ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

下増田神社/名取市

2012年02月03日 08時16分56秒 | 宮城の散歩道(仙台を除く)
下増田神社

鎮座地:名取市下増田屋敷64
祭 神:大日孁命(オオヒルメノミコト【天照大御神】)・伊弉諾命・伊弉冉命・
     別 雷 神(ワケイカヅチノカミ)・熊野加夫呂杵櫛御食命(クマノカフロギクシミケノキコト)
     末社:産神山祇神社 寛政九年十月(1797年)創祀

由 緒
 創立は年代詳しく「知り得ざるも、大同年間(803~810)の創祀と伝えられ、当社の棟札に延享元年(1744年)旧九月一日に社殿を建立したとあり、延享年間以前の創祀と推察される。
名取市の略年表に康和四年(1100年)北釜に神明社創建(下増田神社)と記されている。
  もと神明宮と称し明治五年六月村社に列格
  明治四十一年十月二十八日同村飯塚鎮座 村社雷神社 無各社熊野神社の式社を合祀 
  明治四十二年五月二十六日(1909年)下増田神社と改称。
  昭和二十年(1945)秋 仙台陸軍飛行学校に鎮座の社(昭和十四年:1939年航空神社を創祀)
  社殿と共に祭神も合祀。

この神社、今は写真のように緩やかな小高い丘に鎮座しているのですが、津波以前は樹木も多く住宅やお寺も両脇にあり特に目立つ存在でもありませんでした。
私は、興味深くいつか行ってみようと思っていましたがね・・・

以前はこんな感じです。



この社殿は本殿で手前にあった拝殿は流されました。


この場所は、仙台空港の東側になり、海側と言うことです。
仙台空港の滑走路に車や飛行機が流れている映像は、TVでご覧になられたでしょう。
その海側なのです。
本殿を流せれていてもおかしく無い状況ですが、本殿と山神社が残りました。
そうそう狛犬も・・・

海側から見た関係です。



背景に仙台空港が見えると思います。



向って左が吽形ですが、決して右は阿形とも見ることが出来ません。
どちらも歯を喰いしばって津波に耐えた為どちらも吽形になったのかも???










隣には山神





出羽三山の碑など




宝暦の文字が見えます。何年かはっきりしませんが 1751~1763が年号の西暦です。



海岸線には通称浜街道と言う、県道10号線多賀城/仙台港から~荒浜~貞山堀と平行して仙台空港まで見て来ました。
その通の様子は次回UPします。







コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 浪分神社/仙台市若林区 | トップ | 第34回松島かき祭り  »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
焦った! (酔漢です)
2012-02-03 09:46:49
風景を見て、どこのどこかわからなくて。
タイトルを見て。
驚愕。
下余田に叔母が住んでおりまして、その道すがら、自転車で訪ねたことがあります。
林の中にある小さな神社のイメージしかなかったものですから。
「流されているのだろう」と勝手に思っておりました。
本殿の無事は何よりとも思いますが、本当に何もない風景を見ますと、言葉が出ません。
返信する
この場をお借りいたします (酔漢です)
2012-02-03 09:58:12
県道10号線は自転車道が平行しておりましたので、思いっきり走りました。
自身でタイムトライアルしてました。
今どうなっているのか、心配でもあります。
それと・・くだまきへのコメント拝読いたしました。
鼻節神社のへびの話し。
酔漢、小学校6年の時、父から「あいずはへびさぁみたんだおん」という人を教えられた記憶があります。
詳細を語るのは遠慮しようと思いましたが、ひーさんの記事アップの後、お話ししようかと思います。頭の中では禁断の話し?なのでした。
返信する
酔漢さんへ (ひー)
2012-02-03 16:32:26
蛇の話は会話の中で出てきたもので詳しく私も知らないのです。
少し調べてみますが・・・今過去記事の編集しなおしや追記をしています。
何故かというとアクセスの詳細を見ると、思わぬところに集中したりしています。
最近多いのは、大河ドラマの影響か?平家の落人の記事が毎日あります。
社会現象が自分のブログにもわずかに影響しているのを感じます。
この神社の辺りは、近年空港の駐車場としても近場に増えてきていました。
浜街道を走っていると海がこんなに近くにあったのかと思い知らせれます。
返信する
 (伝八郎)
2012-02-03 22:15:25
酔漢さんの蛇の話、興味深いですねぇー。私の氏名もサンスクリット語では蛇に繋がりますので、気になります。
そういえば、の母方の伯母二人は、家にいた二匹の蛇(青大将??)を殺したら、二人とも首筋に湿疹が出来たそうです。それも蛇の鱗にそっくりなものが・・・。
神社の神主に相談したら、その二匹の蛇は家神様で、湿疹は殺した祟りと言われたそうです。
勿論、その場で祈祷してもらい、湿疹は二人とも消えたと言ってました。。
それと、私の父親も蛇に取り付かれたことがあるそうです。どうも、子供の頃、豚小屋の周りに大量にいた蛇を食べまくっていたのが原因で、やはり神社の神主に祈祷して祓ったと言っていました。
実は私も故郷のいわき市で池に入るアナコンダ並みの大蛇を見ています。5,6歳だったので大きく見えたのだとは思いますが、5メートルはあったような気がします。
確か大正か明治時代に、仙台の東照宮から台原の森で、15メートルの大蛇が発見されたと聞いています。当時の新聞にも載ったそうです。
へびの寿命は人間以上と言う人もいますが、昔はそんな大物もいだのでしょうねぇー。

返信する
オオヒルメ命 (伝八郎)
2012-02-03 22:57:49
肝心な事を忘れていました。
下増田神社、よく残っていました。しかし、周りの風景は・・・。人がいて、町があってこその神社ですが、存続してもらいたいものです。

下増田神社の主祭神はオオヒルメ命ですか。
藤原不比等が絡んでいるのでしょうが、天照皇后が天照大神(ニギハヤヒ)でなく天照皇大神になったのか興味深いです。
宮城県はホツマツタエの舞台となっていますが、案外当たっているのかも・・・。
豊受姫の和魂が天照皇大神で、天照皇大神の荒魂が瀬織津姫とされていますが、稲と水の女神だからこそ、この場所に鎮座されていたのかも知れませんね。

それと吽吽型の狛犬も珍しい。私は以前、仙台に多い吽阿型の狛犬を反対に移し変えれば良いのではと思っていましたが、考えてみれば、それでは互いにそっぽを向いた狛犬になってしまいます。明らかに意図的なんですよね。
その点に書かれている本を発見しましたので、今度読んでみたいと思っています。
返信する
なんということに (維真尽(^^♪)
2012-02-04 16:26:25
周りに何もない状況になってしまって...

天孫系は
太陽
出雲系は 海~龍、蛇ということでしょうか






返信する
伝八郎さんへ (ひー)
2012-02-04 19:46:03
皇大神は、客観的に見ていると伊勢神宮の影響が大きいような?

神社を参拝すると、伊勢神宮遷宮の旗やパンフがありました。
神主さん達はどのように教えられ勉強してくるのか興味深いです。
組織の中でトップが伊勢神宮であると教育されてきた場合どうなるのか? 気になるところです。
ホツマツタエ・・たまに本に出てきますね。
東国を意味する言葉でしたっけ?
勉強不足なのでなんとも・・・記紀の原点でもあるのですかね。神代文字とか?
狛犬も興味が大きいのですが、石工がどれだけの知識があるかで、いい加減だったり意味深いものだったりするのかなぁ・・て思ってきています。
なかなか統一して区別出来ないんですよね。
例えば、社殿の場合外千木は男の神様で内千木が女神である話もあるのですが必ずしもそうでは無いと書かれています。
鰹木も偶数と奇数で分けているのですが決定的ではありませんね。
蛇ですが、大蛇はいたのかも知れませんね。
でも人の話は伝わるにつれ大きくなっていきますからね。 いても不思議ではありませんが、そこで最近ですが大蛇と龍の関係で同一視していいのか分けた方がいいのか?
ほとんどの神社仏閣が龍神とするなか、蛇との関係がよくわかりません。

 
返信する
維真尽さんへ (ひー)
2012-02-04 20:32:10
それもありですね。
仏閣なども龍との関係があるので神仏とわず何かしら関係がありますね。

大蛇と龍の関係は私も知りたいところです。
返信する
Unknown (あーさん)
2012-02-04 23:44:42
しかし、なんとまぁ  すっかり丸坊主になっちゃいましたねぇ

でも本殿だけが残ったということに
或る思いを禁ずることができません


成る程  阿吽の阿形が吽形に変身したの鴨ぉ
返信する
あーさんへ (ひー)
2012-02-05 10:26:06
御神体が守ってくれたのでしょうか?
実は、津波の被害にあった道路を走っていると、小さな祠が流されず、残っているのです。
偶然に地形が守ってくれたのかもしれませんが回りの民家は潰されているのです。
何度も不思議に思いました。
返信する

コメントを投稿

宮城の散歩道(仙台を除く)」カテゴリの最新記事