偽書「東日流外三郡誌」の正体1
偽書「東日流外三郡誌」の正体2
偽書「東日流外三郡誌」の正体3
偽作者は仏教に無知な現代人
偽作者の教養の無さが「東日流外三郡誌」表れていることを発見できない「東北」にも問題があるのではないかと言っている。
例えば、市浦村(後で詳しく記述します)というのは、昭和三十年に合併してできた村なのに「東日流外三郡誌」に載っていること。
または、大湯ストーンサークル環状列石(以前記事にしています)は、昭和七年に発掘されたのに、それが記されていることなど明らかにおかしい。
このような事が判れば、「事実から眼をそむけて、なんとなく反体制的なムードに流される」ということもなくなるのでは・・・
ビックバンを書いたり、宇宙の年齢とか、冥王星とか、そういうまったく新しいものを「和田家文書」に載せるということも、呆れたことですが、下記の図を見てください。
山王坊に関する図ですが、無知というか、本当にひどいものだと思いますよ。
老荘思想とか仏教とかそういう江戸時代の知識人が持ったような知識が、「東日流外三郡誌」の作者には全然わかっていません。
仏教の知識のある人が見ると、誠にばかばかしいのです。奈良時代の宗派の事がまったくわかっていないんですよ。
奈良時代の仏教は南都六宗といいましてね、これは学校でも習うのですが、律、華厳、法相、これが左に書いてあります。
「山王坊明細図」は、江戸期の人物が書いたとは思われない。表現の誤り、誤字がいくつかみられ、仏教の知識が薄い現代人の作であろう。
ところが右側を見てください。 「三輪」と書いています。しかしこれは「三論」の間違いなのです。
一番下に俱舎とあるのはいいのですが、日吉神社の下のところに「実成」と書いてありますが、これは反対なのです。「成実」(じょうじつ)といいます。
南都六宗は、今の宗派とは違うのです。
奈良時代の南都六宗は、正式のお坊さんが学ばなければならない、六つの学問分野なのです。・・・・・
和田氏はともかく、親鸞の研究者などと自称している古田氏や、専門家の佐藤堅瑞氏までが、仏教の知識不足で「東日流外三郡誌」を擁護しているのは嘆かわしいですね。
「あんなに膨大な数の文書を一人で偽作できるはずはない」という事になるのです。しかし、実は中味も数も、そんなに充実はしていないのです。
「北鑑全六十一巻」なんて書いてありますが、あるのは同じような内容のものが十巻程度です。張り子の虎ですよ。これまでのものは充分一人で書ける分量です。
千坂 「東日流外三郡誌」の作者が、鎖国のさなかに日本を脱出して、中国とかロシアに渡ったということになっていますが、最後はどこまで行ったことになっているのですか?
斎藤 エジプト、ギリシャまで行ったと書かれています。 藤本光幸さんがまとめた「和田家資料1.2」から中近東の方に行った記録がでてきます。
突然でてきます。 記録年代は同じ時期なのにそれまでの「東日流外三郡誌」には、そんな記録は一行も出てきません。
つまり出現時期とともに内容も進化しているんです。
千坂 新しく出る資料になるほど「東日流外三郡誌」の現代の作家はどんどん知識が増すことになるわけですね。
秋田孝季がいろいろなところを回ったとか、いろんなことを知っているようなことを書く。それなのに、まったく漢籍の教養もないという事が、ものすごくアンバランスだという感じがしました。
初めての構想の段階からおかしいので、この作者はやっぱり文化的な詐欺師だということになりますよね。
今までは歴史を生かした形で、詐欺行為をやっていたので、歴史の分野から逐ー攻撃をするしかなかったわけです。 けれども最近のように、無神経に多量の創作偽書が出るようだとやはり全体の大枠の中で、今言ったような漢籍の教養さとか、仏教に対してまったく無知であるとか、あるいは民俗学的な無知や地名などの無知を指摘することが必要ではないでしょうか。
私は、もう一つの例として阿闍羅山(あじゃらさん)を挙げたいと思います。
「アラハバキ族安倍氏の築城」の年次の中に出てくるのですが、これまたお笑いものです。
実は、安倍(阿部)氏の先祖が西暦以前の懿徳七年に築城したものとして、阿闍羅山が紹介されているのですが、阿闍羅山というのは高速道路で北上すると、青森県に入って碇ヶ関を過ぎたあたりに阿闍羅パーキングがあります。その左に見える山なのです。
阿闍羅というのは仏教用語で不動明王のことなのです。 偽作者は、仏教に知識がないのであまり気にしないのでしょうけれども、とにかく仏教とか漢籍に疎いという事で、平気でこのようなことを書くのでしょうね。
だいたい不動明王の信仰が東北地方に入ってきたのは、十世紀行こうと考えるのが普通です。
しかも、お釈迦様の誕生が紀元前五世紀なのでその頃に仏教が日本に渡ってくるわけがありません。
中国だって、伝来したのは一世紀です。だから、日本の紀元前に、仏教にちなんだ地名があるはずがない。 ちょっとひどすぎますね。嘘をつくにしてももう少し仏教について学んで欲しいものです。
デタラメでも、築城の年月とか、人名や地名を詳しく、要するに細かい事をいっぱい書いて、みんなが気にしないようにするんですね。
いっぱい細かいことを書くことによって、一般人には全体像しか頭に残らないようにするといううのが「東日流外三郡誌」の創意と構想だろうというふうに思っています。
細かい事を指摘すればそれこそ限りがありません。正直いうと、もう構想の段階で虚偽性が見えてくるので、この本には関わりたくないと思ってしまうのです。
「東日流外三郡誌」は他の資料を剽窃して、偽作されているようですが、一番顕著な例が『國史画帖大和櫻』(昭和十年刊行)の絵を写している事ではないかと思われます。
これについて肯定論者は、どのような反応を示しているのでしょうか。
斎藤 下記の図は「東日流外三郡誌」と『國史画帖大和櫻』ですが、同一構図が三十五枚もありながら、これを「東日流六郡誌絵巻」の方が自然の構図なので古いと、本末転倒の主張をしたのは、古田さんとそのグループだけで、さすがに他の論者は一切沈黙しております。
千坂 これは誰が見ても『國史画帖大和櫻』の方が、オリジナルである事は歴然でしょう。
strong>斎藤 専門の先生もそう言っています。『國史画帖大和櫻』の錦絵は、歌舞伎の表現を描いたものです。 一方「東日流六郡誌絵巻」は自然体なので近代的だという事です。
「東日流六郡誌絵巻」の原図(コピー)をOHPフィルム(透明シート)にコピートして重ねますと、どの図も『國史画帖大和櫻』にピタリと重なりますので、偽作者は『國史画帖大和櫻』の主線を鉛筆でなぞって、筆が記した事が判ります。
実は和田さんの元から漏れ出た文書が、幾度も鑑定されて、紙質や筆跡などから、戦後に偽装された事は明らかになっているのですが、古田さんは「鑑定資料はレプリカ」「筆跡は和田さんのものではない」などと主張して、決して認めようとしません。けれども古田さん自身が明治の紙として、「九州王朝の歴史学」というご自身の著書に載せた「和田家文書の紙質の顕微鏡写真が実は戦後の紙のものだったという笑い話的なことも起きております。
斎藤 産能大教授の安本美典さんは、古田さんが「和田家文書」偽作にまで加担していると言っております。 広島の人に、古文書の紙集めを依頼したとか、古田さんのの主張どおりの新資料が次々出てくるとか和田さんの嘘に加担しているとか、陰の噂では古田さんに関して、まだ釈明されていない怪しいところが、かなりあるようです。
今回はこの辺で・・・・
偽書「東日流外三郡誌」の正体5
偽書「東日流外三郡誌」の正体2
偽書「東日流外三郡誌」の正体3
偽作者は仏教に無知な現代人
偽作者の教養の無さが「東日流外三郡誌」表れていることを発見できない「東北」にも問題があるのではないかと言っている。
例えば、市浦村(後で詳しく記述します)というのは、昭和三十年に合併してできた村なのに「東日流外三郡誌」に載っていること。
または、大湯ストーンサークル環状列石(以前記事にしています)は、昭和七年に発掘されたのに、それが記されていることなど明らかにおかしい。
このような事が判れば、「事実から眼をそむけて、なんとなく反体制的なムードに流される」ということもなくなるのでは・・・
ビックバンを書いたり、宇宙の年齢とか、冥王星とか、そういうまったく新しいものを「和田家文書」に載せるということも、呆れたことですが、下記の図を見てください。
山王坊に関する図ですが、無知というか、本当にひどいものだと思いますよ。
老荘思想とか仏教とかそういう江戸時代の知識人が持ったような知識が、「東日流外三郡誌」の作者には全然わかっていません。
仏教の知識のある人が見ると、誠にばかばかしいのです。奈良時代の宗派の事がまったくわかっていないんですよ。
奈良時代の仏教は南都六宗といいましてね、これは学校でも習うのですが、律、華厳、法相、これが左に書いてあります。
「山王坊明細図」は、江戸期の人物が書いたとは思われない。表現の誤り、誤字がいくつかみられ、仏教の知識が薄い現代人の作であろう。
ところが右側を見てください。 「三輪」と書いています。しかしこれは「三論」の間違いなのです。
一番下に俱舎とあるのはいいのですが、日吉神社の下のところに「実成」と書いてありますが、これは反対なのです。「成実」(じょうじつ)といいます。
南都六宗は、今の宗派とは違うのです。
奈良時代の南都六宗は、正式のお坊さんが学ばなければならない、六つの学問分野なのです。・・・・・
和田氏はともかく、親鸞の研究者などと自称している古田氏や、専門家の佐藤堅瑞氏までが、仏教の知識不足で「東日流外三郡誌」を擁護しているのは嘆かわしいですね。
「あんなに膨大な数の文書を一人で偽作できるはずはない」という事になるのです。しかし、実は中味も数も、そんなに充実はしていないのです。
「北鑑全六十一巻」なんて書いてありますが、あるのは同じような内容のものが十巻程度です。張り子の虎ですよ。これまでのものは充分一人で書ける分量です。
千坂 「東日流外三郡誌」の作者が、鎖国のさなかに日本を脱出して、中国とかロシアに渡ったということになっていますが、最後はどこまで行ったことになっているのですか?
斎藤 エジプト、ギリシャまで行ったと書かれています。 藤本光幸さんがまとめた「和田家資料1.2」から中近東の方に行った記録がでてきます。
突然でてきます。 記録年代は同じ時期なのにそれまでの「東日流外三郡誌」には、そんな記録は一行も出てきません。
つまり出現時期とともに内容も進化しているんです。
千坂 新しく出る資料になるほど「東日流外三郡誌」の現代の作家はどんどん知識が増すことになるわけですね。
秋田孝季がいろいろなところを回ったとか、いろんなことを知っているようなことを書く。それなのに、まったく漢籍の教養もないという事が、ものすごくアンバランスだという感じがしました。
初めての構想の段階からおかしいので、この作者はやっぱり文化的な詐欺師だということになりますよね。
今までは歴史を生かした形で、詐欺行為をやっていたので、歴史の分野から逐ー攻撃をするしかなかったわけです。 けれども最近のように、無神経に多量の創作偽書が出るようだとやはり全体の大枠の中で、今言ったような漢籍の教養さとか、仏教に対してまったく無知であるとか、あるいは民俗学的な無知や地名などの無知を指摘することが必要ではないでしょうか。
私は、もう一つの例として阿闍羅山(あじゃらさん)を挙げたいと思います。
「アラハバキ族安倍氏の築城」の年次の中に出てくるのですが、これまたお笑いものです。
実は、安倍(阿部)氏の先祖が西暦以前の懿徳七年に築城したものとして、阿闍羅山が紹介されているのですが、阿闍羅山というのは高速道路で北上すると、青森県に入って碇ヶ関を過ぎたあたりに阿闍羅パーキングがあります。その左に見える山なのです。
阿闍羅というのは仏教用語で不動明王のことなのです。 偽作者は、仏教に知識がないのであまり気にしないのでしょうけれども、とにかく仏教とか漢籍に疎いという事で、平気でこのようなことを書くのでしょうね。
だいたい不動明王の信仰が東北地方に入ってきたのは、十世紀行こうと考えるのが普通です。
しかも、お釈迦様の誕生が紀元前五世紀なのでその頃に仏教が日本に渡ってくるわけがありません。
中国だって、伝来したのは一世紀です。だから、日本の紀元前に、仏教にちなんだ地名があるはずがない。 ちょっとひどすぎますね。嘘をつくにしてももう少し仏教について学んで欲しいものです。
デタラメでも、築城の年月とか、人名や地名を詳しく、要するに細かい事をいっぱい書いて、みんなが気にしないようにするんですね。
いっぱい細かいことを書くことによって、一般人には全体像しか頭に残らないようにするといううのが「東日流外三郡誌」の創意と構想だろうというふうに思っています。
細かい事を指摘すればそれこそ限りがありません。正直いうと、もう構想の段階で虚偽性が見えてくるので、この本には関わりたくないと思ってしまうのです。
「東日流外三郡誌」は他の資料を剽窃して、偽作されているようですが、一番顕著な例が『國史画帖大和櫻』(昭和十年刊行)の絵を写している事ではないかと思われます。
これについて肯定論者は、どのような反応を示しているのでしょうか。
斎藤 下記の図は「東日流外三郡誌」と『國史画帖大和櫻』ですが、同一構図が三十五枚もありながら、これを「東日流六郡誌絵巻」の方が自然の構図なので古いと、本末転倒の主張をしたのは、古田さんとそのグループだけで、さすがに他の論者は一切沈黙しております。
千坂 これは誰が見ても『國史画帖大和櫻』の方が、オリジナルである事は歴然でしょう。
strong>斎藤 専門の先生もそう言っています。『國史画帖大和櫻』の錦絵は、歌舞伎の表現を描いたものです。 一方「東日流六郡誌絵巻」は自然体なので近代的だという事です。
「東日流六郡誌絵巻」の原図(コピー)をOHPフィルム(透明シート)にコピートして重ねますと、どの図も『國史画帖大和櫻』にピタリと重なりますので、偽作者は『國史画帖大和櫻』の主線を鉛筆でなぞって、筆が記した事が判ります。
実は和田さんの元から漏れ出た文書が、幾度も鑑定されて、紙質や筆跡などから、戦後に偽装された事は明らかになっているのですが、古田さんは「鑑定資料はレプリカ」「筆跡は和田さんのものではない」などと主張して、決して認めようとしません。けれども古田さん自身が明治の紙として、「九州王朝の歴史学」というご自身の著書に載せた「和田家文書の紙質の顕微鏡写真が実は戦後の紙のものだったという笑い話的なことも起きております。
斎藤 産能大教授の安本美典さんは、古田さんが「和田家文書」偽作にまで加担していると言っております。 広島の人に、古文書の紙集めを依頼したとか、古田さんのの主張どおりの新資料が次々出てくるとか和田さんの嘘に加担しているとか、陰の噂では古田さんに関して、まだ釈明されていない怪しいところが、かなりあるようです。
今回はこの辺で・・・・
偽書「東日流外三郡誌」の正体5
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます