ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

高山で昭和にタイムスリップした。

2014年08月07日 11時59分34秒 | 国内の散歩道
高山の街を歩いていると私は時間の渦の中へ巻き込まれた。

歪んだ時間の中から一台の人力車が駆け抜けていった。



ふと気付くと、私は細い路地を歩いていた。

そこには昭和の香りが漂っていた。



昭和が終わり、もう26年も経っている。 太平洋戦争が終わり軍国主義だった日本は民主主義へと移り変わり、工業の発展は日本を大きく変えた。
焼け野原だった東京はすさまじい発展を遂げ、若者は東京へと夢を抱き、集団就職などという言葉も生まれた。
家庭では電化製品が次々と生まれ、主婦の家事労働は徐々に変化し、快適になった。たらいに洗濯板の時代から全自動の洗濯機に、氷を入れて冷やした冷蔵庫も電気で冷やすことができ、自宅でも冷たいビールが飲めるようになった。 語れば長くなるので・・・・・ 







映画館の看板を見ると胸がわくわくする。

 


駄菓子屋だ。あんな店で買い物したのは、私たちの世代が最期だったのかも知れない。




カメラ屋さんには古い機材が並んでいる

昔の食堂はあんなテーブルとイスでしたね。 手前のすだれは昭和の家にはよくありました。



洗濯機で洗いが終了すると、ローラーに挟んで脱水ですね。あれは私の役目でした。



裸電球がぶら下がっている。スイッチはあのつまみをカチカチ回すのだ



ハエ取りリボンは大活躍。

病院の前だ。 中にはリアルな器具がたくさんあった。入口の横にあるのは、先生の往診用のバックだ。
私が子供の頃、通院していた先生も持っていたものだ。

診察台の上にある半円形の鉄の枠? 名前は知らないが、腹部を手術するとあれをかぶせその上の布団を掛けました。今も同じですかね?





現在の理髪店は、洗髪時に動かなくてもよくなりました。ハイテクになったものです。



二の宮金次郎本名は尊徳でしたね。どこの校庭にもあったものです。



昭和の部屋そのものですね。

アルマイトの食器と言えば学校給食ですね。脱脂粉乳やクジラの竜田揚げ懐かしいです。



昔の共同アパートや田舎の流し台は石やコンクリートでした。


この桶のお風呂ですが、中学まで居た借家はこのお風呂でした。釜の部分は無くなっていますが、薪をくべてお風呂を沸かしました。





私が初めて買ったLPレコードはこの天地真理のレコードでした。



小さな映画館がありました。映画は東京裁判のような感じでした。







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