下總國一之宮 香取神宮
鎮座地:下總國一之宮 香取神宮
平成18年3月佐原市・小見川町・栗源町・山田町が合併し「香取市」が誕生。(旧:千葉県佐原市香取1697)
御祭神:経津主大神(ふつぬしのおおかみ)又は御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)
御由緒:はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ / 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。
葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。
このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。
出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。 <HPより>
どう見てもやはり鹽竈神社と同じですね。
みなと祭
遅れましたが、4月5日に訪問したときの写真です。
天降神社 市神社
伊伎志通保神 事代主神
諏訪神社
武御名方神
【要石】
香取鹿島の大神、往古この地方 尚ただよえる国であり、地震が多く地中に住み着く大鯰魚を抑える為、地中深く石棒を差し込みその頭尾をさし通した。 香取は凸形、鹿島は凹形である。
伊能穎則「あづま路は香取鹿島の二柱うごきなき世をなほもるらし」
押手神社 宇迦之御御魂神
不明?
「奥宮」ここでも御朱印をもらおうと思いましたが、テントには誰もおらずもらえませんでした。
鎮座地:下總國一之宮 香取神宮
平成18年3月佐原市・小見川町・栗源町・山田町が合併し「香取市」が誕生。(旧:千葉県佐原市香取1697)
御祭神:経津主大神(ふつぬしのおおかみ)又は御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)
御由緒:はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ / 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。
葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。
このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。
出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。 <HPより>
どう見てもやはり鹽竈神社と同じですね。
みなと祭
遅れましたが、4月5日に訪問したときの写真です。
天降神社 市神社
伊伎志通保神 事代主神
諏訪神社
武御名方神
【要石】
香取鹿島の大神、往古この地方 尚ただよえる国であり、地震が多く地中に住み着く大鯰魚を抑える為、地中深く石棒を差し込みその頭尾をさし通した。 香取は凸形、鹿島は凹形である。
伊能穎則「あづま路は香取鹿島の二柱うごきなき世をなほもるらし」
押手神社 宇迦之御御魂神
不明?
「奥宮」ここでも御朱印をもらおうと思いましたが、テントには誰もおらずもらえませんでした。
二点気付きましたよ。
4/14が例大祭って全く知りませんでした。
フツさんが一番好きだったのに、自分でもびっくりです。で4/13あたりで中将姫絡みや色々な神社お寺でもこの時期色々あるみたいでびっくりしていたばかりだったんですけどこちらも14だったんですね。びっくりです。
あともうもう一つ気付いたのが、要石好きなのにまだ行けていない事。奥宮もです。次回絶対に行きたいです。
ひーさんが記事にしていくれなかきゃまず思い出してもいなかったし、気づかなかった事。
押の付く神社の前で蛇出てきて子供がびっくりしたのを思い出しました。ウカさんだったんですね。
こちらに言って現地の方から聞いた話では、神様にはお酒より塩だと。今度行ったら昔聞いたんですけどって聞いて来ようと思っています。
香取神宮は由緒も規模もなかなか壮大です。でも、しおがまさんも負けてないぞ!
下總は陸奥と同じように昔から地震に悩まされていたのですね。
大鯰魚は制御しきれないまま、平成もおしまいです。
親父の葬儀の前日、マリンゲートの屋上から御座船を眺めていました。
もうお酒呑んだのでいずれ行けませんが。
花まつりも28日でしたが、仕事でいけないようです。
今月は、娘夫婦の転勤引っ越しや、孫の出産で大坂に行ったり・・・ほぼ半月有給休暇を取りました。
そうです。大坂は堺市に行きました。あそこには古墳群があります。 行ってきましたよ。 二日続けて1万歩以上歩きましたよ。
やはり、一之宮はどこもそれなりの立派な神社ですね。
いずれ全部制覇しますかね。
あの御座船・・・・・何代目何でしょうね。
「鳥の船」と子供の頃は言っていました。 昔は、鶏だ?ぐらいにしか考えていませんでした。
松島でレストランになったのも御座船だったかな?
モノクロの記憶の昭和から現在の平成・・・令和には、何が待っているのだろう。