鎮座地:宮城県仙台市泉区市名坂字西裏61
祭 神:伊邪那岐命・伊邪那美命
由緒
神社の記録によりますと万壽2年(1026年)に市名坂の修林壇にお祀りされた。
※修林壇(現在の七北田小学校の南側付近住所は字東裏)
天正年間(1573年~)に八つの村の総鎮守として祀られました。
【市名坂・七北田・北根・野村・上谷刈 古内・松森・鶴谷】
この地域は国分氏の荘園の一部になります。
※国分氏は、南北朝時代から戦国時代の末まで、宮城郡南部に勢力を張った武士の一族
戦国時代末に伊達氏から当主として国分盛重を迎えて伊達氏に臣従したが、1596年に政宗は盛重を追放し、家臣を伊達家の直属にした。
※国分盛重=伊達政重その後、国分氏を継いで国分政重、その後国分盛重と改め、最後に伊達盛重と名乗っている。
外していますが、天正年間を伊達政宗の年齢に合わせると6歳から25歳になります。
万治年間(1658年~)になると、七北田・市名坂は宿場町が開かれ、寛文二年(1662年)4月現在の地に移りました。
明治5年9月には、七北田村の村社に格付されています。しかし昭和4年8月31日未明、原因不明の火災により全焼になっています。現在の社殿は昭和16年5月に完成しました。
ここから重要です。
別名を「仁和多利大権現(ニワタリダイゴンゲン)」といいます。
ここでは子供の無病息災を祈る「おぼっ子の神様」として呼ばれています。 ※おぼっこ=子供
縁結びのご利益があるといわれ良縁祈願のカップルや女性が多く訪れます。
私が参拝した時も、女性のグループが沢山いましたよ。
これは祭神が夫婦ということからこれを強調したのでしょうね。
それはそれでいいと思います。
そこで、自分のブログでは初のニワタリ(鶏系)に神社が出てきました。
鶏の神とも云われニワタリ神社・ミワタリ神社・オニワタリ神社・ニワトリ観音などとも呼ばれ、福島、山形、宮城、栃木、茨城にわたり100社以上あるといわれます。
このニワタリ(鶏)系の神社は、いずれまた記したいと思います。
この仁和多利大権現と地元に人々に呼ばれていたのは、やはりそれが本当の祭神であると考えられます。
時代と共に体制側の祭神をお祀りしたのには、ご承知の通りだと思います。
この社は、明治の神仏分離令により祭神を「イザナギ」「イザナミ」命として二柱神社と改名した。
どちらかと言いますと国の政策に従った神社より、古来の神を守り保存した神社の方が私にとっては興味深いですね。、
何故この神が子供の無病息災のご利益があるかわ次の機会でご紹介します。
この度の震災の影響でしょうか・・・鳥居が倒れてしまったようです。
この中には、神輿が置かれていました。
護衛していた狛犬は、ノーマル・・・なので小さい画像。
社殿は、神明造
境内を見渡すと・・茅野輪そしてその横に石碑が沢山並んでいます。
この七北田は奥州街道の宿場町でしたから多くの旅人が行き交っていたことでしょう。
街道筋には多くの石仏などが多いものです。
旅の安全祈願に馬頭観音や豊作を祈る山神や雷神そして地蔵など・・・・
この地区にも多くありましたが、相次ぐ開発の為その石碑などは、神社お寺に集められたのですね。
以前にご紹介した多賀城の南安楽寺の古碑群のようですね。
この七北田市名坂村は、万治年間に宿駅に指定され藩の命令で常に五頭の馬を準備しておくことが定められていたといいます。
そこで、必要なのが馬の売買の仲介をする馬喰達が活躍します。小生の親父に聞きましが実家では馬喰をやっていた時代があったそうです。
私が小さい頃まで馬も居ましたがね。
つまり、馬喰達が崇敬したのが馬櫪神や馬頭観音だったりして、石碑が多いわけですね。
画像はクリックで大きくなります。
雷神:雨乞いの神で元々は七北田横山にあった、雷神社にあったそうで「おなり神様」と言われていたそうです。
勧請はは寛文七年(1667)7月25日
古老が集まり鐘や太鼓を鳴らして儀式をしたそうです。
山神:これもよくある石碑の一つですね。
山の神ですが、2月8日は山に入るな!と言われています。
決まりを破ると怪我をしたり雪が多いとか云われたようです。
以前「定義道」(定義如来3)の記事でも山神講のお話をしましたが、やはり定義の地区でも山に入っては駄目な日があります。
七北田の地区にも、男・山の神講と女・山の神講があり、市名坂地区では山の神講は女の講です。
安産祈願なのでしょう。
山の神と言えば、小牛田の山神社 ですね。
この本山である山神社の祭神に木花咲耶姫(このはなさくやひめ)がありますから、ご利益を考えると、妻の守護神、安産の神、子育ての神になるようです。
この石碑は、宝珠だとすれば、旧仁和田利大権現社のお堂のものだと思います。
宝珠・如意宝珠=ネットで調べてください(笑)
PS:ここのお祭りは通称、「七北田の酔っ払い祭り」とも言うそうです。
コメント欄のぐずらさんのコメントを見て下さい。
以上・・・ 最近PCから離れていました。
写真が溜まっております。 本日、会津のアラハバキ神社を取材してきました。
苦労しましたが見つけました。
祭 神:伊邪那岐命・伊邪那美命
由緒
神社の記録によりますと万壽2年(1026年)に市名坂の修林壇にお祀りされた。
※修林壇(現在の七北田小学校の南側付近住所は字東裏)
天正年間(1573年~)に八つの村の総鎮守として祀られました。
【市名坂・七北田・北根・野村・上谷刈 古内・松森・鶴谷】
この地域は国分氏の荘園の一部になります。
※国分氏は、南北朝時代から戦国時代の末まで、宮城郡南部に勢力を張った武士の一族
戦国時代末に伊達氏から当主として国分盛重を迎えて伊達氏に臣従したが、1596年に政宗は盛重を追放し、家臣を伊達家の直属にした。
※国分盛重=伊達政重その後、国分氏を継いで国分政重、その後国分盛重と改め、最後に伊達盛重と名乗っている。
外していますが、天正年間を伊達政宗の年齢に合わせると6歳から25歳になります。
万治年間(1658年~)になると、七北田・市名坂は宿場町が開かれ、寛文二年(1662年)4月現在の地に移りました。
明治5年9月には、七北田村の村社に格付されています。しかし昭和4年8月31日未明、原因不明の火災により全焼になっています。現在の社殿は昭和16年5月に完成しました。
ここから重要です。
別名を「仁和多利大権現(ニワタリダイゴンゲン)」といいます。
ここでは子供の無病息災を祈る「おぼっ子の神様」として呼ばれています。 ※おぼっこ=子供
縁結びのご利益があるといわれ良縁祈願のカップルや女性が多く訪れます。
私が参拝した時も、女性のグループが沢山いましたよ。
これは祭神が夫婦ということからこれを強調したのでしょうね。
それはそれでいいと思います。
そこで、自分のブログでは初のニワタリ(鶏系)に神社が出てきました。
鶏の神とも云われニワタリ神社・ミワタリ神社・オニワタリ神社・ニワトリ観音などとも呼ばれ、福島、山形、宮城、栃木、茨城にわたり100社以上あるといわれます。
このニワタリ(鶏)系の神社は、いずれまた記したいと思います。
この仁和多利大権現と地元に人々に呼ばれていたのは、やはりそれが本当の祭神であると考えられます。
時代と共に体制側の祭神をお祀りしたのには、ご承知の通りだと思います。
この社は、明治の神仏分離令により祭神を「イザナギ」「イザナミ」命として二柱神社と改名した。
どちらかと言いますと国の政策に従った神社より、古来の神を守り保存した神社の方が私にとっては興味深いですね。、
何故この神が子供の無病息災のご利益があるかわ次の機会でご紹介します。
この度の震災の影響でしょうか・・・鳥居が倒れてしまったようです。
この中には、神輿が置かれていました。
護衛していた狛犬は、ノーマル・・・なので小さい画像。
社殿は、神明造
境内を見渡すと・・茅野輪そしてその横に石碑が沢山並んでいます。
この七北田は奥州街道の宿場町でしたから多くの旅人が行き交っていたことでしょう。
街道筋には多くの石仏などが多いものです。
旅の安全祈願に馬頭観音や豊作を祈る山神や雷神そして地蔵など・・・・
この地区にも多くありましたが、相次ぐ開発の為その石碑などは、神社お寺に集められたのですね。
以前にご紹介した多賀城の南安楽寺の古碑群のようですね。
この七北田市名坂村は、万治年間に宿駅に指定され藩の命令で常に五頭の馬を準備しておくことが定められていたといいます。
そこで、必要なのが馬の売買の仲介をする馬喰達が活躍します。小生の親父に聞きましが実家では馬喰をやっていた時代があったそうです。
私が小さい頃まで馬も居ましたがね。
つまり、馬喰達が崇敬したのが馬櫪神や馬頭観音だったりして、石碑が多いわけですね。
画像はクリックで大きくなります。
雷神:雨乞いの神で元々は七北田横山にあった、雷神社にあったそうで「おなり神様」と言われていたそうです。
勧請はは寛文七年(1667)7月25日
古老が集まり鐘や太鼓を鳴らして儀式をしたそうです。
山神:これもよくある石碑の一つですね。
山の神ですが、2月8日は山に入るな!と言われています。
決まりを破ると怪我をしたり雪が多いとか云われたようです。
以前「定義道」(定義如来3)の記事でも山神講のお話をしましたが、やはり定義の地区でも山に入っては駄目な日があります。
七北田の地区にも、男・山の神講と女・山の神講があり、市名坂地区では山の神講は女の講です。
安産祈願なのでしょう。
山の神と言えば、小牛田の山神社 ですね。
この本山である山神社の祭神に木花咲耶姫(このはなさくやひめ)がありますから、ご利益を考えると、妻の守護神、安産の神、子育ての神になるようです。
この石碑は、宝珠だとすれば、旧仁和田利大権現社のお堂のものだと思います。
宝珠・如意宝珠=ネットで調べてください(笑)
PS:ここのお祭りは通称、「七北田の酔っ払い祭り」とも言うそうです。
コメント欄のぐずらさんのコメントを見て下さい。
以上・・・ 最近PCから離れていました。
写真が溜まっております。 本日、会津のアラハバキ神社を取材してきました。
苦労しましたが見つけました。
詳細なレポート
すごいですね (^^)v
やはり~
震災の影響があるんですね
頼んだ看板屋が当日の設置にちっとも現れない!?
催事の開始時間が迫って来て冷や汗ダラダラ!!
ようやくやって来た職人に「社長は?」と聞くと、なにやらゴモゴモ云って要領得ず・・・?
ところが!夕方のTVニュースに当の社長がバッチリ映ってた!!!
しかも法被着てヘベレケで道に寝転んでんのッ!
その日は市名坂の二柱神社のお祭りの日だったんだっちゃねぇ~!
ここのお祭りは神輿が巡行する御旅所の御神酒振舞いが有名で
別名、七北田の酔っ払い祭りとも呼ばれていたそうな・・・
この神社の名前を見ると何時でもそれを思い出すよ。
チョコチョコ書いてまして、先月28日に行ったので4日掛りになりますかね。
このニワタリ神社に興味を持ちまして、これもまた古代からの信仰に繋がるのではと考えています。
古代となれば、出雲も関係無くはないはずです。
どこかで繋がりますよ。
酒呑みには、嬉しいお祭りですね。
それじゃ~仕事どころじゃないですね。
二柱のHPを今見てきましたら、例祭などの謂われなども無く色んな意味で不足ですね。
物足りない・・・
神社の職員・・・社長・専務・営業には驚きました。
スタッフの紹介を見て下さい。
別にいいのですが、一般的な神事のことより、二柱神社歴史をもう少し知りたかったですね。
残念です。
父の実家も昔はかなりの資産家だった馬喰で、だいぶ優雅な生活をしていたようですが、農地改正で田圃を取られ、爺さんは49歳で事故死。その後、びっくりするほど没落し、婆さんはヨイトマケをやりながら提灯造りの内職で暮らしていました。
良いことは続かないものです。悪いこともですが・・・・。
さて、コノハナサクヤ姫の話が出ていますが、サクヤ姫は山神であり、水神でもあります。
故に富士山が噴火しないように水の力で抑えているそうです。因みに姉の磐長姫は山神且つ火の神です。休火山に火の神を祭ったら、噴火しちゃいそうですね。
この姉妹の兄弟??は、氷川神社に祭られています。そして福島県では悲しいことに妖怪とされています。
最後にチョット訂正があります。以前、コメント等で「多賀城市笹神」と書き込みましたが、正しくは「多賀城市笠神」の間違いです。そそっかしくて、大変失礼しました。
でも、この笠神、笹神と同じ意味と聞いていますが、その意味を調べると、ニワトリ様がその場所に隠れ住んでいる訳がお分かりになると思います。
ではでは。
やはり、昔は大黒柱がいなくなると家族は苦労するのですね 。
富士山の祀られていることは何かで読みました。
姉さんのことは知りませんでしたが。
記紀で見る神の誕生は馬鹿げているようにしか見えませんが、真面目に書いていたんでしょうね。
当然想像での作り話ですが、あまりにも馬鹿馬鹿しいシーンがありますね。
世間の人はどれくらい知っているのでしょう。
私も途中までしか読んでいませんが。
笠神の件はちゃんと通じていましたからご安心を。
やはり、神のつく地名は意味があるのですね。
近いうちに行ってみます。
東京では小さな川なのか運河なのかそんな場所の近くです。七付く地名なので七夕っぽいですね。
男女なら織姫と彦星?そうそう馬喰で私も反応してしまいました。お二人もすでに認識なのも。
この前東京の馬喰町の案内で薬研掘不動やってました。薬と不動も関係しそうですね。河童かな?
そうそう、コメントの中で笹神と笠神との間違いの件ですがうっかりが結構あとで気付くとありかもって思う事も。さっき天龍を天龍寺と寺がついていてびっくり。ただ最初は雷門の後ろの女神の天龍のつもりで書いたんですけど嵯峨野の天龍寺のお庭の素敵な奥に女神いたのを思い出して瓢箪から駒?とも。
七夕と笹は仙台ではとても大事で祓いで川が付きものですね。私笠が付く一族探していましてそれが笹ってのもありそうです。笠はお地蔵さんの笠とか疱瘡の跡の瘡蓋とか色々思いますね。
彦星さんは河童かな?馬を川に引っ張ちゃんでしたよね。頭のお皿が乾くと大変だから笠被ってたとか?薬の知識凄かったんですよね。
何か見えてきましたよ。一柱は河童かも〜?
ありがとうございます。鳥に近いのは女性の方かしら?天女みたいに思うので。3049