ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

光明禅寺(光明寺:支倉常長の墓所の一つ)

2012年09月24日 21時27分42秒 | 仙台藩と伊達家のお話し
過去の記事で支倉六右衛門常長とサンファンバウティスタ号について数話に分けて記載してきました。
墓所についても三箇所ある内の二箇所である大郷町のメモリアルパークと川崎町の圓福寺はアップしていましたが、光明寺の墓は記事にしていませんでした。

過去の記事についてはこちらをご覧下さい。


http://sanpomichi114.web.fc2.com/hasekura01.html




正門です。




敷地の置くにひっそりとその墓はありました。







敷地にはソテロへの追悼の碑がありました。
「十IN MEMORIAM L.SOTELO」
これは、一般賛助者や仙台医師会からの寄贈のようです。
何故医師会なのかな~?と考えますと、以前の記事にこんなエピソードがありました。
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/f68596eb6003d5d9eed5a5d882615785
仙台藩に医療面でも貢献をしていたようです。勿論これは勝手な私の見解です。






隣にも現在の支倉家の墓が並んでおりました。



さて、未だにハッキリしない常長の死ですが、最近スペインの研究グループからの調査願いもあり、もう少し調べてみようと思います。

コリア・デル・リオ

支倉常長

コメント (6)    この記事についてブログを書く
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6 コメント

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Unknown (あーさん)
2012-09-25 00:19:57
花が絶えないやうな感じですねぇ

愛されているんだなぁ ♪
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あーさんへ (ひー)
2012-09-25 07:04:04
そうですね。
花がないと墓は寂しいものです。
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なるほど・・ (酔漢です)
2012-09-26 21:17:26
以前、散歩道で拝読した記事。
よくよく見ますれば、意味の大きいことが改めて解りますね。
日本史に残されるべき人物だったと感じ入りました。
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時代の (維真尽(^^♪)
2012-09-27 18:30:09
流れに翻弄されたんですね
宗教の問題は 難しいですね
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酔漢さんへ (ひー)
2012-10-01 12:45:15
風邪で3日ほどダウンしてました。
なかなか復活出来ませんね。
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維真尽さんへ (ひー)
2012-10-12 21:43:05
本来なら貴重な経験をした常長は日本にとって重要な人物だったはずです。
残念です。
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