遅筆になり、UPが遅れております。
写真を並べますので、ご覧下さい。
いつも下からの撮影でしたが、今回は表参道の階段の上部で撮影しました。ここが一番緊張するところです。
手ぶらでさえ、降りるのが大変な狭くて急な202段の階段です。
鹽竈桜も満開でした。 その記事はこの後すぐにUPしたいと思います。 それでは境内の様子からどうぞ。
江戸中期安永年間旱天が続き作物も稔らずに困り、氏子が鹽竈神社に祈願したところ気候も順調となり、作柄も良くなったので感謝の意味を込めて安永7年(1778)3月10日に神輿を出し御神幸したのが始まりで、明治5年の改暦後祭日を4月25日に改められ、丁度桜の花が満開の時期である事から「花祭」と称するようになった
。昭和60年、市民の総意に基づき祭日を4月第4日曜日に行われるようになる。 (鹽竈神社ホームページより)
山門の前では神輿の準備中、この神輿は約1トンあり16人の輿丁により、担がれます。
子供たちもお参りし準備に入りました。
いつも可愛いです。
出番待ち
御神木です。
階段には、最初それほどいませんでしたが・・・・
太鼓と鐘がおりました。 鹽竈神社の神輿は掛け声をかけません。
緊張の瞬間・・・およそ1トンの神輿はずっしりと肩に食い込みます。
下で逆向きになり、神輿の先を抑えないとニュートンの法則に負けてしまいます。
じっとこらえます。 後ろと足並みを揃えます。
見えない足元は、感覚だけがたよりです。
心配そうに神輿を見上げています。 みんなハラハラドキドキなんです。
写真を並べますので、ご覧下さい。
いつも下からの撮影でしたが、今回は表参道の階段の上部で撮影しました。ここが一番緊張するところです。
手ぶらでさえ、降りるのが大変な狭くて急な202段の階段です。
鹽竈桜も満開でした。 その記事はこの後すぐにUPしたいと思います。 それでは境内の様子からどうぞ。
江戸中期安永年間旱天が続き作物も稔らずに困り、氏子が鹽竈神社に祈願したところ気候も順調となり、作柄も良くなったので感謝の意味を込めて安永7年(1778)3月10日に神輿を出し御神幸したのが始まりで、明治5年の改暦後祭日を4月25日に改められ、丁度桜の花が満開の時期である事から「花祭」と称するようになった
。昭和60年、市民の総意に基づき祭日を4月第4日曜日に行われるようになる。 (鹽竈神社ホームページより)
山門の前では神輿の準備中、この神輿は約1トンあり16人の輿丁により、担がれます。
子供たちもお参りし準備に入りました。
いつも可愛いです。
出番待ち
御神木です。
階段には、最初それほどいませんでしたが・・・・
太鼓と鐘がおりました。 鹽竈神社の神輿は掛け声をかけません。
緊張の瞬間・・・およそ1トンの神輿はずっしりと肩に食い込みます。
下で逆向きになり、神輿の先を抑えないとニュートンの法則に負けてしまいます。
じっとこらえます。 後ろと足並みを揃えます。
見えない足元は、感覚だけがたよりです。
心配そうに神輿を見上げています。 みんなハラハラドキドキなんです。
水のない小川跡を越えて直ぐです。