震災関係を先にUPさせていただきます。
一年経って、再び野蒜駅に向かいました。
途中、陸前大塚駅そして間も無くディーゼルで矢本から延長される小野駅の様子を見て来ました。
海が目の前にありながら大きな被害が無かった陸前大塚駅の様子です。
マップや写真で見てもらうとわかるのですが、海沿いであることがわかります。
何故ここを避け、東名駅や野蒜を襲ったのか?・・・・・
駅舎は、形を残している津波は来なかったわけではないが、力が拡散したのでしょう。
ホームに立つとこんな景色が広がっている。 嘘の様な長閑な景色だ。
野蒜方面です。 この駅を挟んで架線の電柱は、波で打たれ傾いていた。
東名駅は、潮干狩りで有名だが、海側の町はすっかり無くなった。
海水がまるで田園のように流れ込み地盤が下がったのを感じます。
写真は撮りませんでした。
間も無くすると以前にも紹介しましたが野蒜駅です。
以前の記事野蒜駅&仙石線あれから半年
時計もあの時のまま時間は止まっている。
海は駅舎の向こうだが、船は陸側にあった。
3月17日に陸前小野ー矢本間(4.2km)と石巻線の石巻ー渡波駅間(8km)が運行再開される。
その準備で陸前小野駅も忙しそうだった。
駅舎の横に真新しい自動販売機が設置されるようだ。
ホーム柵代わりに足場用の鉄パイプを利用している。
当面折り返し運転のため一本の軌道を使用しないようだ。
今朝帰りましたが、今からまた出勤です。 いつものことですが、返信等後ほどします。
すみません。
一年経って、再び野蒜駅に向かいました。
途中、陸前大塚駅そして間も無くディーゼルで矢本から延長される小野駅の様子を見て来ました。
海が目の前にありながら大きな被害が無かった陸前大塚駅の様子です。
マップや写真で見てもらうとわかるのですが、海沿いであることがわかります。
何故ここを避け、東名駅や野蒜を襲ったのか?・・・・・
駅舎は、形を残している津波は来なかったわけではないが、力が拡散したのでしょう。
ホームに立つとこんな景色が広がっている。 嘘の様な長閑な景色だ。
野蒜方面です。 この駅を挟んで架線の電柱は、波で打たれ傾いていた。
東名駅は、潮干狩りで有名だが、海側の町はすっかり無くなった。
海水がまるで田園のように流れ込み地盤が下がったのを感じます。
写真は撮りませんでした。
間も無くすると以前にも紹介しましたが野蒜駅です。
以前の記事野蒜駅&仙石線あれから半年
時計もあの時のまま時間は止まっている。
海は駅舎の向こうだが、船は陸側にあった。
3月17日に陸前小野ー矢本間(4.2km)と石巻線の石巻ー渡波駅間(8km)が運行再開される。
その準備で陸前小野駅も忙しそうだった。
駅舎の横に真新しい自動販売機が設置されるようだ。
ホーム柵代わりに足場用の鉄パイプを利用している。
当面折り返し運転のため一本の軌道を使用しないようだ。
今朝帰りましたが、今からまた出勤です。 いつものことですが、返信等後ほどします。
すみません。
あの時のままの時計、悲しみを嫌でも思い出してしまいます。
一年経っても何も変わっていません。
大きな瓦礫が撤去されただけですね。
片付かない瓦礫は、もの凄い山になっています。
標高数十メートル山のようです。
いまの政府の体制
やはり だめですね (+_+)
錆びた線路もさることながら
止まったままの時計が悲しい・・・
松島から野蒜。そして大高森、月浜、室浜へと。「自転車コースだったんだ」と威張って?話をしました。
「風が気持ちいい」
「ここが松島なんだな」と。
最後はお決まりですが「またこよう」と。
シティラピッド君は、小学校時代、一人で仙石線鈍行の旅をいたしました。
親父との合流地点が陸前大塚駅。
少し遅れた親父殿でしたが、小学生が一人ホームで海を眺めていたそう。
地元の人が心配して声をかけてくれたのが嬉しかったとも話しておりました。
震災前の風景を彼らに案内できたこと。
良かったと思いました。
ですが、何とも、心が痛い、写真です。
海水浴。潮干狩り。釣り。
どれも思い出がいっぱいの場所。
時計は今だ進まない。
声が出ません。
政府は、税金を絞り取ろうと必死です。
そっちで頭がいっぱいなのでしょう。
政府は、税金を絞り取ろうと必死です。
そっちで頭がいっぱいなのでしょう。
海側は、手付かずですね。
瓦礫でお騒がせしておりますが、ものすごい山に驚きます。
生で見ると圧巻です。