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滝澤神社
鎮座地:仙台市青葉区本町2-11-7
主祭神:瀬織津姫
御由緒
瀧澤神社の主祭神は祓戸大神(はらえどのおおかみ)の一柱で、災厄抜除の女神・瀬織津姫である。
祓神や水神としても知られるが、瀧や河の神でもあり、それが火防の神と謂われる所以であると思われる。
瀬織津姫を祀る神社は瀧や河の近くに鎮座する事が多い。
これは治水神としての特性で日本神話に登場する水神の特徴にも一致する。
神社発祥の歴史は古く、慶長六年(1601)伊達政宗の仙台入府以前に既に川内瀧澤(現在亀岡八幡宮の在る地)に鎮座ましまし、伊達家四代藩主網村の天和三年(1683)までその地に祀られていた。
社殿宏広壮、住民の崇敬を集めていたという。
その瀧澤神社が同心町(大仏前=現在地)に遷座した経緯は伊達家の氏神である。
梁川八幡宮(後の亀岡八幡宮)との社地交換によるものである。
天正十八年(1590)福島県伊達郡が上杉領となるに及んで、社司岩手山(山田)宮大夫清重、弟重之は密かに御神体を奉じて仙台の地に入り、慶長六年政宗の命により同心町に仮宮を営み、その後寛永十七年(1641)二代藩主忠宗は社殿を造宮して梁川八幡宮と称した。
四代藩主網村の時、梁川八幡宮を仙台城の坤(ひつじさる=南西)の隅に移す事になり、瀧澤神社との社地交換が行なわれ今日に至った。
瀧澤神社の新社地となった同心町は、かつて伊達政宗が仙台城下の地割に用いた縄などを仙台の火防を祈念して消却した清浄の地であった為、火防の神・瀧澤神社の遷座には全くもって相応しい土地であったと言える。
その火防の霊験は昭和二十年七月十日未明の仙台空襲の際にも神殿が焼け残った事によっても実証されている。
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和歌三神とは、住吉神明・柿本人丸(柿本人麻呂)・衣通姫(玉津嶋明神)をいう。
瀧澤神社はその社地の由来によって、測量関係の聖地として古くから大工棟梁達の厚い信仰を集めていたが、更に寛政十一年(1800)学問ゆかりの神様・和歌三神を合祀するに及んで以降、学者、歌人の尊信を得る事になり、今も勉学に勤しむ、或いは歌作りに励む人達の崇敬を得ることになり現在に至っている。
衣通姫:記紀(古事記と日本書紀)に絶世の美女と伝承されている女性。余りにも美しい女性であったため、その美しさが衣を通して輝くことからこの名がある。
本朝三美人の一人とも称されている…。
瀬織津暇は祓戸四神(祓戸大神)の一柱で災厄抜除の女神であり、祓戸四神とは、神道において祓いを司る神であり、祓いを行なう場所に祀られる神である。
『延喜式』の「六月晦大祓祝詞(みなづきつごもりのおおはらえののりと)」に記されている瀬織津比売・速開都比売(はやあきつひめ)・気吹戸主(いぶきどぬし)・速佐須比売(はやさすらひめ)の四柱を祓戸四神といい、これらの神は葦原中国(あしはらのなかつくに=日本の国土)のあらゆる禍事・罪・穢れを祓い去る神で、「大祓詞(おおはらいのことば)」にはそれぞれの神の役割が記されている。
それによると、瀬織津姫についてはもろもろの禍事、罪、穢れを川から海へ流すという、神道における究極の目標である禍事、罪、汚れを祓い去るという一連の過程の一番初めに位地するのが瀬織津姫であり、その役割は大きい。
御由緒はHPより滝澤神社 http://www.s-honcho.com/takizawajinja/
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小さい画像はクリックで大きくなります。
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お稲荷さんも・・・
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和歌三神を祀っているためでしょう。絵馬には東北大学合格祈願など多くの学生が書いた絵馬が目につきました。
火伏は柿本人丸(柿本人麻呂)の影響もあるのでしょうか?
「ひとまる」から「火止まる」「人産まる」と連想されて、庶民に防火・安全の神ともされているようです。
勿論、水神である瀬織津姫の力でもありますが。
絵馬には「いい人が見つかりますように」などもありました。
美人の「衣通姫」にあやかりたいところです。
「衣通姫」=そとおりひめ・そとほりひめ・そとおしひめ 古事記と日本書紀では、人物の設定が違います。
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瀧澤神社の主祭神は祓戸大神(はらえどのおおかみ)の一柱で、災厄抜除の女神・瀬織津姫である。
祓神や水神としても知られるが、瀧や河の神でもあり、それが火防の神と謂われる所以であると思われる。
瀬織津姫を祀る神社は瀧や河の近くに鎮座する事が多い。
これは治水神としての特性で日本神話に登場する水神の特徴にも一致する。
神社発祥の歴史は古く、慶長六年(1601)伊達政宗の仙台入府以前に既に川内瀧澤(現在亀岡八幡宮の在る地)に鎮座ましまし、伊達家四代藩主網村の天和三年(1683)までその地に祀られていた。
社殿宏広壮、住民の崇敬を集めていたという。
その瀧澤神社が同心町(大仏前=現在地)に遷座した経緯は伊達家の氏神である。
梁川八幡宮(後の亀岡八幡宮)との社地交換によるものである。
天正十八年(1590)福島県伊達郡が上杉領となるに及んで、社司岩手山(山田)宮大夫清重、弟重之は密かに御神体を奉じて仙台の地に入り、慶長六年政宗の命により同心町に仮宮を営み、その後寛永十七年(1641)二代藩主忠宗は社殿を造宮して梁川八幡宮と称した。
四代藩主網村の時、梁川八幡宮を仙台城の坤(ひつじさる=南西)の隅に移す事になり、瀧澤神社との社地交換が行なわれ今日に至った。
瀧澤神社の新社地となった同心町は、かつて伊達政宗が仙台城下の地割に用いた縄などを仙台の火防を祈念して消却した清浄の地であった為、火防の神・瀧澤神社の遷座には全くもって相応しい土地であったと言える。
その火防の霊験は昭和二十年七月十日未明の仙台空襲の際にも神殿が焼け残った事によっても実証されている。
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和歌三神とは、住吉神明・柿本人丸(柿本人麻呂)・衣通姫(玉津嶋明神)をいう。
瀧澤神社はその社地の由来によって、測量関係の聖地として古くから大工棟梁達の厚い信仰を集めていたが、更に寛政十一年(1800)学問ゆかりの神様・和歌三神を合祀するに及んで以降、学者、歌人の尊信を得る事になり、今も勉学に勤しむ、或いは歌作りに励む人達の崇敬を得ることになり現在に至っている。
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本朝三美人の一人とも称されている…。
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『延喜式』の「六月晦大祓祝詞(みなづきつごもりのおおはらえののりと)」に記されている瀬織津比売・速開都比売(はやあきつひめ)・気吹戸主(いぶきどぬし)・速佐須比売(はやさすらひめ)の四柱を祓戸四神といい、これらの神は葦原中国(あしはらのなかつくに=日本の国土)のあらゆる禍事・罪・穢れを祓い去る神で、「大祓詞(おおはらいのことば)」にはそれぞれの神の役割が記されている。
それによると、瀬織津姫についてはもろもろの禍事、罪、穢れを川から海へ流すという、神道における究極の目標である禍事、罪、汚れを祓い去るという一連の過程の一番初めに位地するのが瀬織津姫であり、その役割は大きい。
御由緒はHPより滝澤神社 http://www.s-honcho.com/takizawajinja/
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お稲荷さんも・・・
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和歌三神を祀っているためでしょう。絵馬には東北大学合格祈願など多くの学生が書いた絵馬が目につきました。
火伏は柿本人丸(柿本人麻呂)の影響もあるのでしょうか?
「ひとまる」から「火止まる」「人産まる」と連想されて、庶民に防火・安全の神ともされているようです。
勿論、水神である瀬織津姫の力でもありますが。
絵馬には「いい人が見つかりますように」などもありました。
美人の「衣通姫」にあやかりたいところです。
「衣通姫」=そとおりひめ・そとほりひめ・そとおしひめ 古事記と日本書紀では、人物の設定が違います。
亀岡が山なら滝澤は麓で川近くかな?一体の神社にも感じますよね。まず川で祓いしてそして山へ行くような。渋谷と同じイメージです。祭神が妥当。火伏せとか災難除けの効果は亀岡にもあるように思うので両方に感謝してお参りしたら良さそうに思いますね。両方セットでね。
素敵な信仰が、地元の方に愛されて続いているとても素敵な神社教えて頂き感謝です。4257
亀岡はの地名は川内という場所ですが、広瀬川の内側になります。仙台城の北西になりますね。
この神社の向にはお寺があったようです。一部墓石がありました。昔はもう少し大きかったのでしょうね。
ちょうど帰り際ここの奥様らしい方とお話しする機会がありました。 小さなズペースですが1/14は「どんと祭」=仙台での呼び名です。をするそうです。
綱村ですが、政宗時代にも相当、神社の再興に力を入れましたが、綱村の功績もかなりあります。有名な神社仏閣では綱村の文字が多く見られます。
三代目の綱宗が若くして隠居させられてしまったことが大きいかも知れませんね。
私的には亀岡八幡宮に豊受姫を残されて祀られているので、別の意味ではないかとか考えています。
私のブログでも書きましたが錦町公園は元々は墓地で、空襲とかでそのまま埋め立てて公園にしちゃったみたいです。
昔、ウイークエンダーでやってましたが、ここの交番の二階に女の幽霊が住みついちゃって、警察官が怖くて仮眠が出来なくなったと伝えてました。掘れば骨や墓石がザクザクとか。
墓場はこの世とあの世の境界線。だから境界線の神である瀬織津姫が移されたのだと考えています。
そういえば昔、そんな話を聞いたことがあったような気がします。
全然訪問していなくて知りませんでした。
奥に墓石もありました。 ここはチョットやばいですね。
富沢・八乙女などの職場の仮眠室も出ると昔からいわれていて目撃者も多いです。
あ~やだやだ・・・
錦ケ丘もチョットやばい土地のようです。