
以前にもチョットだけ七ヶ宿の記事を書きましたので、説明は省きます。
前回記事はこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/6809b23d7dbbf5c80eee8193a8092ea8面白い物がありますwww
七ヶ宿街道を往復した出羽の十三家大名(安政五年関本陣記録)
秋田藩 20.6万石 佐竹右京太夫
荘内藩 14.7万石 酒井左衛門尉
弘前藩 10.0万石 津軽 越中守
松山藩 2.5万石 酒井 大学頭
本庄藩 2.0万石 六郷 筑前守
山形藩 6.0万石 水野 和泉守
天童藩 2.0万石 織田兵部少輔
新庄藩 6.8万石 戸沢上総介
亀田藩 2.0万石 岩城修理太夫
上山藩 2.0万石 松平山城守
黒石藩 1.0万石 津軽本次郎
長瀞藩 1.1万石 米津相模守
矢島藩 1.0万石 生駒篤太郎
秋田・山形・青森の日本海側の大名はこの街道を使ったのですね。
最初は伊達地方から米沢城への連絡路として頻繁に用いられたようです。
チョット前までは、一部大型車両のすれ違いが出来ないところがありましたよ。
現在は山形側から、白石市に抜けますが、当時は途中から福島県よりに小坂峠を抜け桑折町
(桑折宿)に抜けました。
湯原宿 峠田宿 滑津宿 関宿

屋号を片っ端から撮ってきました。










まだ、雪囲いを外していませんね。雪深いのがわかりますね。








次回は峠田宿です。
前回記事はこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/6809b23d7dbbf5c80eee8193a8092ea8面白い物がありますwww
七ヶ宿街道を往復した出羽の十三家大名(安政五年関本陣記録)
秋田藩 20.6万石 佐竹右京太夫
荘内藩 14.7万石 酒井左衛門尉
弘前藩 10.0万石 津軽 越中守
松山藩 2.5万石 酒井 大学頭
本庄藩 2.0万石 六郷 筑前守
山形藩 6.0万石 水野 和泉守
天童藩 2.0万石 織田兵部少輔
新庄藩 6.8万石 戸沢上総介
亀田藩 2.0万石 岩城修理太夫
上山藩 2.0万石 松平山城守
黒石藩 1.0万石 津軽本次郎
長瀞藩 1.1万石 米津相模守
矢島藩 1.0万石 生駒篤太郎
秋田・山形・青森の日本海側の大名はこの街道を使ったのですね。
最初は伊達地方から米沢城への連絡路として頻繁に用いられたようです。
チョット前までは、一部大型車両のすれ違いが出来ないところがありましたよ。
現在は山形側から、白石市に抜けますが、当時は途中から福島県よりに小坂峠を抜け桑折町
(桑折宿)に抜けました。
湯原宿 峠田宿 滑津宿 関宿

屋号を片っ端から撮ってきました。










まだ、雪囲いを外していませんね。雪深いのがわかりますね。








次回は峠田宿です。
さすが~七ヶ宿街道です。
たくさんの大名が通ったのですね~~
屋号も面白いのがたくさんあるのですね。
入口の集落までしか行ったことがないので、
奥の方まで、いつか行ってみたいものです。
冷涼の土地にあった米は未開発の時代でした。
現代の生産力でしたら石高は倍以上でしたでしょうね。
茅葺屋根の形に合わせた「覆い」が目立ちます。
昭和30年代は母親の実家もカミさんの実家も皆コレでした。
茅葺の葺き替えは材料も人手も想像以上に負担が大きいですからね。
それはわかっているのですが、でもやっぱり「覆い」はどうも・・・
いやいや・・ここは、車を降りて
メタボな腹が上下に揺れましたwww
昨日時刻表を買いました。
やっぱ、撮鉄には不可欠でしょ!ww
家の破風だの土蔵の屋根の妻だのに屋号が付いてるのは見たことあっけど・・・
わざわざ柱建てて表札みたいにしてるのは初めて見た
ちなみに幕末のランキングで伊達家の石高は前田、島津に次いで全国3位。
比べちゃ2万石の大名が気の毒だよぉ~ん
屋号風の看板もありましたよ。
看板でわかる様になってるんですね(^_-)
一種の商店看板でしょう~か (^_-)-☆
雪国らしい屋根が興味深いです ♪
ところが意外と宿場が違っても同じ屋号があったような?