![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/93/018d64cc3e59318fc98e3e83658afc41.jpg)
難しい話は、自分も苦手なので・・・
この本には1世紀頃からの文化や交易・交流が書いてありますが、カットしてアイヌにかかわるところを、チョットご紹介。
北海道と東北地方には、文化的に共通する部分が多く存在します。
アイヌ語にもとづく地名が多く見られるのもその一つでしょう。
続縄文文化は、わずかな鉄を受け入れ、北海道中心に狩猟・漁労・採集の生活をおくり、水田稲作は東北地方北部まで拡がったが、受け入れなかったようです。
本州の律令国家と北海道のオホーツク文化の人々の北方交易は大陸まで及ぶ北方世界に大きなネットワークを築いていたようです。
山丹交易
山丹とは、近世の日本において黒龍江「アムール川」下流域を指す名称で、この地方に住む人々を山丹人と呼んでいました。
山丹人が樺太「サハリン」で北海道のアイヌの人々と行った交易を山丹交易と呼びます。
回り回ってその交易の中で、中国製の錦や玉類などを、樺太や北海道のアイヌの人々が狩猟で獲た毛皮と交換したのです。
この交易は近世の鎖国制下における密貿易であったのです。
この絵を見て下さい。 アイヌの酋長の絵です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/c4/07fdd22fb158b099a3d27a81bdfa83a0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/95/2eac98deca6c918b7465131dfae83e8f.jpg)
中国錦が服装に入っているような・・・・?
大陸沿海州の人々から中国製の錦《蝦夷錦》や玉類などがもたされました。
蝦夷錦です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0156.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/7b/71f80e391f400ee92f1b54e6395ee632.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/eb/dfb9fb84232b174b1696dc016d8bf92c.jpg)
この衣類が展示してあったのですが、アイヌの衣装と言うよりも・・・
モンゴルの衣装に見えませんか 写真は本を転写しました。
グズラさんのコメントから
屈捺失律(クナシリ)の惣部酋長(そうぶしゅうちょう)の貲吉諾謁(ツキノエ)の肖像ですね。蝦夷錦の盛装がカッコいいですね♪
この肖像が描かれた18世紀半ば過ぎの蝦夷地はほとんど和人の支配地で、国後や厚岸などが辛うじてアイヌの直轄領地、ロシア貿易で羽振りのいい最後の大酋長ってとこかな?
その後、18世紀末には国後騒動が起き、鎮圧後には国後のツキノエや厚岸のイトコイなどの大酋長達も没落して、蝦夷錦の盛装も廃れていったようです。
カラフトアイヌの衣装です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0156.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/2d/b449d100360dc82c83996d9edd9a11e8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/72/e26f45dc1d71f90356c02e69ac157bda.jpg)
私達が観光で見るアイヌ民族の衣装の柄はこちらの方が近いですね。
蝦夷嶋奇観と言う絵の一部です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/17/cf614d3257307644cc7653e86a240357.jpg)
北夷談と言う絵です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/47/2466e01c77d10f2c7003e737cca515ab.jpg)
まだまだ奥が深いアイヌです・・・・・
この本には1世紀頃からの文化や交易・交流が書いてありますが、カットしてアイヌにかかわるところを、チョットご紹介。
北海道と東北地方には、文化的に共通する部分が多く存在します。
アイヌ語にもとづく地名が多く見られるのもその一つでしょう。
続縄文文化は、わずかな鉄を受け入れ、北海道中心に狩猟・漁労・採集の生活をおくり、水田稲作は東北地方北部まで拡がったが、受け入れなかったようです。
本州の律令国家と北海道のオホーツク文化の人々の北方交易は大陸まで及ぶ北方世界に大きなネットワークを築いていたようです。
山丹交易
山丹とは、近世の日本において黒龍江「アムール川」下流域を指す名称で、この地方に住む人々を山丹人と呼んでいました。
山丹人が樺太「サハリン」で北海道のアイヌの人々と行った交易を山丹交易と呼びます。
回り回ってその交易の中で、中国製の錦や玉類などを、樺太や北海道のアイヌの人々が狩猟で獲た毛皮と交換したのです。
この交易は近世の鎖国制下における密貿易であったのです。
この絵を見て下さい。 アイヌの酋長の絵です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/c4/07fdd22fb158b099a3d27a81bdfa83a0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/95/2eac98deca6c918b7465131dfae83e8f.jpg)
中国錦が服装に入っているような・・・・?
大陸沿海州の人々から中国製の錦《蝦夷錦》や玉類などがもたされました。
蝦夷錦です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0156.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/7b/71f80e391f400ee92f1b54e6395ee632.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/eb/dfb9fb84232b174b1696dc016d8bf92c.jpg)
この衣類が展示してあったのですが、アイヌの衣装と言うよりも・・・
モンゴルの衣装に見えませんか 写真は本を転写しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
屈捺失律(クナシリ)の惣部酋長(そうぶしゅうちょう)の貲吉諾謁(ツキノエ)の肖像ですね。蝦夷錦の盛装がカッコいいですね♪
この肖像が描かれた18世紀半ば過ぎの蝦夷地はほとんど和人の支配地で、国後や厚岸などが辛うじてアイヌの直轄領地、ロシア貿易で羽振りのいい最後の大酋長ってとこかな?
その後、18世紀末には国後騒動が起き、鎮圧後には国後のツキノエや厚岸のイトコイなどの大酋長達も没落して、蝦夷錦の盛装も廃れていったようです。
カラフトアイヌの衣装です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0156.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/2d/b449d100360dc82c83996d9edd9a11e8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/72/e26f45dc1d71f90356c02e69ac157bda.jpg)
私達が観光で見るアイヌ民族の衣装の柄はこちらの方が近いですね。
蝦夷嶋奇観と言う絵の一部です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/17/cf614d3257307644cc7653e86a240357.jpg)
北夷談と言う絵です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/47/2466e01c77d10f2c7003e737cca515ab.jpg)
まだまだ奥が深いアイヌです・・・・・
すごく色鮮やかですね。
イメ~ジ違いすぎますね
むしろ南方系の色ずかいという感じ
いろんな文化と
独自の文化の融合なんでしょう~ね (^_-)-☆
体格はかなりよかったように思います。自分の考えですが、絵図を見ると、毛深い特徴を持ちますが、顔を見るとロシア系のような西洋人ぽいところもあるような?
この肖像が描かれた18世紀半ば過ぎの蝦夷地はほとんど和人の支配地で、国後や厚岸などが辛うじてアイヌの直轄領地、ロシア貿易で羽振りのいい最後の大酋長ってとこかな?
その後、18世紀末には国後騒動が起き、鎮圧後には国後のツキノエや厚岸のイトコイなどの大酋長達も没落して、蝦夷錦の盛装も廃れていったようです。
・・・つうことで、薀蓄大王のひーさんへの薀蓄がえし!でぃゃ~
さすが、ご先祖様の事は詳しいねぇ~
きっと反応があると思いましたよ。
北海道を思い出します・・・
そしてバター飴をなぜか連想・・・。
昔、子供の頃お土産によくもらったのが
アイヌ人の絵が書かれたバター飴だったんです。
何か、思い出しました!
金田一と言えば…あ~そうか、金田一京助と言えば、国語辞典の 言語学者でアイヌ語の研究家でもありましたね。確かに盛岡出身だから、アイヌ語に興味がわいたのかも、あの先生は名前を自由に使わせたとか…
だから、国語辞典には沢山使用されているらしいです。
息子さんが言ってたような?
アイヌや熊の木彫りは、意外とどの家庭にもあったりするんですよね。