善知鳥神社
鎮座地:青森市安方2丁目7-18
御祭神:宗像参女神 多紀理毘売命(タキリビメノミコト)
多岐都比売命(タギツヒメノミコト)
市寸嶋比売命(イチキシマヒメノミコト)
天照大御神様(あまてらすおおみかみ)と速須佐之男命(すさのおのみこと)との誓約(うけい)によって生まれた神々。
『日本書紀』によると大御神が三女神に、道中にあって天孫(天皇)をお助けし、天孫の祭りを受けなさいとの言葉を下されたとある。
別名「道主貴」(みちぬしのむち)と呼ばれ、道中安全(交通安全・海上守護等)の神として篤い信仰がある。
社格:旧県社(奥州陸奥国外ヶ浜総鎮守
善知鳥村(青森市)発祥の地
御由緒:善知鳥神社は現在の青森市が昔、善知鳥村と言われた頃、奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護の神として、第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御世に日本の国の総主祭神である天照坐皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)の御子の三女神を、善知鳥中納言安方が此の北国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、その神願霊現あらたかな神々を祭った事に由来している。
三光稲荷神社創建不詳、安方町内に鎮座していたが明治40年11月移転 太平洋戦争にて焼失
昭和41年再建
龍神社安永9年安方・蜆貝両町の漁師により漁業繁栄のため建立。
明治9年新築、明治40年境内に移転、太平洋戦争にて焼失、昭和32年再建
増田手古奈句碑
うとう沼 昔は安潟といわれ、これに荒川・入内川が流れ込、周囲5~6里(20~24km)あり
浪舘・金浜・浜館等のまでに達する湖沼であった。
龍神水 龍神は水の神であることはご承知の通り
弁財天宮 寛永18年建立
説明割愛しちゃいました失礼。 以前から思っていましたが、青森は両部鳥居が多いです。
鎮座地:青森市安方2丁目7-18
御祭神:宗像参女神 多紀理毘売命(タキリビメノミコト)
多岐都比売命(タギツヒメノミコト)
市寸嶋比売命(イチキシマヒメノミコト)
天照大御神様(あまてらすおおみかみ)と速須佐之男命(すさのおのみこと)との誓約(うけい)によって生まれた神々。
『日本書紀』によると大御神が三女神に、道中にあって天孫(天皇)をお助けし、天孫の祭りを受けなさいとの言葉を下されたとある。
別名「道主貴」(みちぬしのむち)と呼ばれ、道中安全(交通安全・海上守護等)の神として篤い信仰がある。
社格:旧県社(奥州陸奥国外ヶ浜総鎮守
善知鳥村(青森市)発祥の地
御由緒:善知鳥神社は現在の青森市が昔、善知鳥村と言われた頃、奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護の神として、第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の御世に日本の国の総主祭神である天照坐皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)の御子の三女神を、善知鳥中納言安方が此の北国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、その神願霊現あらたかな神々を祭った事に由来している。
三光稲荷神社創建不詳、安方町内に鎮座していたが明治40年11月移転 太平洋戦争にて焼失
昭和41年再建
龍神社安永9年安方・蜆貝両町の漁師により漁業繁栄のため建立。
明治9年新築、明治40年境内に移転、太平洋戦争にて焼失、昭和32年再建
増田手古奈句碑
うとう沼 昔は安潟といわれ、これに荒川・入内川が流れ込、周囲5~6里(20~24km)あり
浪舘・金浜・浜館等のまでに達する湖沼であった。
龍神水 龍神は水の神であることはご承知の通り
弁財天宮 寛永18年建立
説明割愛しちゃいました失礼。 以前から思っていましたが、青森は両部鳥居が多いです。
同じ市杵嶋姫を祀っているのだから当然なのでしょうけど。
青森市を代表する神社でした。根本的には海上安全や大漁を祈願したようなので「水」に関する神が多いようですね。なんかそれは表向きで、もっと違った意味もありそうですが。
三島由紀夫は芸名で「三島の地で富士山に被る雪を見た」事から三島由紀夫と名乗るようになったとされています。
三島由紀夫の死は、瀬織通姫を演じた受代苦だったように思われます。
陸奥湾の「内」側に面しているのに、なんで「外」なのだろう?
半島で栄えていた十三湊側が「内」なんだろうかとも
考えておりました。
モノの本によれば日本全体から見ての「外」だからとのことですが、地名は地元由来が原則なのに...
ついでに鉄道マニアの私が出ますが、外ヶ浜はかつての森林鉄道の王国でした。
訪れることが出来る年齢になったころには、すべてが消え去ってしまっていました。
三島から見た雪だったとは・・・
自分的には、すべてとはいいませんが、根本に市杵嶋姫がいるような気がします。
駅に遅くつくと、列車と競争でしたよ。
やはり五能線ですね。海をバックに写真を撮りたいのですが、そんな時間の余裕はいつもありません。
最初の予定では、三沢基地がメインだったので青い森鉄道で写真が撮れればと思っていましたが中止となりました。
しかし、昔走っていた十和田電鉄は、とっくに無くなったし、なんと動いている赤字路線を記録に残しておきたいものです。