このブログの中では二度目の大内宿です。
大内宿は、会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。
南山通り・下野街道・日光街道・会津西街道とも呼ばれ、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時会津藩と友好関係にあった米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線でした。
また、以前の記録では天正18年(1590年)伊達政宗の小田原参陣、同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録があります。
それでは、宿場街にタイムスリップ
おばぁちゃんに声を掛けて撮らせてもらいました。
ねぎ一本で食べるそば・・・・「食べてみますか!」
ねぎ太いですよね。時々ネギを丸かじりしながら、蕎麦をかっこみます。ズズズズズーーーー
側溝の水で「ラムネ」などを冷やしていますね。
屋根の軒にぶら下げられたこれは・・・マメコバチの巣です。
リンゴ・梨・桃の農家には欠かせない仲間です。
近年マメコバチが減ったというニュースを聞きます。このように環境を作ってあげるのも対策なのでは?
街道の奥には・・・・
急な階段を上ると、この景色が見えたのですね。
さぁ、次はどこに・・・・
大内宿は、会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。
南山通り・下野街道・日光街道・会津西街道とも呼ばれ、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時会津藩と友好関係にあった米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線でした。
また、以前の記録では天正18年(1590年)伊達政宗の小田原参陣、同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録があります。
それでは、宿場街にタイムスリップ
おばぁちゃんに声を掛けて撮らせてもらいました。
ねぎ一本で食べるそば・・・・「食べてみますか!」
ねぎ太いですよね。時々ネギを丸かじりしながら、蕎麦をかっこみます。ズズズズズーーーー
側溝の水で「ラムネ」などを冷やしていますね。
屋根の軒にぶら下げられたこれは・・・マメコバチの巣です。
リンゴ・梨・桃の農家には欠かせない仲間です。
近年マメコバチが減ったというニュースを聞きます。このように環境を作ってあげるのも対策なのでは?
街道の奥には・・・・
急な階段を上ると、この景色が見えたのですね。
さぁ、次はどこに・・・・
食べるそば~絶品でせう(^-^)
ねぎも絶品?!☆~(ゝ。∂)
興味ありますね。
行ってみたいです。
ねぎ一本のそばは知ってましたが、食べられるものなのでしょうか?
箸が欲しくなりませんでしたか?
もったいないことをしました。
立派なネギでしたからね。
最近忙しくて(いつもですが)UPするので精一杯でした。
一本で食べますからどんぶり持ってすすらないと駄目ですね。
全部食べましたよ。
大混雑で 集合に遅れそうになったことがぁ
蕎麦は旨かったぁ♪
時間を切り詰めて、沢山の場所を入れないとツアーの客が集まらないという考えなのでしょう。