていたのに、

午後はもう、一度しか目を開くことが出来ませんでした。

家にいたころ、チーちゃんとは大の仲良しで、

チーちゃんもまた、よく、ばあばあばあのお部屋を訪問してくれました。

うちの曾孫たちに囲まれて・・・・・。

 

母の90歳のお祝いをしたときは、孫8人、曾孫11人でしたけれど、

今では、孫は8人、曾孫は14人、そして玄孫も2人産まれました。

 

 

90歳のおばあちゃん、元気だったね。

このころは、仏壇に向かって

「おじいさん、わしまだ、おじいさんのところには行かんに。」

と言っていたのに、

おじいちゃんが恋しくなっちゃったのかねえ。

あれから、頑張って8年も生きてくれたんだね。

 

母の遺影の写真にしました。

いくつぐらいの写真かなあ・・・、

この顔なら、じいちゃんきっと、

あの世ですぐ、見つけられるよね。

 

 

 

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ばあばあばあのこと

2024年02月07日 | 介護

1月下旬、

長姉と大町に住む姉(次姉)と3人で母と面会したときには

まあ、いつものようにあまり会話のキャッチボールはないものの、

顔色もよく、怒ったり泣いたり笑ったりして元気だったので、

100まで生きるね、

と言って、帰ってきたのですが、

それから1週間もしないうちに、

「食事を受け付けなくなった。」

と、担当の介護士さんから連絡がありました。

 

その頃も、

食事は「刻み」で、流動食一歩手前でしたが、

食事を「流動食」に変えても、嫌がって食べず、

お茶などの飲み物ばかり、

という連絡でした。

 

そしてまた、その1週間後、

かかりつけの医師に診察していただいた結果の報告を

担当の看護師さんが連絡してくださいました。

「先生(医師)から一度説明を受けるように。」とのことでした。

 

そんな連絡を受けたので、

今日は、主人と娘と一緒に面会に行ってきました。

 

1月下旬に会ったときに比べると、少し痩せていました。

なんだか頭が、いつもよりはっきりしているような(私のことが分かったみたい)

周囲に興味を示して、頭を起こして確認するような

そんな動作をしきりにするので、

「なんだ、元気じゃん。」と思われがちですが、

看護師さんの言うには「体は、確実に・・・」なのだそうです。

もうすぐ99歳ですからねえ。

「誕生日(5月9日)を迎えさせてあげたいけれど、ちょっと難しいかな。」とのことでした。

 

来る日を覚悟して

滞りなく迎えるために、

今、その準備に取り掛かかり始めました。

 

 

 

 

 

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