スサノオについてこの本では、侵略者だ!として30ページに渡り説明しています。
渡来人でありオオクニヌシと敵対関係にあったが、記紀の作者が出雲親族と結びつける手段としてスサノオをオオクニヌシの父、又は祖神としたため両者の戦いをヤマタ大蛇退治の形ででしか描けなかった。
というわけでスサノオの説明を省く分けにもいかず、長くなりますが、記載したいと思います。
興味深いところもありますのでご覧ください。
古代出雲帝国に否定的な人でもスサノオノ命の存在は認めざるを得ないでしょう。
それは、「延喜式神明帳」(本には延喜神明式とあるのですが、この事かと?)
また、祗園社(八坂神社)・氷川神社の主祭神がスサノオであり、国内に広がりを見せているからでしょう。
スサノオの誕生を記紀ではこんな感じに書いてあります。
イザナミいる黄泉の国から逃げてきたイザナギは、九州の日向の橋という小さな瀬戸のほとりの阿波岐原で禊ぎ祓いをする。
この時、両眼からアマテラス大神とツクヨミノ命が、鼻からはスサノオノ命が生まれた。
所謂、三貴子の誕生である。
スサノオは「海原を治めよ」と命じられたがこれに従わず、連日のように激しく泣き青山を泣き枯らし河海を泣き乾すというありさまだった。
このため悪神が満ち満ち様々な災いが起こった。イザナギがその理由をただすと「イザナミのいる母の国、根之堅州国へ行きたい」と答えたのでイザナギは大いに怒って、「お前はこの国に住んではならぬ」と云って追い出した。
~(割愛)~
アマテラスのところに行きますが、結果、高天原を追放されます。
「草薙剣とオオクニヌシ」
老人夫婦と娘に会います、
夫婦はオオヤミツミ神の子アシナヅチとテナヅチで娘はクシナダ姫と名乗り「自分達には8人の娘がいたが高志(新潟)のヤマタノ大蛇に毎年一人ずつ食べられ今年は最後の娘の番です」という。
スサノオは身分を明かして娘を所望し、代わりに大蛇を退治しようと申し出た。
夫婦は喜んで同意した。
スサノオは娘を櫛に変えて自分の髪にさし老夫婦に酒を造らせ八つの樽に満たして大蛇を待った。
やがて大蛇がやってきて八つの頭で酒を飲み始めた。
物陰に隠れていたスサノオは剣で大蛇をずたずたに切った。
肥の川はその血で溢れ、真っ赤になって流れた。
尾を切ったときの剣の刃が欠けたので裂いてみると霊剣が出た。そこでスサノオは姉のアマテラスに献上した。
これが草薙の剣で皇位の御璽(みしるし)三種の神器の一つとされ、熱田神宮に祀られています。
八雲立つ
スサノオはクシナダ姫を妻とし出雲の須賀の地へ行き、「わしはここに来て心がすがすがしくなった」と言い宮殿を建てて住んだ。 (まるでオヤジギャグ)
その時、雲が立ち昇ったので、歌を詠んだ。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
スサノオとクシナダ姫の間に生まれた子の六世の孫がオオクニヌシノ命であるとする。
(日本書紀では嫡子としている)
さて、この八雲立つ・・・・・どんな意味なのでしょう。
古事記ではこのように書いています。
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁幑爾 夜幣賀岐都久留 曽能夜幣賀岐袁
日本書記ではこのようになっています。
夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐 菟磨語味爾 夜覇餓枳菟倶慮 贈廼夜覇餓岐廻
後生の学者は、この歌を結婚の為に新築する家の新室寿(ことほ)ぎの歌であるとし下記のように解釈した。
【漢文調訳】
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作るその八重垣を
【現代語訳】
盛んに雲が立つ 出雲の八重垣よ 妻を篭らせに八重垣を作る その八重垣よ
どうでしょうか、記紀に書かれた「夜久毛」や「夜句茂」が何故「八雲」になるのか?
この本の著者は疑問に思います。
確かに素人でも不思議に思います。
また、「日本書記」には「スサノオが須賀の地に立つと『雲が立ちのぼり』オオクニヌシの妻スセリ姫は云々」と記している。
「夜久毛」は八雲なら、その通に何故書かないのか?
また、「都麻」や「菟磨」についても「妻」と表記していない。
また、八つの雲をめでたい雲だとするが、雲が八重にでもなれば、瑞雲どころか凶雲のはずである。
※瑞雲=めでたいしるしの雲
サンカ族のこの歌に関する解釈はまるで違う
三角寛氏は富士山人穴ほか、十八ヶ所で「八雲立つ」の歌に関するサンカの伝承を集めてこう述べている。
サンカは不良分子を「クモ」と呼ぶ。つまり、愚連隊やデモ隊などの暴行者のことを彼らは「ヤグモノガキ」と呼ぶ。
その実、彼らの祖先も、穴居して反逆を繰り返していた。
天津罪、国津罪の代表者である、スサノオノ命一族によって平定されて、帰順した。
そのことを「ヤクモ断ち」といっているのです。
ヤマタ大蛇も群居していた土グモ、クマソもすべて複数の「ヤクモ」である。
このヤクモ征伐を学者たちは、ヤクモ「瑞雲」が立つことにしているが、彼らは云っている。
サンカは、婦女に暴行を加えることを「ツマゴメ」と言う。
また、「女(め)込めた」とか「女込んだ」などともいう。
この「ツマゴメ」も昔から彼らの得意とするとろであった。
それから、「ツレミ」(連身)の掟(やえがき)が出来て一夫多妻を禁じた。
それが、一夫一婦(つれみ)の制度(やえがき)である。
サンカは「八重垣の歌」を次のように解釈している。
ヤクモタチ(ツ)=ヤクモ(暴漢)断つ
イヅモヤヘガキ =平和を芽吹く法律
ツマゴメ(ミ) =婦女手込めに
ヤヘガキツクル =掟を制定し
コ(ソ)のヤヘガキヲ =この掟をこの守る憲法を
これが「一夫一婦」の掟(やえがき)である。
それで出雲族を誇示するサンカは自分達のことを「ヤクモ断滅(たち)」だと自称して誇っている。
彼らの「ヤクモ断ち」を「出雲憲法の喜の歌」としているのだ。
長くなりましたので、「スサ族」については、次回になります。
5話へつづく
渡来人でありオオクニヌシと敵対関係にあったが、記紀の作者が出雲親族と結びつける手段としてスサノオをオオクニヌシの父、又は祖神としたため両者の戦いをヤマタ大蛇退治の形ででしか描けなかった。
というわけでスサノオの説明を省く分けにもいかず、長くなりますが、記載したいと思います。
興味深いところもありますのでご覧ください。
古代出雲帝国に否定的な人でもスサノオノ命の存在は認めざるを得ないでしょう。
それは、「延喜式神明帳」(本には延喜神明式とあるのですが、この事かと?)
また、祗園社(八坂神社)・氷川神社の主祭神がスサノオであり、国内に広がりを見せているからでしょう。
スサノオの誕生を記紀ではこんな感じに書いてあります。
イザナミいる黄泉の国から逃げてきたイザナギは、九州の日向の橋という小さな瀬戸のほとりの阿波岐原で禊ぎ祓いをする。
この時、両眼からアマテラス大神とツクヨミノ命が、鼻からはスサノオノ命が生まれた。
所謂、三貴子の誕生である。
スサノオは「海原を治めよ」と命じられたがこれに従わず、連日のように激しく泣き青山を泣き枯らし河海を泣き乾すというありさまだった。
このため悪神が満ち満ち様々な災いが起こった。イザナギがその理由をただすと「イザナミのいる母の国、根之堅州国へ行きたい」と答えたのでイザナギは大いに怒って、「お前はこの国に住んではならぬ」と云って追い出した。
~(割愛)~
アマテラスのところに行きますが、結果、高天原を追放されます。
「草薙剣とオオクニヌシ」
老人夫婦と娘に会います、
夫婦はオオヤミツミ神の子アシナヅチとテナヅチで娘はクシナダ姫と名乗り「自分達には8人の娘がいたが高志(新潟)のヤマタノ大蛇に毎年一人ずつ食べられ今年は最後の娘の番です」という。
スサノオは身分を明かして娘を所望し、代わりに大蛇を退治しようと申し出た。
夫婦は喜んで同意した。
スサノオは娘を櫛に変えて自分の髪にさし老夫婦に酒を造らせ八つの樽に満たして大蛇を待った。
やがて大蛇がやってきて八つの頭で酒を飲み始めた。
物陰に隠れていたスサノオは剣で大蛇をずたずたに切った。
肥の川はその血で溢れ、真っ赤になって流れた。
尾を切ったときの剣の刃が欠けたので裂いてみると霊剣が出た。そこでスサノオは姉のアマテラスに献上した。
これが草薙の剣で皇位の御璽(みしるし)三種の神器の一つとされ、熱田神宮に祀られています。
八雲立つ
スサノオはクシナダ姫を妻とし出雲の須賀の地へ行き、「わしはここに来て心がすがすがしくなった」と言い宮殿を建てて住んだ。 (まるでオヤジギャグ)
その時、雲が立ち昇ったので、歌を詠んだ。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
スサノオとクシナダ姫の間に生まれた子の六世の孫がオオクニヌシノ命であるとする。
(日本書紀では嫡子としている)
さて、この八雲立つ・・・・・どんな意味なのでしょう。
古事記ではこのように書いています。
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁幑爾 夜幣賀岐都久留 曽能夜幣賀岐袁
日本書記ではこのようになっています。
夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐 菟磨語味爾 夜覇餓枳菟倶慮 贈廼夜覇餓岐廻
後生の学者は、この歌を結婚の為に新築する家の新室寿(ことほ)ぎの歌であるとし下記のように解釈した。
【漢文調訳】
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作るその八重垣を
【現代語訳】
盛んに雲が立つ 出雲の八重垣よ 妻を篭らせに八重垣を作る その八重垣よ
どうでしょうか、記紀に書かれた「夜久毛」や「夜句茂」が何故「八雲」になるのか?
この本の著者は疑問に思います。
確かに素人でも不思議に思います。
また、「日本書記」には「スサノオが須賀の地に立つと『雲が立ちのぼり』オオクニヌシの妻スセリ姫は云々」と記している。
「夜久毛」は八雲なら、その通に何故書かないのか?
また、「都麻」や「菟磨」についても「妻」と表記していない。
また、八つの雲をめでたい雲だとするが、雲が八重にでもなれば、瑞雲どころか凶雲のはずである。
※瑞雲=めでたいしるしの雲
サンカ族のこの歌に関する解釈はまるで違う
三角寛氏は富士山人穴ほか、十八ヶ所で「八雲立つ」の歌に関するサンカの伝承を集めてこう述べている。
サンカは不良分子を「クモ」と呼ぶ。つまり、愚連隊やデモ隊などの暴行者のことを彼らは「ヤグモノガキ」と呼ぶ。
その実、彼らの祖先も、穴居して反逆を繰り返していた。
天津罪、国津罪の代表者である、スサノオノ命一族によって平定されて、帰順した。
そのことを「ヤクモ断ち」といっているのです。
ヤマタ大蛇も群居していた土グモ、クマソもすべて複数の「ヤクモ」である。
このヤクモ征伐を学者たちは、ヤクモ「瑞雲」が立つことにしているが、彼らは云っている。
サンカは、婦女に暴行を加えることを「ツマゴメ」と言う。
また、「女(め)込めた」とか「女込んだ」などともいう。
この「ツマゴメ」も昔から彼らの得意とするとろであった。
それから、「ツレミ」(連身)の掟(やえがき)が出来て一夫多妻を禁じた。
それが、一夫一婦(つれみ)の制度(やえがき)である。
サンカは「八重垣の歌」を次のように解釈している。
ヤクモタチ(ツ)=ヤクモ(暴漢)断つ
イヅモヤヘガキ =平和を芽吹く法律
ツマゴメ(ミ) =婦女手込めに
ヤヘガキツクル =掟を制定し
コ(ソ)のヤヘガキヲ =この掟をこの守る憲法を
これが「一夫一婦」の掟(やえがき)である。
それで出雲族を誇示するサンカは自分達のことを「ヤクモ断滅(たち)」だと自称して誇っている。
彼らの「ヤクモ断ち」を「出雲憲法の喜の歌」としているのだ。
長くなりましたので、「スサ族」については、次回になります。
5話へつづく
ところで、『夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐・・・』や
『夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐・・・』は、上代仮名の表記だね。
このころは漢字を音写用に使ってていろんな表記方法があったし
訓読方が確定してなかったので「八雲」や「妻」を「ヤクモ」「ツマ」とは読めなかったんだよ~。
それと、三角寛って大正末期から戦後にかけて山窩物の猟奇小説で一世を風靡した小説家で、
論文「サンカ社会の研究」で博士号を取得してるけど
んでも、これが真っ赤な偽論文だったってことは今や周知のこと・・・
(詳しくは「幻の漂泊民・サンカ」沖浦和光著)
つうことで、まだまだ暑っいようだげんと、もう少し頑張んべなぁ~んでまづ!
書く方も書く方だけど・・
漢字は古事記の辺りでやっと日本で独自に使うようになるんですね。読みが確立していないのは何度か前のあらはばきで書いていたかも、この著者も御生存しているかはわかりません。
新しい本ではないですからね、富氏の話しは面白いですよ、これから書いていきます。
今回は富氏の話ではありません。
偽書扱いの本はありますね。
東日流外三郡誌、(字が間違っているかも?)も偽書とされていますが、後世の人が良からぬ追記をしてしまったことが原因になったりもしています。
史実をふくらませて書くのはいけませんね。
急にどうしたんだって?
ま、人生いろいろ・・・
ひーさんは斐伊川の流れは見ましたか、ってこれは親父ギャグ返し。
山陰線が斐伊川を渡る車窓は圧巻です。これが神話の流れかと想うと、人文地理というよりも神話地理という分野が必要かと感じました。
本日の予想気温は36度。てことは屋外は40度は越えるのでしょうね。
・・・なんか驚かなくなりました。
早くトランジスターにしないと・・・
とうとう仙台は観測史上最高の35.5度、塩釜は36度の記録をだしました。
昨日はいつもより暑いぞと思いましたらやはりピンポ~ンでしたよ。
そして
コメントもそれぞれ興味深いですね
大和朝廷との
関係をもう少し詰めてみると
面白い加茂です (^_-)~☆
富氏の話が一番興味深いです。
もう少し、そこを中心に書いていきます。
いまだに学者さんたちの研究材料として
足らないことはないのではないでしょうかね。
単純に私流解釈
八を連ねることにより、詠んだ時に聞きごこちがいいからだろうなー
懐古の時からギャグはあったのかもしれない。
私の足りない頭では、
そこのところだけが、脳裏に入り込みました。
あと一夫一婦の語源がこんなところから出たとは実に興味深かったです。
今通常の記事は、サイドバーの上にリンクしてありますのでそちらへどうぞ。
先日、梅原サンに続いて黒岩重吾サンの古代史関係本を2冊読了しましたが、遺跡・古墳と記紀を関連づけて論じているのは面白かったです。
著者によって解釈が変わってくるのは仕方がありませんね。
富氏以外の意見については、過去の文献に頼っていますからね。
富氏の話しだけは、今までの考古学者が知らなかった部分になりますので、そこのところが、この本の価値とも、いえるでしょう。
著者の体験がこのあとでてきます。
出来るだけ、富氏の話を中心に短縮して書きます。