![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/a6/f17a4ac194866d3a8b8856397a4a03eb.jpg)
JR東日本の五能線にある「木造駅」です。
この土偶は亀ヶ岡遺跡から発掘された遮光器土偶がモチーフですが、どうも偽書「東日流外三郡誌」の影響を受けた。
上にリンクした。私のHPですが、そこから抜粋して記載します。
和田さんの説明によると、その遮光器土偶はつい最近、安藤氏の秘宝がある石塔山荒覇吐神社の洞窟から出てきたもので、出土した十二個のうち無傷の一個をよこすということでした。
青森県の鑑定もあるとのこと。 そんな貴重なものなら無料でもらうわけにはいかないということで、青森県の鑑定料にあたる七万円を支払った。
遮光器土偶を受け取りに行った氏子たちは、本物である証拠に見つかった洞窟を見せてくれと頼んだが案内してくれなかった。
ながながと書きましたが、結論は偽物でレプリカとわかりました。石塔山荒覇吐神社も作りものものですが。
アラハバキの御神体として遮光器土偶を取り上げたのだ! それもレプリカ!! またこれを信じた者たちが広めてしまった。
神社も自分で作ったものです。石塔山荒覇吐神社・・・・開いた口がふさがらない。
ちょうど五所川原にいたので記念撮影してきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/28/3fe1b2ad2ecefb32aad5cc207dd31c9f.jpg)
駅前にあった建物ですが、いい感じですね。 ドアのところに歯科の文字が書いていました。
空襲に遭わなかった町はこのような遺産が多いですね。 日本海沿いの街は特に大好きです。文化が残っているんですよ。
この土偶は亀ヶ岡遺跡から発掘された遮光器土偶がモチーフですが、どうも偽書「東日流外三郡誌」の影響を受けた。
上にリンクした。私のHPですが、そこから抜粋して記載します。
和田さんの説明によると、その遮光器土偶はつい最近、安藤氏の秘宝がある石塔山荒覇吐神社の洞窟から出てきたもので、出土した十二個のうち無傷の一個をよこすということでした。
青森県の鑑定もあるとのこと。 そんな貴重なものなら無料でもらうわけにはいかないということで、青森県の鑑定料にあたる七万円を支払った。
遮光器土偶を受け取りに行った氏子たちは、本物である証拠に見つかった洞窟を見せてくれと頼んだが案内してくれなかった。
ながながと書きましたが、結論は偽物でレプリカとわかりました。石塔山荒覇吐神社も作りものものですが。
アラハバキの御神体として遮光器土偶を取り上げたのだ! それもレプリカ!! またこれを信じた者たちが広めてしまった。
神社も自分で作ったものです。石塔山荒覇吐神社・・・・開いた口がふさがらない。
ちょうど五所川原にいたので記念撮影してきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/28/3fe1b2ad2ecefb32aad5cc207dd31c9f.jpg)
駅前にあった建物ですが、いい感じですね。 ドアのところに歯科の文字が書いていました。
空襲に遭わなかった町はこのような遺産が多いですね。 日本海沿いの街は特に大好きです。文化が残っているんですよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/c9/cdb8cb4379e18079bffbae1d2ae6327f.jpg)
五能線もスケジュールに入っていたのですが丁度そのころ御懐妊てことで...
「年とったら五能線と津軽鉄道だな」とか話してたのですがね。もう大分年とっちまったが乗れてません。
昔は城下町の弘前に対し五所川原は商業の街でした。甲乙つけがたい殷賑さでした。
この歯科医院は昔はやった看板建築のような感触もありますね。
母親は誤嚥性肺炎を起こし、施設から利府の病院に一時的に移っていました。
利府駅の裏側の田んぼのあぜ道に佇んでみました。
風にあおられる稲穂、小川の蛙とザリガニ、あぜ道にびっしりのバッタたち。
何時間でも佇んでいたい思いでした。
まだ乗ったことはありませんが、どちらかと言えば乗り鉄ではなく撮り鉄かも。
太宰の実家を記事にしたことがありますが、金持ちですね。家も和洋折衷で町には、かなり協力していたみたいですね。駅も自宅の近くに造らせたり、銀行みたいな商売もしていましたね。 入水は自殺のやつですかね。 地元だったんですね。
「記紀」も言ってしまえば藤原氏が作成した偽書ですが、古文書としてその裏側を想像するのは楽しいですね。菅原道真は古事記の偽りを指摘したので、太宰府天満宮に左遷させられと言う説もあります。太宰府天満宮のウソ替え神事とも関連するで私は面白い説だと思っていますが。
先月、国立博物館特別展「縄文」で遮光器土偶を見てきました。その時に、遮光器土偶は雪深い地方の冬服だろうと単純に感じました。縄文時代の人々が信仰していた「アラハバキ」は、山・川・磐といった自然崇拝で、遮光器土偶を御神体としていたというのはムリがあると思います。祭器のひとつとしは考えられますが。
同時に火焔型土器等も展示されていましたが、縄文人の芸術性の高さには驚きました。弥生式土器は合理的ですがデザイン的には陳腐なイメージです。
今その神の名前が出てこないのですが、どこかに書いた気がします。
結果その神はそれほどの力といいますか影響力は無かったようです。
調べて行くと藤原も渡来系と言われています。
いずれにせよ、日本最古の本であることで参考にするしか無いんでしょうね。
漢字の読みが統一されていない時代で、稗田阿礼の記憶を太安万呂←(人偏の呂なんですがスマホで出てこない。)文字にしたのですが、解釈も色々あるようです。
先代旧事本紀も偽書説がありますね。
仕方ないですね。タイムマシンでもあればすぐわかるのですが。
一日雨の予報です
となると今日も海には行けません
趣味のビーチコーミングが出来ません
ブログ拝見してます
<JR東日本の五能線にある「木造駅」です。>
珍しい駅ですね
まるで土器を販売しているお土産屋さんのようです
<空襲に遭わなかった町はこのような遺産が多いですね。 日本海沿いの街は特に大好きです。文化が残っているんですよ。>
此方には残っていません
鈴木さんは、どちらの方なのかなと考えてました。
千葉県なのですね。
ビーチコーミング・・とてもいい趣味ですね。
あれは魅力的な美しさがありますね。
近くの海は津波で家ごと流されていますからガラスのかけらも貝殻も根こそぎ海の沖に流されたことでしょう。
千葉には千葉の良さがあると思います。
地元にいるからわからないものです。
大歳神は片足との伝承が多く残っていますが、蛇を指しているものと思われます。
遮光器土偶は寒い土地からやってきたエスキモーみたいな先祖とか、ナガスネ彦尊ではないかと考えたりもしましたが、今では大歳神ではないかと考えています。
遮光器土偶の模様は蛇を表している。目を瞑っているのは死んでいるから。片足は蛇。自分達の祖先は蛇。死んだ蛇と人間を合わせて、あの姿を思いついたのではないかと思います。
大歳神も出雲ですね。
亀ヶ岡石器時代遺跡からの出土ですね。
三内は今回行ってきました15年前にも何度か行っているのですが中はよく見ていませんでしたので。
後で記事にします。
まだ二社の神社もアップしなくちゃいけないのですが、ホームページの修正を慕いましたので。
来たから真っ白な世界を渡って来た民族でしょうからね。