ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

八幡神社/宮城県鶴巣(祭神:瀬織津姫)

2018年08月01日 19時59分09秒 | 宮城の散歩道(仙台を除く)
鳥居の扁額には八幡宮となっていますが、神社庁の表記をタイトルにしました。

鎮座地:宮城県黒川郡大和町鶴巣下草字迫127 

主祭神:瀬織津姫命

由緒:第90代亀山天皇の御字天皇の第三皇子継仁親王が奥州の国司に任ぜられ、正応4年(西暦1291年、鎌倉時代)舞野荘高田着任せられたとき、瀬織津姫命(阿弥陀如来)勧請したと伝えられる。
また、八幡神は、継仁親王の後任として黒川下総守景氏(将軍源基氏の分流、文明4年歿)が鎌倉幕府の命によって着任高田御所を鶴楯城と改めここに住す。
この景氏の生家である飯坂家の氏神であった。
はじめ、宮城郡杉森に遷座したが、鶴楯城に移るに及んでこの社も、祀った阿弥陀如来とともに、下草の地に遷して黒川(飯坂)氏代々の守護神と仰いだ(後に、飯坂氏は宗清の代吉岡(今村)に移った。天和2年のことである)。
                                                  神社庁HPによる。

瀬織津姫とは、一言では言えないのですが・・・・まぁ、如何なる神も一言では言えませんね。

この神は、古事記・日本書紀には出てこない神名です。

治水神の性格を持ちますので水神や、川の神または龍神だったりします。  Wikiによれば九州以南では海の神ともされています。
祓戸四神の一柱で祓い浄めの女神でもあり、穢れを早川の瀬で浄めるとあります。

私の過去記事やHPでは伊勢神宮の荒祭宮は「アラハバキ」ではないのか?? と書いていますが、実は別名:瀬織津姫ではないか?とも
言われています。
根拠は、 『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』『中臣祓訓解』の中に記述があるということです。

以前の記事
お伊勢参り 7 荒祭宮(内宮)とアラハバキとの関係

天照大神荒御魂を主祭神にしてる神社の戦前の祭神は瀬織津姫だったところもあります。
天照大神荒御魂と言えばやはり荒祭宮ですから、繋がりますね。
熊野神社を遡り調べると熊野権現は瀬織津姫なりという説がある。大和政権がエミシ征伐の際、熊野権現を守り神とし北へ向かった。

また、吉祥天(弁財天)が瀬織津姫、そして阿弥陀如来と様々な表現が見られる。
古来から祀られている神でもあるのでしょう。










特に説明版はありませんでした。



瀬織津姫らしいところはないか??と探しましたが、ごく一般的な神社でしたが・・・・

一か所、他にない表記を見つけました。

普通、手水舎が普通ですが、ここは



御神水 「ごしんすい」です。

やはり「水」は神に等しい存在を表していますね。







どうも水は神殿の裏の方からひいているようですね。



御輿堂



ちょっと迷いましたが入口の角にこの標識が



最近大和町を巡っています。








コメント (12)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 多聞天(毘沙門堂)/多聞山七... | トップ | 石神山精神社(いわかみやま... »
最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (きんごろう)
2018-08-04 01:56:43
伊勢神宮の荒祭宮は正宮の後方にあり、正宮より高い場所にありますので、私も不思議に思い調べてみたのですが一般的に「瀬織津姫」だろういう意見が多いようですね。大阪市の御霊神社のように「祭神:天照大神荒魂(瀬織津姫)」と明記している神社もありますので私も正しいと思っています。
関東の小野神社系列の祭神は「天下春命」と「瀬織津姫」なのですが、厚木の小野神社だけ「瀬織津姫」がいません。そのかわり末社に「阿羅波婆枳社」がありますので、「瀬織津姫」と「アラハバキ」は同一神かなと思えます。
返信する
きんごろうさんへ (ひー)
2018-08-05 11:55:35
そうですね。 私もそう思います。
諸説あるなかで共通するところがあります。
弁財天と瀬織津姫の関係・・・今ネットサーフィンしましたら、こんな記事を見つけました。

【天武天皇は「天河大弁財天社」の創建に大きな
関わりを持ち天河の上空で舞う天女(=吉祥天の舞い)
を「吉祥のしるし」と感嘆し、役行者(えんのぎょうじゃ)
とともに「伊勢神宮内宮」に祀られる女神を天の安河
(あまのやすかわら)の日輪弁財天として祀っています。
その女神こそ天照坐皇大御神荒御魂瀬織津姫
=あまてらすおおきのかみのあらたませおりつひめ
なのです。】

瀬織津姫=あらはばき=弁財天

これはしばらく前に自分が考えていた繋がりです。

間違いなさそうですね。
返信する
乱暴者と武神。そして仏教。 (綱永井寵生)
2018-08-08 00:57:56
怨霊には乱暴者、武神、仏教で調伏する考え方があります。ここも怨霊である瀬織津姫を武神の八幡神で調伏する形を取っているものと考えられます。

この祀り方は岩切の八坂神社、鶴岡八幡宮、富岡八幡宮、太白山にも当てはまります。

太白山と富岡八幡宮は怨霊を押さえ切れなかった模様です。
返信する
綱永井寵生さんへ (ひー)
2018-08-09 17:26:32
綱永井寵生さんにとって八幡神社がダメなんですよね。
いずれ神社は怨霊を封じ込めている場合が多いのですが、自分的には八幡神社=源家が絡んできますね。
この辺の八幡神社は源頼朝の平泉の合戦絡みがおおいです。
今度近場の瀬織津姫を祀る神社に行って見ます。
 式神と聞くと陰陽師の小さな鬼を思い出しますね。
自分的には、八幡神社と瀬織津姫が組み合わせがわかりません。

瀬織津姫が怨霊で八幡神が抑えているということですか?
返信する
源義朝と鎌田正清。 (綱永井寵生)
2018-08-10 02:42:48
ひーさんへ

源義朝とその側近であり、自分の娘婿でもある鎌田正清を風呂場と屋敷で切り殺した長田忠敬の筋の者なので、私と八幡様は余り縁がありません。祟られそうです。
しかも紀義朝の首を上げたのに清盛の長男の重盛には卑怯者と罵られ命を狙われる。これで平家の血筋ながらも定義如来にも行けません。

娘婿の鎌田正清は奥州藤原家の血筋で藤原家にも憎まれる。同族の平家にも藤原家にも嫌われている。八方塞です。

震災の時もそうでしたが、太白山は崖崩れを起こしやすい山です。そこで調伏しようと八幡神社を頂上に祭るもダメ。それで頂上に貴船神社を祭り、中腹に八幡神社を下げて太白山の機嫌が治まったといわれてます。

大崎八幡神社にも鶏の伝承が残っていますし、富岡八幡宮の境内社には七渡神社がある。

勝者である天皇は祟りを起こさなければ基本祀られませんが、怨霊を封じ込める神として一緒に祀られます。

狩野英孝の櫻田山神社にも八幡神は祀られていますが、武烈天皇も怨霊と考えられてと考えられます。
返信する
綱永井寵生さんへ (ひー)
2018-08-16 08:27:47
最近訪問している神社は、どうも晴れ晴れしない神社です。 まぁ、性格上こんな神社が気になってしまうのですが。
最近、気にしているのは、やはり障りのないように気をつけようと考えています。災いが降りかかってはまずいですからね。
返信する
祭神につきまして (きんごろう)
2018-08-23 02:18:59
八幡神社の祭神は一般的に応神天皇(誉田別命)ですが瀬織津姫なのは珍しいですね。

私は秋に宇佐(八幡)神宮へ行くので予習をしているところなのですが、本殿は左から応神天皇、比売大神(宗像三女神)、神功皇后と並んでいます。神社では三柱の場合中央が上位ですので比売大神が最上位となります。呼び名は天皇側から一之殿二之殿三之殿となっていますが、並びは比売大神が左右に天皇・皇后を従えているように見えます。参拝作法も出雲大社と同じ二拝四拍一拝ですので反骨精神が強い神社かなと思います。

さて、こちらの八幡神社は祭神が瀬織津姫で、宇佐神宮の主祭神の比売大神(宗像三女神)と名前が違います。そのことにつきまして私なりに考えてみました。

宗像大社は裏伊勢とも呼ばれており、天照大神の荒魂である瀬織津姫を祀った際、三宮あったそれぞれの祭神名を宗像三女神に変えて祀ったという説があります。その後宇佐神宮は宗像三女神を主祭神に迎えました。こちらの八幡神社の祭神が瀬織津姫ということは、「宗像三女神は瀬織津姫だった」と裏付けることになるかもしれませんね。
返信する
きんごろうさんへ (ひー)
2018-08-24 12:58:07
そうですね。
チョット出かければ、あと二社瀬織津姫を祀る神社がありますので行ってみたいと思います。
宇佐神宮は仕事で行ったことがあるのですが、その頃は興味が無かったので、いずれまた行きたいと思います。
宮島もそうですが宗像三女神今後気にるところです。
今度宮島に行った時は三社すべて回りたいと思います。
それから大元神社がありました。家族がいたのとあまりの暑さに回りきれませんでした。
山頂まで登らないと・・・
つぎは宮島に泊まりますよ。
八幡宮の頂点に存在する宇佐八幡ですから存分に見聞してきてください。
返信する
瀬織津姫と久々能智神 (きんごろう)
2018-09-15 21:48:30
瀬織津姫が縄文時代の女神ならば北海道方面はどうなのだろうと思い調べましたところ、興味深いことが解りました。「樽前山神社」は古来から樽前川を祀る「樽前神社」と呼ばれ、瀬織津姫が祭神でした。明治になって神社名に「山」を入れられ、山を祀るのに水の神様はおかしいということで、現在の祭神、大山津見神・久々能智神・鹿屋野比売神に変更させられたようです。

*久々能智神は木の神ですが、姉崎神社の末社の新波々木神社には「祭神:句句廼馳命」と書いてあり、久々能智神とアラハバキとは関係が深いと思います。
久々能智神は上棟式の祝詞にも登場する木の神のようです。

また別件で申し訳ありませんが、熱田神宮は「主祭神熱田大神は天照大神です」と書いてあるのに相殿にも天照大神がいます。私は主祭神が「天照大神の荒魂=瀬織津姫」が本来の姿ではないかなと思いました。

調べれば調べるほど瀬織津姫が不憫でなりません。
返信する
きんごろうさんへ (ひー)
2018-09-16 18:39:50
どんだけ神様があるんだろうと思います。
そして同神と言われるものも非常に多いです。
書き出そうと思いますが、きりがありません。
明治になるとお寺までと言いますか神仏混合の日本独特の信仰の歴史がありますが強制的に神社された所は山ほどあるでしょう。断った所は火をつけられたところもあるようです。
時代と共に変化していく様は仕方がないありませんが、真実が隠れて行くと神様は怒ると思うんですよね。
返信する

コメントを投稿

宮城の散歩道(仙台を除く)」カテゴリの最新記事