![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/0d/b8d73576e005d448404d0a0ae0cbf182.jpg)
諏訪神社
残念ながら由緒が見当たりません(しばらくお待ち下さい!きっと「ぐずらさん」が「七ヶ浜町史」から写真を撮って私のところに送ってくれるでしょう)
一の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/26/004d055c961519fb8fe860698e15e664.jpg)
実は、この神社は菖蒲田にありメインストリート沿いにあるわけですが、小さい頃から、親戚の家に行くのにこの前を通りながら気づいて居なかったのです。
今年、正月を迎える為の注連縄等の飾りで気づきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/74/59aaf1415e548c333b770858a9296c27.jpg)
二の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/f7/615d8ea4541411a23f573d4bd60d2ced.jpg)
お手水
何やら沢山ぶら下がってますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/37/3346ede4b0a722a5eb6ffef10673dad5.jpg)
やっと狛さまが見えてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/20/41b884ece4ef81d8a718ec890d7a7441.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/6f/8dbaa42ea901def29c74679ea2808390.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e6/74e7534155323521bf2be4140e0c61e3.jpg)
苔むしてますね~ 年齢不詳
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/0a/c934c51bcc2dfcee039815027438b3a6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/12/380477607457b71b76c3d8e476190239.jpg)
鐘楼 釣鐘がありましたね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/01/50b52261e61d00e6f228acebb7eb6442.jpg)
暗いのでストロボ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/51/6f66c6fc9f549e6a37420fd350d4f13d.jpg)
三の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/c5/4ded49ea072bb90022db4b26cefac42e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/80/6d0dd2e59b9bd3c95eca7434d30c17ab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/31/ad730826d7d36478ed6b4b68740aa477.jpg)
この拝殿・本殿・・・造りが、先日の鼻節神社とそっくりですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/c5/cf1dd6dd84328ad638999396d939ca91.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/fd/7e55be487e99ee2fb8aececddb1d65aa.jpg)
大正15年の文字が・・・
合縁奇縁
縁とは不思議なものです。
この諏訪神社の写真を撮り終え、最初の一の鳥居に戻った時、一人の青年が鳥居のあたりで写真を撮っていました。
おっ! 同士発見か? きっとブログでも書いているのかも知れない?と思いながら、彼とすれ違いました。
声を掛けようと、道路を渡らずチョット待っていたのですが、写真に夢中だったようで私も道路を横断し車に戻りました。
この日は、鼻節神社とこの諏訪神社を参拝しましたが、彼も同じく二つの神社を参拝したようです。
何故わかったのか・・・・
鼻節神社の記事をアップしたとき、林さんからのコメントに「同じ神社の記事をアップしている人が居ましたよ。」とあったのです。
最初見逃していたのですが、家内が見つけ、そのアドレスにアクセス・・・・
家内は「あの時の人だよ!」・・・・すぐにわかりました。
青いバイクを鳥居の背景に入れ写真を撮っていたからです。
あの時の彼のブログがこんなに早く見つかるとは、あまりの偶然に私は驚きました。
そのブログがこれです。 「東海林順の一人旅」です。その時の記事を貼り付けました。
彼も私のことは覚えていてくれたようです。
残念ながら由緒が見当たりません(しばらくお待ち下さい!きっと「ぐずらさん」が「七ヶ浜町史」から写真を撮って私のところに送ってくれるでしょう)
一の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/26/004d055c961519fb8fe860698e15e664.jpg)
実は、この神社は菖蒲田にありメインストリート沿いにあるわけですが、小さい頃から、親戚の家に行くのにこの前を通りながら気づいて居なかったのです。
今年、正月を迎える為の注連縄等の飾りで気づきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/74/59aaf1415e548c333b770858a9296c27.jpg)
二の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/f7/615d8ea4541411a23f573d4bd60d2ced.jpg)
お手水
何やら沢山ぶら下がってますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/37/3346ede4b0a722a5eb6ffef10673dad5.jpg)
やっと狛さまが見えてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/20/41b884ece4ef81d8a718ec890d7a7441.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/6f/8dbaa42ea901def29c74679ea2808390.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e6/74e7534155323521bf2be4140e0c61e3.jpg)
苔むしてますね~ 年齢不詳
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/0a/c934c51bcc2dfcee039815027438b3a6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/12/380477607457b71b76c3d8e476190239.jpg)
鐘楼 釣鐘がありましたね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/01/50b52261e61d00e6f228acebb7eb6442.jpg)
暗いのでストロボ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/83/d3d87745b40246e9acbf31793d9efd33.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/51/6f66c6fc9f549e6a37420fd350d4f13d.jpg)
三の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/c5/4ded49ea072bb90022db4b26cefac42e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/a6/b945eda5b756f5790af8d121c242ae4b.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/31/ad730826d7d36478ed6b4b68740aa477.jpg)
この拝殿・本殿・・・造りが、先日の鼻節神社とそっくりですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/c5/cf1dd6dd84328ad638999396d939ca91.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/fd/7e55be487e99ee2fb8aececddb1d65aa.jpg)
大正15年の文字が・・・
合縁奇縁
縁とは不思議なものです。
この諏訪神社の写真を撮り終え、最初の一の鳥居に戻った時、一人の青年が鳥居のあたりで写真を撮っていました。
おっ! 同士発見か? きっとブログでも書いているのかも知れない?と思いながら、彼とすれ違いました。
声を掛けようと、道路を渡らずチョット待っていたのですが、写真に夢中だったようで私も道路を横断し車に戻りました。
この日は、鼻節神社とこの諏訪神社を参拝しましたが、彼も同じく二つの神社を参拝したようです。
何故わかったのか・・・・
鼻節神社の記事をアップしたとき、林さんからのコメントに「同じ神社の記事をアップしている人が居ましたよ。」とあったのです。
最初見逃していたのですが、家内が見つけ、そのアドレスにアクセス・・・・
家内は「あの時の人だよ!」・・・・すぐにわかりました。
青いバイクを鳥居の背景に入れ写真を撮っていたからです。
あの時の彼のブログがこんなに早く見つかるとは、あまりの偶然に私は驚きました。
そのブログがこれです。 「東海林順の一人旅」です。その時の記事を貼り付けました。
彼も私のことは覚えていてくれたようです。
あ~あの頃か~と考えていました。
実は、三島さんや丹治さんと一度居酒屋で初めて顔を合わせて飲んだことがあります。
丹治さんは教授だったような? 三島さんのおじいさんは、戦艦大和の通信士しており、大和と共に亡くなりました。考えてみると長い間ブログを続けていて良かったなと考えております。
この神社の鳥居は津波で壊れましたが復興しています。
黒曜石で考えると鉄の前の狩猟の道具ですよね。
三島との繋がりもどうも見えてくるように思います。
あと玄関としての海沿いの町、大事ですよね。名取ももちろん気になります。
太平洋側で南北に動いていてそして各地で上陸したあたりで役目を果たしていた民族の存在も横に内陸に入ってくる。
歴史では福島で誰かが出会ったとかありましたけど沿岸ですでに会ってそうな気もしますよね。そして金属が悪用されたようにも。本来は人間の糧を得る物であり、道具の利用として食物加工に使われていたはず。そこにポイントを絞って、ありがたい神様に感謝出来ると争いがあっても武器として道具をエスカレートして作らずとも同じ目的の為だけに利用も目的も人間の命の為だけになりますよね。
タケミカヅチの息子は諏訪に行ってからどこに行っているのか?ずっと探していましたけど、候補地になりますよ。コロナの薬でも糸魚川の工場が稼働するとか聞いたら黒姫山なんて出てきたんですよね。黒姫ってのもお年をめしたら白姫になるんじゃないかな?
黒姫山古墳も久々みたらなんと丹比なんて文字出てきて、丹治比氏関係してきそうなんて当時は気付いてませんでしたけど今妄想してしまいますよ。コメントにも丹比さんのコメントもあるんでまたびっくりですよね。縁って振り返ると納得出来ることってあちこちにあるけど気付いていないもんなのでしょうね。
面白い出会いも深読みしてしまいますよ。経由した方のおお名前も方程式にぴったりのように思います。
昔夢で白い馬と黒い馬がクロスして木にくっ付いていたんですけど白と黒と別々で探ってきましたけどやっぱりくっ付いてくるように思うんですよね。ヤタガラスあたりも三本足とか杖付いてるとか、白でも黒でもおんなじように思いますね。
よく出版社からの依頼もよくあります。
普通はクレジットで名前などを入れてもらってますが、特にかまいません。
私も、震災でみなし仮説におります。
その後の諏訪神社にも行きたいのですが、岩手に行って取材したりで、地元が遅くなっています。
入口にあった鳥居が無くなりましたね。七ヶ浜には親戚も家を流され現在仮設に2軒ほどお世話になっております。
私も見に行って唖然としました。
そしてまだまだ山積み瓦礫には困ったものですね。
貴殿のご活動も大変かと思いますが、お体に留意され前進していって下さい。御活躍期待しております。
諏訪神社のお祭りの記事を書く上で、
震災前の神社の画像を探しておりました。
こちらの画像を使用させていただきました。
事後報告で申し訳ございませんが、
ご承諾いただければ幸いです。
日本国中、義経に纏わる話が多いですからね。
宮城や岩手平泉も多いです。
宮城にはお墓もありますからね。
それでも避けられず、過去の記事にもチョコチョコ書いています。
不思議な魅力のある人物ですね。
実は 藤沢に白旗神社がありまして
義経関係で興味深いのですけれど
嵌ってしまうと出られなくなりそう
なので 来年にしようかなと~
(いつも鬼に笑われることばかり)
そうですか~ 名取にもね・・・
鼻節神社が塩竃神社と密接な関係があるとすれば、国府が置かれた時代とも関係がありますから、大和朝廷と共に文化が流れて来たと想像できます。私感ですが・・それ以前は、各豪族の地に祠を祀っていたのでは??
以前「アラハバキ神社」の記事を書いたことがあるのですが、大昔はこの蝦夷地の神はどこもアラハバキだったと聞いたこもあります。
まだまだ勉強不足ではあるのですが・・・
興味は尽きません。
諏訪神社と言えば、祀っているのはいるのは軍神ですね。
山形でも、駅から真っ直ぐ東に伸びる大通りの駅を背にして左側(と言うことは北?)に諏訪神社があります(何でも山形城の三の丸跡らしいです)。
鼻節神社の祭神が猿田彦なのは分ります。
多賀城の海の玄関口の塩竈(塩竈の香津町の「香津」は元来「国府津」だったらしいです)に入る船が舵を切る、いわば海の曲がり角ですから。
名取の笠島神社も猿田彦を祀っていると聞いたことがあります。こちらは多賀城の陸の玄関口。多賀城の海と陸の入口に天孫降臨の先導を務めた猿田彦を祀った神社があるのは「確かに」と思います。
「七ヶ浜に軍神を祀った神社。不思議なこともあるもんだ」と思って調べてみたら・・・
諏訪大社の祭神は、農業や海上安全の神でもあるんだそうです。勉強不足でした。
それにしても七ヶ浜の諏訪神社、いつ頃に誰が建てたのでしょうか。興味は尽きません。
諏訪神社と言えば、祀っているのはいるのは軍神ですね。
山形でも、駅から真っ直ぐ東に伸びる大通りの駅を背にして左側(と言うことは北?)に諏訪神社があります(何でも山形城の三の丸跡らしいです)。
鼻節神社の祭神が猿田彦なのは分ります。
多賀城の海の玄関口の塩竈(塩竈の香津町の「香津」は元来「国府津」だったらしいです)に入る船が舵を切る、いわば海の曲がり角ですから。
名取の笠島神社も猿田彦を祀っていると聞いたことがあります。こちらは多賀城の陸の玄関口。多賀城の海と陸の入口に天孫降臨の先導を務めた猿田彦を祀った神社があるのは「確かに」と思います。
「七ヶ浜に軍神を祀った神社。不思議なこともあるもんだ」と思って調べてみたら・・・
諏訪大社の祭神は、農業や海上安全の神でもあるんだそうです。勉強不足でした。
それにしても七ヶ浜の諏訪神社、いつ頃に誰が建てたのでしょうか。興味は尽きません。
あの頃から、ブログがあったら・・・と思います。
もうしばらくお待ちくださいね。
建御名方命を祭神とする神社ですね
全国で千社くらいあるようですね
昔の勢力圏が
垣間見えるようです~ね (^_-)~☆
石のようですね。
この神社に比べれば
、モコさんは、ピチピチ・・・・
赤ちゃんだね。wwwww
すれ違った人の名前もブログをしてることも知らないのに、その数日後、ブログを通じて挨拶をしているなんて・・・
不思議な感じです。
ご足労掛けました。
まぁ、諏訪大社の末社という形でしょうね。
相撲の奉納もありましたか~
いずれ時代時代で人々の信仰は、内容が変わって来るのは当然でしょうね。
サンキューでした。
歴史が刻まれていますね
戦争の中生き抜いてきたんだね
でも~
鳥居の門が木では無いみたいだねぇ~
歴史を感じさせる狛様です。
思わぬ同好の士との出会い、ちょっと嬉しいですね。
しかし、残念
創建は古いというだけで年代がわかりません…
でも一応気を取り直して由緒を、
ここは菖蒲田浜の鎮守として里人の尊崇を集めており、古くは狩猟神として
藩政時代には武神として信仰されたようです。
また、昔は祭礼に神輿渡御の他に相撲の奉納があり近在から力自慢が集まって賑わったそうです。
祭神は当然のことながら武御名方富命(タケミナカタトミノミコト)で諏訪大社の末社に当たりますね。
社殿の造りは神明造と書いてありましたが、神明造りなら切妻の平入りで
高い千木と太い鰹木が目立つはずなので、これは間違いでしょう。
いずれにしても、本来なら出雲系の神社なので大社造りでないとね…
おそらく、昔からこの辺りでは神社といえば塩竈神社なので
鼻節神社も諏訪神社も塩竈さんの社殿のまねしてんだろうねぇ~
ところで、町誌の書かれた昭和42年頃にはお諏訪さんの社林が一度皆伐されたらしく、
本には裸の社殿の写真が載ってたので、今の杉林は後から植えられたもののようです。
疲れました~
ウソデス
久しぶりにひーさんの記事見て
ホッとしましたっ!!
二の鳥居への階段は何段くらいあるんだろ?
ここを駆け上がったら息切れそう・・・。
まさか、煙草銜えながらじゃないだろな?
煙草をやめるように言って下さい。
「お父さんにはまだまだ働いてもらわないといけないだから!」と・・・
んでもストレス溜まっかな~。
手前にあるセブンと農協が目立ちますからね
町誌の件、了解です!
ぐずらは只今ウォーキング中。戻ってきたら伝えておきますね