安藝國一宮
嚴島神社
御祭神 市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命
「いつき島にまつれる神」という意味から「伊都伎島[いつきしま]大明神」等とも呼ばれていたようです。
鳥居の扁額を見ると厳島神社とは書いていなかったので何故なんだろうと思いましたが納得しました。
拡大してみました。
古くから神様が宿ると伝えられる聖なる島
平安時代後期、平清盛によって修築された厳島神社の社殿と海に浮かぶ朱塗りの大鳥居が優美な世界を織り成しています。
現在の大鳥居は平安時代から数え8代目のものだそうです。
それでは創建はと言うと、推古天皇即位の6世紀末とされ、12世紀に平清盛が現在の姿を確立したといいます。
実は、私達が行く前に大鳥居の屋根の部分を工事していたようです。
予定では、まだ工事中だったのですが早めに終了し前日完了したようです。ラッキー!
いざ、上陸!!
立派な狛犬ですね。
宮島に上陸したものの、満潮まで時間があったのでまずは飯を・・・
名物の「あなごめし」を食べたのですが、迫力に欠ける「あなご」だったので、写真は撮らず・・・
両部鳥居ですが、これだけの大木は探すのも組み立てるのも大変ですね。
これは柱を埋めているのでは無く置いている・・・って感じですね。自分の重さで沈んでいます。
境内には結婚式を迎えたカップルが二組いました。 おめでとうございます。
廻廊
客神社(まろうどじんじゃ)
本殿・幣殿・拝殿・祓殿からなり、嚴島神社の祭典(祭祀)は、この客神社から始まります。
この客神社から祭祀が始まるということは、非常に重要なポストにある神社なのでしょう。
まるで伊勢神宮の荒祭宮のようです。
御神体 天忍穂耳命・天穂日命・活津彦根命・天津彦根命・熊野櫲樟日命。
鏡の池と五重塔
厳島八景の一
絶えず清水が湧いていて、ご創建時一夜にしてこの池ができたのは、この造営がご神慮にかなったためである。と人々がたいそう喜んだといわれています。
客神社祓殿と廻廊で囲まれたところを、枡形といいます。
流石、世界遺産ですね。海外からのお客様も多いようです。
背景に二社見えますが門客神社です。
左門客神社 (ひだりかどまろうどじんじゃ) 右門客神社(みぎかどまろうどじんじゃ)
豊石窓神(とよいわまどのかみ) 櫛石窓神(くしいわまどのかみ)
左楽房 (さがくぼう)から大鳥居を望む
国宝で、舞楽のある時に楽を奏するところです。左右ありますが、舞楽には二つの流れがあり、インド・唐から伝わったものを左の舞といい、左舞(さまい)を舞うときは左楽房で奏します。
因みに、満州・朝鮮半島から伝わったものを右の舞といい、右舞(うまい)を舞うときには右楽房で奏します。
舞楽は、平清盛によって四天王寺から約820年前に伝えられたもので、嚴島神社で見ることができます。
能舞台
国重要文化財:切妻造・桧皮葺
永禄11年(1568)毛利氏は、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けさせ、能を奉納しました。現在の建物は、延宝8年(1680)広島藩主浅野綱長により造営されたもので、天神社と同じく、建造時期が下がりますので、丹塗りはしていません。
反橋
国重要文化財
別称:勅使橋(ちょくしばし・たいこばし)
長さ21m、幅4m、高欄は丹塗り・橋脚は墨塗り
鎌倉期に既にあったが、現在のものは弘治3年(1557)毛利元就・隆元父子により再建されたものです。
天神社
国重要文化財 : 祭神は菅原道真公
学業の神様として有名ですね。
ご創建は、弘治2年(1556)毛利隆元によって寄進されました。
前編ここまで・・・・
客神社を観たとき・・・つい「あらはばき」を思い出しました。元々ここに鎮座していたものでしょうか?
住吉から持って来たとの説明もありましたが、ここを出て右に行くと大元神社があります。
この厳島神社より先に創建されたとするものです。
そして、弁才天や龍神もあります。
どれも「アラハバキ」に関連するものばかりです。
弁才天は日本三弁天の一つだそうです。
何がアラハバキと関係あるかというと、出雲の神々の祖神は、「久那斗大神」は地蔵に、「アラハバキ」は弁才天になっとされています。
そして、龍神ですが、古代史研究家の吉田大洋氏は結論から言うと日本人の守護神は龍神様です。と云っています。
出雲大社も弁財天も住吉大社も八幡・・・も殆どです。これはいずれ・・・
非常に興味深い宮島ですが、まさに神秘に満ち溢れた島だと思います。
今回は観ていない部分が沢山あります。
泊り込みでの見学が必要ですね。
つづく・・・
嚴島神社
御祭神 市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命
「いつき島にまつれる神」という意味から「伊都伎島[いつきしま]大明神」等とも呼ばれていたようです。
鳥居の扁額を見ると厳島神社とは書いていなかったので何故なんだろうと思いましたが納得しました。
拡大してみました。
古くから神様が宿ると伝えられる聖なる島
平安時代後期、平清盛によって修築された厳島神社の社殿と海に浮かぶ朱塗りの大鳥居が優美な世界を織り成しています。
現在の大鳥居は平安時代から数え8代目のものだそうです。
それでは創建はと言うと、推古天皇即位の6世紀末とされ、12世紀に平清盛が現在の姿を確立したといいます。
実は、私達が行く前に大鳥居の屋根の部分を工事していたようです。
予定では、まだ工事中だったのですが早めに終了し前日完了したようです。ラッキー!
いざ、上陸!!
立派な狛犬ですね。
宮島に上陸したものの、満潮まで時間があったのでまずは飯を・・・
名物の「あなごめし」を食べたのですが、迫力に欠ける「あなご」だったので、写真は撮らず・・・
両部鳥居ですが、これだけの大木は探すのも組み立てるのも大変ですね。
これは柱を埋めているのでは無く置いている・・・って感じですね。自分の重さで沈んでいます。
境内には結婚式を迎えたカップルが二組いました。 おめでとうございます。
廻廊
客神社(まろうどじんじゃ)
本殿・幣殿・拝殿・祓殿からなり、嚴島神社の祭典(祭祀)は、この客神社から始まります。
この客神社から祭祀が始まるということは、非常に重要なポストにある神社なのでしょう。
まるで伊勢神宮の荒祭宮のようです。
御神体 天忍穂耳命・天穂日命・活津彦根命・天津彦根命・熊野櫲樟日命。
鏡の池と五重塔
厳島八景の一
絶えず清水が湧いていて、ご創建時一夜にしてこの池ができたのは、この造営がご神慮にかなったためである。と人々がたいそう喜んだといわれています。
客神社祓殿と廻廊で囲まれたところを、枡形といいます。
流石、世界遺産ですね。海外からのお客様も多いようです。
背景に二社見えますが門客神社です。
左門客神社 (ひだりかどまろうどじんじゃ) 右門客神社(みぎかどまろうどじんじゃ)
豊石窓神(とよいわまどのかみ) 櫛石窓神(くしいわまどのかみ)
左楽房 (さがくぼう)から大鳥居を望む
国宝で、舞楽のある時に楽を奏するところです。左右ありますが、舞楽には二つの流れがあり、インド・唐から伝わったものを左の舞といい、左舞(さまい)を舞うときは左楽房で奏します。
因みに、満州・朝鮮半島から伝わったものを右の舞といい、右舞(うまい)を舞うときには右楽房で奏します。
舞楽は、平清盛によって四天王寺から約820年前に伝えられたもので、嚴島神社で見ることができます。
能舞台
国重要文化財:切妻造・桧皮葺
永禄11年(1568)毛利氏は、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けさせ、能を奉納しました。現在の建物は、延宝8年(1680)広島藩主浅野綱長により造営されたもので、天神社と同じく、建造時期が下がりますので、丹塗りはしていません。
反橋
国重要文化財
別称:勅使橋(ちょくしばし・たいこばし)
長さ21m、幅4m、高欄は丹塗り・橋脚は墨塗り
鎌倉期に既にあったが、現在のものは弘治3年(1557)毛利元就・隆元父子により再建されたものです。
天神社
国重要文化財 : 祭神は菅原道真公
学業の神様として有名ですね。
ご創建は、弘治2年(1556)毛利隆元によって寄進されました。
前編ここまで・・・・
客神社を観たとき・・・つい「あらはばき」を思い出しました。元々ここに鎮座していたものでしょうか?
住吉から持って来たとの説明もありましたが、ここを出て右に行くと大元神社があります。
この厳島神社より先に創建されたとするものです。
そして、弁才天や龍神もあります。
どれも「アラハバキ」に関連するものばかりです。
弁才天は日本三弁天の一つだそうです。
何がアラハバキと関係あるかというと、出雲の神々の祖神は、「久那斗大神」は地蔵に、「アラハバキ」は弁才天になっとされています。
そして、龍神ですが、古代史研究家の吉田大洋氏は結論から言うと日本人の守護神は龍神様です。と云っています。
出雲大社も弁財天も住吉大社も八幡・・・も殆どです。これはいずれ・・・
非常に興味深い宮島ですが、まさに神秘に満ち溢れた島だと思います。
今回は観ていない部分が沢山あります。
泊り込みでの見学が必要ですね。
つづく・・・
いいですねぇ
やはり~
平清盛ということで ここへという事でしょう~か? (^_-)~☆
時間の問題もあったし・・
まぁ、カミさん家の氏神ですから一度行かないと・・・
私の氏神さんはいずれ・・・
自重で立ってるさうですヨ
修学旅行生だ大混雑でしたぁ
世界遺産を前にしても、鳥居と神様と狛犬は欠かしておりません。
さて、これほど歴史がありながら、建物がしっかりしているようです。
台風対策がされいるとも聞きましたが、(床が固定されいない等等)実際はどうでした?
(京都&奈良にも行くという強行日程だったので)
厳島神社行きたかったなー
どんどん水が上がって来るのを見ましたが、あまりの暑さに、満潮前に戻って来ました。
逆にきゃっかんてきに見て、答は一つでは無いのでは? 何から何までアラハバキに繋げるのもどうかと思いましたが、やはり歴史にもないそれ以前の神は大元と表現されていることに感動しました。
水対策は詳しくわかりませんが、床に隙間をあけて下からの水圧を逃がす工夫をしているようです。
廻廊は、水を流す役目をしているようですね。
まぁ、修学旅行はワイワイやってれば、楽しいからそれでもいいのかも?
私も、数年前に厳島神社に行きましたが、その時は全くアラハバキのアの字も知らなかったので、今なら何倍も楽しみがUPしそうで、「あの時に知っていればもっと楽しめたのに~」っと、ちょっと残念に思っております。笑
実は、わたくし、謎の出雲帝国を大枚をはたいてアマゾンで購入しました。(夫にちょっと呆れられています・・・。笑)対をなすもう1冊のほうも欲しいのですが、そちらはなんと5万円もしたので、ちょっと手が出ません・・・。笑
だれかに、もっと素人にも解りやすく、古代をまとめていただきたいですね・・・。ひーさんも本を書いたらよいのではないですか?私は買いますよ♪
これでは謎が深まるばかりです。さらに脇道にそれて本道に戻ってこられません。笑(そこが面白いと言えば、そうなんですけどね・・・。笑)