鹽竈神社の裏坂の参道にこの「亀井邸」がある。
亀井とは、亀井商店・・・現在の総合商社カメイ(株)のカメイです。
和洋併置式住宅の建物は初代社長の亀井文平氏が大正13年に建築したものです。
この様式は、明治時代の上流階級(皇族・華族階級)の大邸宅に用いされたそうです。
残念ながら、今回は震災の影響で洋館の方には立ち入ることができませんでした。
今頃は、塩竈deひな巡り2012が開催されていることでしょう。
鹽竈神社の裏坂を上ると入口が見えました。
ここには、150年続く「おさんこ茶屋」さんなどが店を出していましたね。
昔は、裏参道が本塩釜駅に近かったので参拝者もこの坂を通りましたが、今は自家用車やバスで中腹の駐車場まで行きますので、客足が減りこの店は止めたのでしょう。
玄関を入るとその足元には縁起の良い徳利と杯が組み込まれた板が・・・上を見ると宮大工の作で凝った飾りの天井があった。
二階へ
日本石油の社章である「こうもり印」をかたどった鋳物の取手とハッピ
余震が今でも続いていますのでこんなものが・・・
窓越しに見えるのが、洋館です。
洋館の外壁には当時パリから始まった植物の枝や蔓(つる)を思わせる曲線の流れを特色とするアールヌーボー様式などなど・・・幾何学模様などが取り入れられています。
二階に展示してあった絵図なのですが、室町時代の絵で松島を描いた最古の図と言われています。
遊行上人縁起絵
塩竈の絵です。 右手に御釜があり現在の本町だそうです。
こちらは松島です。 左下にはすかし橋が何本かあり、五大堂です。 右に見えるのは瑞巌寺でしょうか?
亀井とは、亀井商店・・・現在の総合商社カメイ(株)のカメイです。
和洋併置式住宅の建物は初代社長の亀井文平氏が大正13年に建築したものです。
この様式は、明治時代の上流階級(皇族・華族階級)の大邸宅に用いされたそうです。
残念ながら、今回は震災の影響で洋館の方には立ち入ることができませんでした。
今頃は、塩竈deひな巡り2012が開催されていることでしょう。
鹽竈神社の裏坂を上ると入口が見えました。
ここには、150年続く「おさんこ茶屋」さんなどが店を出していましたね。
昔は、裏参道が本塩釜駅に近かったので参拝者もこの坂を通りましたが、今は自家用車やバスで中腹の駐車場まで行きますので、客足が減りこの店は止めたのでしょう。
玄関を入るとその足元には縁起の良い徳利と杯が組み込まれた板が・・・上を見ると宮大工の作で凝った飾りの天井があった。
二階へ
日本石油の社章である「こうもり印」をかたどった鋳物の取手とハッピ
余震が今でも続いていますのでこんなものが・・・
窓越しに見えるのが、洋館です。
洋館の外壁には当時パリから始まった植物の枝や蔓(つる)を思わせる曲線の流れを特色とするアールヌーボー様式などなど・・・幾何学模様などが取り入れられています。
二階に展示してあった絵図なのですが、室町時代の絵で松島を描いた最古の図と言われています。
遊行上人縁起絵
塩竈の絵です。 右手に御釜があり現在の本町だそうです。
こちらは松島です。 左下にはすかし橋が何本かあり、五大堂です。 右に見えるのは瑞巌寺でしょうか?
バットマンにあげたい賀茂 (^^♪
社章が蝙蝠だったんですか!
初めて知りました
こうもり…福ってことですね♪
この冬我が家に迷い込んだ蝙蝠におしっこかけられたのは
福が付いたって事と考えちゃいます。
この亀井亭がまだ、社宅の時代。記憶はあいまいなのですが、母と行った記憶があります。
誰に御用があったかは覚えておりません。
ただ、あの廊下を走って叱られたことは覚えております。
玄関の足つきの瓢箪徳利の木彫りが、商家らしい演出。大正時代のタイルですから、これも貴重ですよね。欄間は、今祝儀用の木彫りですが、おそらく、春夏秋冬で使い分けられていたと推察します。取り外し可能ですので、使い分けていたと思います。
11日の地震より4月7日の地震での痛みが激しいと聞きました。庭先の灯篭もそれで壊れたとも。何故か、落ち着く建物なのです。
常連となっております。
お月見のイベントに参加したいです。
こうもりにおしっこかけられた書き込み私です。
震災で壊されなくて良かったですね。
そろそろ震災後一年になろうとしていますが、
そちらではまだまだ苦労されていることでしょうね。
子供の頃竹を振り回してコウモリに意地悪してました。 反省。
鳥のふんはありますが、蝙蝠の小便は、見たことがありませんね。かなりついていると思います。
そんなときは、宝くじですかね。
下から全景を撮るのを忘れました。
ここで流されていたDVDも買って来ました。
ハッピの赤い柄? ウロ覚えですが
キグナスに似てるやうな?
見かけなくなりましたが合併したようですね。
洋館が見れないので物足りなかったです。