七夕
本日7月7日でしたので予定を変えて七夕の話しを・・・
丁度、仙台市天文台の配布物がありますのでこれを参考にUPしましょう。
その昔は、中国で行われていた夏の恒例行事だったものが、奈良時代に日本へ伝来し、朝廷を中心に行われてきたのです。
年に一度、織姫とひこ星が天の川を渡って出会うというロマンティックな伝説ですね。
全国的には7月7日の行事になっていますが、実はこの日付は明治時代以前 . . . 本文を読む
司馬遼太郎氏は、「歴史の中の日本」の中で「生きている出雲王朝」と題して出雲民族について触れているようです。
天孫族と出雲王朝との間に協定が結ばれました。それは国譲りの後のことです。
その協定とは出雲王朝は永久に天孫族の政治に関わらないということでした。
哀れにも出雲王族は、身柄を大和に移され、三輪山の側に住んだそうです。
それが三輪氏の祖であるとされています。
また、奈良県は元々出雲王朝の植 . . . 本文を読む
ヘ~と思う話は沢山あるのですが、割愛しながら進めます。
オオクニヌシはオオナムチ・ウツクシタマ・アシハラシコオ・ヤチホコ・オオモノヌシ・など多くの名前を持っていた。
つまり、オオクニヌシは代名詞で十七代に渡り何人もいた。
上記の名前も実名ではない。
クナトノ大神も、五十代と伝えています。
ちなみに、オオクニヌシが「大黒様」、コトシロヌシが「えびす様」になったのは平安末期のことで、出雲は平田市鰐 . . . 本文を読む
アメノホヒノ命(スパイ)とコトシロヌシの死
天孫族はアメノホヒ一族を先発隊として送るがホヒはオオクニヌシへへつらい、三年経っても帰らなかった。
続いてアメノワカヒコを派遣したがオオクニヌシの娘、シテタル姫を娶(めと)り葦原の中つ国を自分のものにしようと八年も何時いた。
タカギノ神は怒りワカヒコを殺してしまう。
これは、国ゆづりの前の段階ですがワカヒコは殺されたのにホヒは殺されなかった。
それどこ . . . 本文を読む
富家の伝承には「大和や紀伊は出雲の分国」とある。
出雲王朝は北九州から新潟にいたる地域を領有していたのである。
オオクニヌシは古代出雲において重要な存在ではなかった。
出雲大社が杵築(きつき)へ移ったのは、霊亀二年(716)のことで、それまでは熊野にありクナトノ大神を祀っていた。
クナトノ大神は、岐神(ふなと)、来名戸之祖神(くなとさえのかみ)、衡立船戸神(つきたてふなとかみ)、八衢神(や . . . 本文を読む
スサ族
スサノオの別名を牛頭天皇(インド祇園精舎の守護神)という。
「牛冠をかぶった貴人」の意味です。
「日本書紀」崇神天皇の条に「任那(みまな)がソナカシチを遣わして朝貢した。
※4~6世紀頃、朝鮮半島南部にあった伽耶諸国の日本での呼称。
日本書紀では、4世紀後半に大和朝廷の支配下に入り、日本府と言う軍政府を置いたとされる。
※朝貢=外国人が来朝して貢物を奉ること。
垂仁天皇の条に . . . 本文を読む
スサノオについてこの本では、侵略者だ!として30ページに渡り説明しています。
渡来人でありオオクニヌシと敵対関係にあったが、記紀の作者が出雲親族と結びつける手段としてスサノオをオオクニヌシの父、又は祖神としたため両者の戦いをヤマタ大蛇退治の形ででしか描けなかった。
というわけでスサノオの説明を省く分けにもいかず、長くなりますが、記載したいと思います。
興味深いところもありますのでご覧ください。
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古代出雲帝國の否定論があるらしい、その理由は出雲に古式古墳の出現が4世紀半ばで、それ以前には巨大な国家は存在しないと考えているからです。
しかし、富氏の話でそれが解決しました。
出雲神族の葬送制度を知らない為の誤解のようです。
出雲人は高貴な人が他界すると、藤と竹で編んだ籠に遺体を収め高い山の常緑樹(檜・杉など)に吊るした。
つまり風葬ですね。
三年過ぎるとこれを降ろし洗骨し山に埋める。
そし . . . 本文を読む
1話を読んでいない方はこちら
何故、伝承したものを文章化しないのか?
富氏はこう話しています。
「文字はただの記号です、本当の感情を伝えることが出来るのは肉声しかない。 しかも、文章にして残せば、敵方に奪われ迫害され、その記録を焼かれ書きかえられてしまう恐れがある」
これは1話の前文で述べた勝者によって歴史はねじ曲げられるという事実ですね。
これは古事記・日本書紀にも通じることでしょう。
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この本を知ったのは「記紀解体」近江雅和著の本の中で参考文献の中の一冊だった。
この本「謎の出雲帝国」(昭和55年)の著者、吉田大洋氏も言っているが、私自身も古代史への視野が広がり見方や考え方がが変わりました。
まぁ、私の場合は変わったと言う程知識は無いのですがね。
この本を読んで歴史の裏側をチョットだけ覗けたような気がします。
ブログの中でも何度も書いていますが、やはり勝者によって歴史はねじ曲 . . . 本文を読む
黄金の都シカン インカ帝国のルーツ仙台市博物館に行ってきました。観覧料は大人1200円でしたが、市政だよりにあった割引券を切り抜き百円引き!!入り口で案内用のヘッドフォンを借りましたが、今の技術が進歩しているのを実感!下敷きの様なボートに番号があり、タッチペンの様なものでPi!とするとそこの案内をする。 もっと前からあったのだろうけど恥ずかしながら知らなかった・・・・・・・・・・・ . . . 本文を読む
書き留めていたのがありましたので、UPします。
アイヌ語と琉球語
奥羽北越地方で、山の斜面になっているようなところを「ヒラ」という。
普通の日本語では「ヒラ」は「平」で斜めでは無いところ言うが、ここでは反対に平で無いところを言う。
アイヌ語では崖の義を表す「ヒラ」の転訛だろうとしている。
琉球でもやはり坂を「ヒラ」という。
アイヌ語で人を「クル」と言う。 コロボックル・チュプカグルの類だ。
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大陰太陽暦 「旧暦」・「陰暦」とは…天保暦「陰暦」といいますが、旧暦とは今の暦に対して旧い(ふるい)と言うだけの意味です。正しい「陰暦」は、お月様のサイクルに合わせて暦の月を立て1年12ヶ月で暦を作ります。1年354日強にしかならず、季節は全く無視ということになります。しかし、季節変化のある日本のような国にとってはそうもいきません。そこで太陰暦を太陽暦調節した暦が出来たのです。それが . . . 本文を読む
暦の話をする前に、上記の写真は職場の組合のカレンダーですが、どこか変です。 気づきました?太陽暦この記事の参考にした本はこれです。 「暦のはなし」私は、四季と言う季節がある中で生活出来て嬉しく思う。寒い冬があればこそ、色鮮やかな春の香を楽しめる。これが雨季と乾季だけではつまらないのではないでしょうか?それでは、季節の変化はどのようにして起こるのでしょう?文章で説明するのは難しいのですが、つまり地球 . . . 本文を読む
「古代日本誕生の謎」PHP文庫 武光 誠/著
「名も知らぬ遠き島より」三五館 日高恒太郎/著
武光さんは歴史書に多く名を連ねていますね。
この本の中に一部日高見国について書いてありましたので、引用編集させていただきます。
興味の無い方はパスしてください。
朝廷は、「関東の人々が朝廷に従う前は、北方から文化を受け入れていた」と語った為に東北には「日高見国」という強国があったと発想したのです。
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