創祀
当社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。
また、一説には貞観18年(876)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したことに始まるともいう。
伊利之来朝のこと、また素戔嗚尊が御子の五十猛神とともに新羅国の曽尸茂梨(そしもり)に降られたことは、ともに『日本書紀』に記されており、『新撰姓氏録』の「山城国諸蕃」の項には渡来人「八坂造(やさかのみやつこ)」について、その祖を「狛国人、之留川麻之意利佐(しるつまのおりさ)」と記してある。この「意利佐」と先に記した「伊利之」は同一人物と考えられている。伊利之の子孫は代々八坂造となるとともに、日置造(へきのみやつこ)・鳥井宿祢(とりいのすくね)・栄井宿祢(さかいのすくね)・吉井宿祢(よしいのすくね)・和造(やまとのみやつこ)・日置倉人(へきのくらびと)などとして近畿地方に繁栄した。
<八坂神社のHPから引用>
京都訪問から10ヶ月も過ぎましたが、この八坂神社だけUPしていませんでした。
創祀を読んでもわかるように、非常に古いですね。出雲との関係も目にできますし、渡来人の話も出てきます。
「古代出雲の秘密」の記事に記載していますが、抜萃して引用します。
スサノオについて
古代出雲帝国に否定的な人でもスサノオノ命の存在は認めざるを得ないでしょう。
それは、「延喜式神明帳」(本には延喜神明式とあるのですが、この事かと?)
また、祗園社(八坂神社)・氷川神社の主祭神がスサノオであり、国内に広がりを見せているからでしょう。
スサノオの誕生を記紀ではこんな感じに書いてあります。
イザナミいる黄泉の国から逃げてきたイザナギは、九州の日向の橋という小さな瀬戸のほとりの阿波岐原で禊ぎ祓いをする。
この時、両眼からアマテラス大神とツクヨミノ命が、鼻からはスサノオノ命が生まれた。
所謂、三貴子の誕生である。
スサノオは「海原を治めよ」と命じられたがこれに従わず、連日のように激しく泣き青山を泣き枯らし河海を泣き乾すというありさまだった。
このため悪神が満ち満ち様々な災いが起こった。イザナギがその理由をただすと「イザナミのいる母の国、根之堅州国へ行きたい」と答えたのでイザナギは大いに怒って、「お前はこの国に住んではならぬ」と云って追い出した。
スサ族とスサノオ
スサ族
スサノオの別名を牛頭天皇(インド祇園精舎の守護神<除疫の神>)という。
「牛冠をかぶった貴人」の意味です。
「日本書紀」崇神天皇の条に「任那(みまな)がソナカシチを遣わして朝貢した。
※4~6世紀頃、朝鮮半島南部にあった伽耶諸国の日本での呼称。
日本書紀では、4世紀後半に大和朝廷の支配下に入り、日本府と言う軍政府を置いたとされる。
※朝貢=外国人が来朝して貢物を奉ること。
垂仁天皇の条には「御間城(みまき:垂仁)天皇の世に額に角がある人が船に乗って越国(福井県)
の笥飯:けひ(気比)浦にやってきた。
そこで、この地を角館(つぬが:敦賀)と言う。
その人に何処の国の者か?と尋ねたら、こう答えた。
オオカラ国(任那加羅)の王子で、名をツヌガアラシト、別名をウシキアラシチカンキという。
とある。
ソナカシチは朝鮮語。 ソ=牛 ナカ=出て来る シチは尊称で「牛のように角の出ている貴人」
ツヌガアラシト=角がある人
ウシキアリ=額に角があること
「韓国史」の中で韓国の学者は、弁韓及び辰韓人たちが、かぶった冠の前面に角状のものがついているのを見てこう呼んだ。と述べている。
牛頭=朝鮮の地名で、ソシモリ(江原道春川村の牛頭州)という。
「日本書紀」にもスサノオがソシモリへ行ったことが記され、朝鮮の牛頭山には天主堂があった。
この神を祭神とする京都の八坂神社の社伝には、「斉明天皇の二年(656)新羅の牛頭山における、スサノオノ命の神霊を迎え祀る」と見える。
そして勧請したのは、遣唐使の吉備真備だとも朝鮮人だとも伝えている。
石見で「韓」または、「辛」と名のつく地名のところには、必ずスサノオ神話が伝承されている。
その子、イソタケルを祀る神社にも「韓」の字が冠せられている。
スサノオはアマテラスの弟として権威づけられたため、出雲人の大祖神のようにされてしまったが、出雲国風土記でもスサノオは須佐地方の一首長に過ぎない。
オオクニヌシとも血縁は無い。
「記紀の作者がスサノオに与えた演出はただ一つ! 出雲国造りのオオナムチのしゅうとになることだけであった」
まだ、記事の途中ですが、この記事は「謎の出雲帝国*吉田大洋著」から編集しています。
自分は、この本を読んで出雲神族の富氏との会話の中で、古代出雲の王朝が渡来族(天孫族)に侵略されて行く場面を読み出雲の本来の姿を表現したくて書き始めました。
しかし、長くなっており、詰めて書きたいのですが、詰めるとその理由がわからなくなったり証明が出来なくなったりします。
しかし、長文は本意ではありませんので、できるだけ短くしたいと思います。
ここで、渡来族とか天孫族とか書いていますが、日本人の成り立ちを考えれば、当然渡来人の集まりでもあります。
八坂神社で思い出すのは古代ヘブライ語(ヘブル語)で「ヤーサカ」とは神又は神を称える言葉です。
「ヤー」とはヤハウェーの所謂短縮語で古代ユダヤでは3回「ヤーサカ」を唱えます。
日本で言えば万歳三唱といったところでしょうか?
ヤマト(大和)=「ヤマトゥ」=「ヤハ/ウェーの民」
平安=シャライム 白人神社=「イヤサカ(磐境)」
天皇=スメラギorスメラミコト=「サマリアの王」(失われた10部族の地名)
脱線したついでに以前記事にしたのですが、こんなのも・・・・
古代ヘブライ語の発音と意味・・・
日本語 = ヘブル語
アナタ(貴方)=アタ(あなた)
アタリ(辺り)=アタリ(辺り)
アキナウ(商う)=アキナフ(買う)
アリガトウ(有難う)=アリ・ガド(私にとって幸福です)
アルク(歩く)=ハラク(歩く)
イム(忌む)=イム(ひどい)
エッサ=持って行きます。「エーッサ、エーッサ、エサホイサッサ」ですね。
オワリ(終わり)=アハリ(終わり)
カク(書く)=カク(書く)
カタ(肩)=カタフ(肩)
カバウ(庇う)=カバア(隠す)
コマル(困る)=コマル(困る)
コオル(凍る)=コ-ル(寒さ、冷たさ)
サムライ(サムライ)=シャムライ(守る者)
スム(住む)=スム(住む)
スワル(座る)=スワル(座る)
ダメ(駄目)=タメ(ダメ・汚れている)
ダベル(駄弁る:無駄話をする)=ダベル(話す)
トル(取る)=トル(取る)
トリイ(鳥居)=トリイ(門)
ナマル(訛る)=ナマル(訛る)
ナク(泣く)=ハナク(泣く)
ニクム(憎む)=ニクム(憎む)
ニオイ(匂い)=ニホヒ(匂い)
ヌシ(主)=ナシ(長)
ネギ(神職)=ナギット(長、司)
ハカル(測る)=ハカル(測る)
ハラウ(祓う)=ハラ(祓う)
バレル(ばれる)=バレル(ハッキリさせる)
ハクシュ(拍手)=ハケシュ(拍手)
ヘラス(減らす)=ヘスル(減らす)
ホロブ(滅ぶ)=ホレブ(滅ぶ)
ホル(掘る)=ホル(穴)
ミツ(蜜)=ミツ(果汁)
ミカド(帝)= ミガドル(高貴なお方)
ミズ(水)=ミズラ(水)
ミコト(尊)=マクト(王、王国)
ミササギ(陵、墳墓)=ムトウサガ(死者を閉ざす)
ミソギ(禊ぎ)=ミソグ(分別・性別)
モノ(物)=モノ(物)
ヤドル(宿る)=ヤドゥール(宿る)
ヤリ(槍)=ヤリ(射る)
ヤーレン=ヤーレン(歌を歌うと楽しくなる)
ソーラン=ソーラン(梯子)ニシンの群れを見るのに梯子に登ってみる。
ヤケド(火傷)=ヤケド(火傷)
ユルス(許す)=ユルス(取らせる)
ワラベ(子供)=ワラッベン(子供)
ハッケHakeh=投げよ
ヨイYohy=やっつけよ
ハッケヨイ(相撲で行司が掛ける言葉)=投げよ、やっつけよ
古代イスラエルと日本の密接な関係
上記のリンク記事では、祇園祭りの不思議について書いています。
それでは、八坂神社と祇園の一部の写真をUPします。
当社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。
また、一説には貞観18年(876)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したことに始まるともいう。
伊利之来朝のこと、また素戔嗚尊が御子の五十猛神とともに新羅国の曽尸茂梨(そしもり)に降られたことは、ともに『日本書紀』に記されており、『新撰姓氏録』の「山城国諸蕃」の項には渡来人「八坂造(やさかのみやつこ)」について、その祖を「狛国人、之留川麻之意利佐(しるつまのおりさ)」と記してある。この「意利佐」と先に記した「伊利之」は同一人物と考えられている。伊利之の子孫は代々八坂造となるとともに、日置造(へきのみやつこ)・鳥井宿祢(とりいのすくね)・栄井宿祢(さかいのすくね)・吉井宿祢(よしいのすくね)・和造(やまとのみやつこ)・日置倉人(へきのくらびと)などとして近畿地方に繁栄した。
<八坂神社のHPから引用>
京都訪問から10ヶ月も過ぎましたが、この八坂神社だけUPしていませんでした。
創祀を読んでもわかるように、非常に古いですね。出雲との関係も目にできますし、渡来人の話も出てきます。
「古代出雲の秘密」の記事に記載していますが、抜萃して引用します。
スサノオについて
古代出雲帝国に否定的な人でもスサノオノ命の存在は認めざるを得ないでしょう。
それは、「延喜式神明帳」(本には延喜神明式とあるのですが、この事かと?)
また、祗園社(八坂神社)・氷川神社の主祭神がスサノオであり、国内に広がりを見せているからでしょう。
スサノオの誕生を記紀ではこんな感じに書いてあります。
イザナミいる黄泉の国から逃げてきたイザナギは、九州の日向の橋という小さな瀬戸のほとりの阿波岐原で禊ぎ祓いをする。
この時、両眼からアマテラス大神とツクヨミノ命が、鼻からはスサノオノ命が生まれた。
所謂、三貴子の誕生である。
スサノオは「海原を治めよ」と命じられたがこれに従わず、連日のように激しく泣き青山を泣き枯らし河海を泣き乾すというありさまだった。
このため悪神が満ち満ち様々な災いが起こった。イザナギがその理由をただすと「イザナミのいる母の国、根之堅州国へ行きたい」と答えたのでイザナギは大いに怒って、「お前はこの国に住んではならぬ」と云って追い出した。
スサ族とスサノオ
スサ族
スサノオの別名を牛頭天皇(インド祇園精舎の守護神<除疫の神>)という。
「牛冠をかぶった貴人」の意味です。
「日本書紀」崇神天皇の条に「任那(みまな)がソナカシチを遣わして朝貢した。
※4~6世紀頃、朝鮮半島南部にあった伽耶諸国の日本での呼称。
日本書紀では、4世紀後半に大和朝廷の支配下に入り、日本府と言う軍政府を置いたとされる。
※朝貢=外国人が来朝して貢物を奉ること。
垂仁天皇の条には「御間城(みまき:垂仁)天皇の世に額に角がある人が船に乗って越国(福井県)
の笥飯:けひ(気比)浦にやってきた。
そこで、この地を角館(つぬが:敦賀)と言う。
その人に何処の国の者か?と尋ねたら、こう答えた。
オオカラ国(任那加羅)の王子で、名をツヌガアラシト、別名をウシキアラシチカンキという。
とある。
ソナカシチは朝鮮語。 ソ=牛 ナカ=出て来る シチは尊称で「牛のように角の出ている貴人」
ツヌガアラシト=角がある人
ウシキアリ=額に角があること
「韓国史」の中で韓国の学者は、弁韓及び辰韓人たちが、かぶった冠の前面に角状のものがついているのを見てこう呼んだ。と述べている。
牛頭=朝鮮の地名で、ソシモリ(江原道春川村の牛頭州)という。
「日本書紀」にもスサノオがソシモリへ行ったことが記され、朝鮮の牛頭山には天主堂があった。
この神を祭神とする京都の八坂神社の社伝には、「斉明天皇の二年(656)新羅の牛頭山における、スサノオノ命の神霊を迎え祀る」と見える。
そして勧請したのは、遣唐使の吉備真備だとも朝鮮人だとも伝えている。
石見で「韓」または、「辛」と名のつく地名のところには、必ずスサノオ神話が伝承されている。
その子、イソタケルを祀る神社にも「韓」の字が冠せられている。
スサノオはアマテラスの弟として権威づけられたため、出雲人の大祖神のようにされてしまったが、出雲国風土記でもスサノオは須佐地方の一首長に過ぎない。
オオクニヌシとも血縁は無い。
「記紀の作者がスサノオに与えた演出はただ一つ! 出雲国造りのオオナムチのしゅうとになることだけであった」
まだ、記事の途中ですが、この記事は「謎の出雲帝国*吉田大洋著」から編集しています。
自分は、この本を読んで出雲神族の富氏との会話の中で、古代出雲の王朝が渡来族(天孫族)に侵略されて行く場面を読み出雲の本来の姿を表現したくて書き始めました。
しかし、長くなっており、詰めて書きたいのですが、詰めるとその理由がわからなくなったり証明が出来なくなったりします。
しかし、長文は本意ではありませんので、できるだけ短くしたいと思います。
ここで、渡来族とか天孫族とか書いていますが、日本人の成り立ちを考えれば、当然渡来人の集まりでもあります。
八坂神社で思い出すのは古代ヘブライ語(ヘブル語)で「ヤーサカ」とは神又は神を称える言葉です。
「ヤー」とはヤハウェーの所謂短縮語で古代ユダヤでは3回「ヤーサカ」を唱えます。
日本で言えば万歳三唱といったところでしょうか?
ヤマト(大和)=「ヤマトゥ」=「ヤハ/ウェーの民」
平安=シャライム 白人神社=「イヤサカ(磐境)」
天皇=スメラギorスメラミコト=「サマリアの王」(失われた10部族の地名)
脱線したついでに以前記事にしたのですが、こんなのも・・・・
古代ヘブライ語の発音と意味・・・
日本語 = ヘブル語
アナタ(貴方)=アタ(あなた)
アタリ(辺り)=アタリ(辺り)
アキナウ(商う)=アキナフ(買う)
アリガトウ(有難う)=アリ・ガド(私にとって幸福です)
アルク(歩く)=ハラク(歩く)
イム(忌む)=イム(ひどい)
エッサ=持って行きます。「エーッサ、エーッサ、エサホイサッサ」ですね。
オワリ(終わり)=アハリ(終わり)
カク(書く)=カク(書く)
カタ(肩)=カタフ(肩)
カバウ(庇う)=カバア(隠す)
コマル(困る)=コマル(困る)
コオル(凍る)=コ-ル(寒さ、冷たさ)
サムライ(サムライ)=シャムライ(守る者)
スム(住む)=スム(住む)
スワル(座る)=スワル(座る)
ダメ(駄目)=タメ(ダメ・汚れている)
ダベル(駄弁る:無駄話をする)=ダベル(話す)
トル(取る)=トル(取る)
トリイ(鳥居)=トリイ(門)
ナマル(訛る)=ナマル(訛る)
ナク(泣く)=ハナク(泣く)
ニクム(憎む)=ニクム(憎む)
ニオイ(匂い)=ニホヒ(匂い)
ヌシ(主)=ナシ(長)
ネギ(神職)=ナギット(長、司)
ハカル(測る)=ハカル(測る)
ハラウ(祓う)=ハラ(祓う)
バレル(ばれる)=バレル(ハッキリさせる)
ハクシュ(拍手)=ハケシュ(拍手)
ヘラス(減らす)=ヘスル(減らす)
ホロブ(滅ぶ)=ホレブ(滅ぶ)
ホル(掘る)=ホル(穴)
ミツ(蜜)=ミツ(果汁)
ミカド(帝)= ミガドル(高貴なお方)
ミズ(水)=ミズラ(水)
ミコト(尊)=マクト(王、王国)
ミササギ(陵、墳墓)=ムトウサガ(死者を閉ざす)
ミソギ(禊ぎ)=ミソグ(分別・性別)
モノ(物)=モノ(物)
ヤドル(宿る)=ヤドゥール(宿る)
ヤリ(槍)=ヤリ(射る)
ヤーレン=ヤーレン(歌を歌うと楽しくなる)
ソーラン=ソーラン(梯子)ニシンの群れを見るのに梯子に登ってみる。
ヤケド(火傷)=ヤケド(火傷)
ユルス(許す)=ユルス(取らせる)
ワラベ(子供)=ワラッベン(子供)
ハッケHakeh=投げよ
ヨイYohy=やっつけよ
ハッケヨイ(相撲で行司が掛ける言葉)=投げよ、やっつけよ
古代イスラエルと日本の密接な関係
上記のリンク記事では、祇園祭りの不思議について書いています。
それでは、八坂神社と祇園の一部の写真をUPします。
音が大事だったはず。槍が大事だったけど、射る方がメジャーになってしまったかな?とも。
護りと攻撃とで同じ音なのに解釈も反転しちゃったようにも。八坂も境界の門番みたいないイメージなのにどこか闘いに強いイメージ。
牛頭さんもむしろ災いから護る方で決して自分から仕掛けて闘う神でないといいなあ。
大国主と血縁なくしゅうとってそう思いますね。大国主ありきのスサノオだと思ってしまいました。スサノオさんはそう言われてもカチンとくる事もない大らかな方ではないかとも。
なんせ境界にいそうなので。4568
もっと色々頭に入れてみたいですね💗
謎多き祇園さんドス。
夕飯作りながらだったので若干もったいなかったのですが面白かったです。
門の移動があったり断層があったりとかできてきましたね〜。個人的には、記憶が曖昧なのですが門から入ってすぐに疫神か疱瘡神がいたのと恵比寿社が右にあったようにも。
門への高さは崖で断層とすれば大昔は船できていた可能性も。松島や厳島みたいに。で疫神疱瘡系は住吉さんにもありますのでなんとなく思い描いていた感じにはなりそうです。
なので門の前が道が出来たら後に門をずらしたとしたら門を動かすの場所と各摂社の場所(大昔から変えにくいので)でちょっと考えてみたいと思います。
この前も違うテレビの番組では、美しくなる摂社の方が紹介していましたね、ブラタモの逆の奥の方。あっちも悪王子とかあったような。そっちの門から出て法然さんの没後のキリがいい年に浄土の有名なお寺に行ったような。そもそも八坂はお寺の広大な敷地の一部分っぽくも感じちゃいました。
問題は門番でしょう、地形的にも境界線としても断層はとても分かりやすく時代によって様々な神と融合された背景を時系列で見れそうな気がしますね。ブラタモは地形上の理解に注目してくれてとてもありがたい番組です。
川の幅とかも時代によってかなり違うようでしたから今現在の地形からは全く想像出来ないの昔の姿が見えるかもしれませんね。
八坂は初めて私が御旅所にこだわり始めた神社でもあるので御旅所から門への移動の軌跡も今後の参考になりそうです。
ちょっと思ったのがスサノオさんだと御旅所があるのかなあとも。婿入りみたいに感じ始めましたよ。とにかく大昔は地形が全て、地形をいかに利用して人間が生きて恩恵を受けていたのか?
それが神でもありそうですね。東北福島はそういう意味では、レベルが圧倒的な地形の神がいそうですよ。7377 ラッキーセブンと3(若宮)いい数字
見逃してしまったので、再放送で見たいと思います。
確かに回りは、すべてお寺ですからね。 どのように八坂神社として確立していったのか知りたいですね。
県北の古川あたりにも祇園八坂神社の看板があり時間があったら見てこようと思います。八坂神社自体は、どこにでも見られますがね。祇園と書いてあったのが気になります。
そして本題ですけど古川で祇園、興味深いです。
お寺が東北にあったなら相当古いですよね、のちに聖徳太子の時代よも相当早そうに思います。
岩手に行ってきた際にびっくりしたのが浄法寺という地名が高速インター近くで調べたんですけど平安時代にお寺に納める漆器を作っていたようなんですよ。漆が取れまた加工技術がある場所しか出来ない事をすでに平安で岩手でやっているようです。おまけに天台寺の僧向けとの説があるようなのですけど、これって奈良の吉野と法隆寺と同じようなお寺を作り維持する技術者の工房が併設されていた形と似ているようのも思います。ある意味効率良いですよね。平安時代に技術が確立していたとしたらそこから相当以前にその地の自然からの恩恵を得て技術革新が行われていた可能性もありますね。
あとどこかの仏像さんが漆と布で作られているようですけど阿修羅だったかな?あれも職人は漆と布を手に入れてその材料の特性を理解して作っていたなら相当な時間もかかっていそうですし、日本独自であったなら面白くなりますよね。土地による技術革新です、岩手可能性ありそうですね。
布の件ですが、奈良時代辺りの布の地探していたんですけど福島須賀川辺りの神社みてあの辺り怪しいと思い出しています。綱永井さんも伺って、権力者は布の技術は相当欲しかったので狙われた理由の一つではと思っています。
福島から上が繋がっているならば漆と布が繋がりそうですね。
浄法寺塗りについてはのちに北陸へも技術者派遣しているようですけどそれなりの土壌もない地には行くわけもないですから、大昔の北陸の漆の櫛も同じような民族が関わっていそうにも思います。東北は相当何かを秘めてますね。
そう岩手山は、富士山みたいでした。天気により雲がかかったり全部見えたら興奮するくらいすごい山でした。神社は怖いかと思いましたが、小岩井牧場の帰りに通ってつい行ってしまいました。鳥居の横からは遠くはないのですが雪と泥でガシガシと長靴くらい埋まりながらお参りしてきました。岩手山の神に繋がっているといいなあと。
ひとまずそのあと何事もなく戻ってこれたのでよかったとは。大昔小岩井牧場と松島を回ったのもびっくりな思い出です。当時の知識と全く違うのですが岩手山だいじそうに思いましたよ。
なはしが超逸れているようですけど、古川と祇園にも山々の間をずっと北上すると辿りつける場所関係あるとようなあと。平安時代からもっと遡ってみたいですね、祇園の意味も含めて。
古川は血筋があるかわからずですがうちの家系に関係あるお名前です。そうお礼参りにも古川社に行かないとと思ってますので、ある意味祇園通じてこいって言われてるようにも。
おっしゃる通り古川の辺りは本当大事ですからね、知識つけてお参り行ってみます。
そうそう古川は漆でも岐阜にも繋がりますね。
東北の平安から鎌倉の間と平安前が情報がないせいか?そこが地元に行くと地名で分かる事も、地元の情報大事ですね。3353、8295
どうもスサノオはニギハヤヒ、もしくはその家系と思われます。
ただ思うのはスサノオがいてオッケーなのは確かでしょう。ただ歴史の時系列をおいておいての話。日本にやってきたのが最先端かもしくは後に習合されたのか?マンガならばタイムスリップして大昔の根源神がある時代のヘルプ的にやってきたようなイメージです。宇宙人かな?とも。毘沙門天に似ているかも?ただ正義護るべき一族のヘルプの為に動いているようにも。なので子孫等の次元ではないように思います。6のイメージで亀っぽいと思ってます。今までは繋がれて動けなかったけど動けるようになってきたのでは?と思ってます。疫神か八幡神かなあ?疱瘡神は見極めが甘い女神のイメージで、疫神はこれは信念として許せないとして動く男神のイメージ。源平のあたりの八幡神はずらされていますし、疱瘡神も弁才天として動かされているようにも。
星か北極星で絶えず見守っていていざという時に出てくるようなキャラだといいなあと。
ニギハヤヒについてはなんだか距離をおいてます、舅のような気がするので。ウマシマジからは大好きなんですよね、これは個人的ですけど。
スサノオは汚名を着せられ追放されたのだと思うので汚名を剥がせるのは疱瘡神しかいない。その疱瘡神がハチャメチャになっているのだから暴走もしてしまうのかなあと。まずは疱瘡神を免疫力をつける為の大事な神として人間の自然との共存に一番大事な水神として各地で発掘して欲しいなあとも。クナトと幸姫として。そしてそのサラブレッドのナガスヒコネの地位をしっかり発掘出来たら幸姫も代わるかなあと。娘(稲田姫?がいたならそこにニギハヤヒ父に持つ誰かが後夫で入ってきて全部のっとってそうで。そう思うとニギハヤヒもスサノオに例えられる。でもおそらくルーツの格が違いそう。後夫は日本にやってきてそこのにはまる事を望んでいたが父は政略結婚としていておかしくなったかな?
なのでシバ彦も信じてます。
歴史の中での入り込み手法は大抵同じで、その後いい筋の娘もらって辻褄は合ってるはずなので色んな時代で構図を探してみます。
古墳時代は女性の為の古墳もあったようです。なのでその前は女系の継承もあったはずです。
スサノオさんもお二人の人格が違う時代に入っているのに一人の名前はややこしいです。でも後には入ったスサノオさんもスサノオとは同じ血筋なのか?舅も息子の依存で地位があるので息子がはみかえわなければ自分では手を出しにくいように感じます。
天穂日命が日本武尊か弟橘媛姫には手出し出来ないようだと感じたんでそこも何か理由がありそうに思います。逆は相当恨んでいそうですけどね。
スサノオは出雲の神で正しいし、初期の出雲(島根県寄り)の派閥とその後の出雲の民族の両方の祖神でもあるんだと思います。
当麻と野見さんのお相撲の対決も出雲同士の争いの象徴でスサノオに言われれば上下わきまえた関係ではなかったかな?貧乏で不遇だった方蘇民将来がどっちかですね。東北の蘇民将来のお祭り調べてみようと思います。
東北が出発で出雲へとスサノオが動いていそうにも思います。龍蛇と共に稲佐浜に行ったなら九州周りで鳥取から一周していそうですね。スサノオの亀さんの背中に乗って。九州にも妙見ありますし、稲田姫もいますね。一周していそう。3184
3640、3の若宮道案内に6の亀が4の幸姫を連れて、0の基準地に戻って一周かな?妄想すみません。
黒石寺 蘇民祭 その1
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/74256f08785f24d938919d97397f8112
妙見山 黒石寺:蘇民祭 その2
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/f2e7dd85041c4d85376e28c59648b012
ポスターで話題になった祭事です。
スサノオについては、私自身もまだ結論はでませんね。
死ぬまで出せるのか?難しいのかも?
時代で変化してゆきますからね。神話の世界をどのように実話に結び付けていけるのか・・・
検証を重ねるしかありませんかね?
何故かというと、あそこで瀬戸内寂聴の法話があります。
それは、あの寺の住職だからです。 古いお寺でしたが、荒れ果ててしまい、住職はいませんでした。そこに天台宗である寂聴があそこを再興したのです。山にあった木を伐採しそれで加工品を作って売ったそうです。
寂聴は中尊寺で托鉢したんですよ。いがいでしょ?
漆は、蝦夷の時代からありました。多賀城に国府をそこに派遣さらた国司が欲しがったのは、平泉の蝦夷たちが持っていた。馬・漆・金だったのです。
そして戦いが起きました。 前九年の役です。その後の後三年役もありますが、これは兄弟げんかみたいなものです。これを説明すのは大変で大河ドラマの「炎立つ」を観るとよくわかると思います。
そうそう、そういえば私が高校生の頃は、古川に祇園寺高校という学校がありました。今はネーミング変えました。
何ともあの時代は曖昧な感じがして・・・
古事記がもっと信頼される本であればいいのですが・・
しかし、今のところ一番古い文献ですから、そこから読み解くしかありませんね。
現在はしっかりと歴史に名を残し、伝承されてきていますからね。
真実は、永遠にわからないのかも知れません。