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地元のおばさんが、お参りに来てました。
さり気に立ち寄り、何をお祈りしているのでしょう。
手を合わせる心・・・・無くしたくないですね。
母もよく近くのお社にお参りします。凄く信心深くこの後ろ姿を見て、母の姿と重なりました。
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お社の横の灯篭には、鹿の彫り物のようです。
鹽竈神社には、木で彫られた白い鹿が置かれています。
これは神の使いとされていますので、その意味があるのでしょう。
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神事に使われている水を入れた4口の釜です。
水替は、全部入れ替えなく少しずつ残してるとも聞きます。
どっかの老舗のうなぎのタレのようですね。
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塩竈の地名の由来は、御釜とか神釜と呼ばれるこの四口の鉄製の釜が祀られていることから由来するものです。
古くから製塩が行われていたことは何度もお話しましたが、近辺の貝塚遺跡からは、海水を煮詰めた土器の破片が数多く発見されています。
鉄釜による製塩へと変わったのは平安時代のようです。
1300年頃に描かれた塩竃津の風景画には、二基の釜が描かれており、この頃すでに塩焼きの釜が塩竈のシンボルになっていたことが考えられます。
この四口の鉄釜は、いつ頃の物かは不明ですが、江戸時代初期の塩竈の絵図にはすでにこれが描かれています。
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御釜の伝説
四口の神釜に屋根は無く、ここに湛えられている水は、常に溢れることも涸れることも無いとされ、江戸時代には世に変事のある時、その前触れとして御釜の水の色が変わると云われていました。
また塩竃の地誌「奥鹽地名集(おうえんちめいしゅう)」には、釜はかつて七口あり、そのうち三口は盗賊に持ち去られたという伝説が記されています。
それによると一口は、釜ヶ淵(新浜町の東北区水産研究所の先の渕)の海底に沈み、別の一口は、野田の釜田(塩竈陸橋下あたり)の田の中に埋まり、さらにもう一口は、黒川郡志戸田村の塩竃殿(富谷町志戸田の行神社)と称される所に沈んでいると記されている。
【案内板より】
行神社は、地図で確認できたので、いずれ行きたいと思います。
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海水を煮詰めた鉄釜は、普段はこのように保存されています。
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元禄二年五月八日、芭蕉は御釜神社に詣
「末ノ剋、塩竈ニ着、(中略)出初ニ塩竃ノかまヲ見ル云々」とあり、神釜を拝し古来製塩の由来に思いを馳せ、鹽土老翁神の偉大さに参仰の言葉を惜しまなかったのである。 (曾良旅日記より)
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境内の奥に行くと 藤鞭社と牛石(ふじむちしゃ)
昔、和賀佐彦(わかさひこ)という神様が七歳の子供の姿となって、塩を載せた牛を曳かれました。
その牛が石になったとされるのが牛石です。
そこの池の中には、今もなお牛の背を思わせる石が沈んでおり、一年に一度の水替え神事の際、その姿を見ることが出来ます。
またこの池の水は海と繋がっているとも言われています。
また神様が立てかけて置いた藤の鞭に枝葉が茂り、藤の花が咲いたのをお祀りしたのが藤鞭社(藤鞭の祠)といわれています。
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春に行った頃
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御釜神社の場所はここです。
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新しい石碑がいつの間に・・・・・
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この角には、昔からのお店がある・・・
このお茶屋さんも老舗ですね。
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この駄菓子屋さんも、変わりませんね。
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誰ですか・・・「もうし~」なんて言ってる人は、あれ?あのやろっこ誰だ?
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伊勢模型屋さん
看板は新しくなりましたが、いまだに健在!
ゼンマイカーのプラ模型や戦車や軍艦・・・潜水艦の模型はゴム動力で、遊ぶ時は風呂に入りながらでした。
モーターはマブチのモーターですね。
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長々と失礼しました。 おわり
その1に戻る
さり気に立ち寄り、何をお祈りしているのでしょう。
手を合わせる心・・・・無くしたくないですね。
母もよく近くのお社にお参りします。凄く信心深くこの後ろ姿を見て、母の姿と重なりました。
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お社の横の灯篭には、鹿の彫り物のようです。
鹽竈神社には、木で彫られた白い鹿が置かれています。
これは神の使いとされていますので、その意味があるのでしょう。
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神事に使われている水を入れた4口の釜です。
水替は、全部入れ替えなく少しずつ残してるとも聞きます。
どっかの老舗のうなぎのタレのようですね。
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塩竈の地名の由来は、御釜とか神釜と呼ばれるこの四口の鉄製の釜が祀られていることから由来するものです。
古くから製塩が行われていたことは何度もお話しましたが、近辺の貝塚遺跡からは、海水を煮詰めた土器の破片が数多く発見されています。
鉄釜による製塩へと変わったのは平安時代のようです。
1300年頃に描かれた塩竃津の風景画には、二基の釜が描かれており、この頃すでに塩焼きの釜が塩竈のシンボルになっていたことが考えられます。
この四口の鉄釜は、いつ頃の物かは不明ですが、江戸時代初期の塩竈の絵図にはすでにこれが描かれています。
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御釜の伝説
四口の神釜に屋根は無く、ここに湛えられている水は、常に溢れることも涸れることも無いとされ、江戸時代には世に変事のある時、その前触れとして御釜の水の色が変わると云われていました。
また塩竃の地誌「奥鹽地名集(おうえんちめいしゅう)」には、釜はかつて七口あり、そのうち三口は盗賊に持ち去られたという伝説が記されています。
それによると一口は、釜ヶ淵(新浜町の東北区水産研究所の先の渕)の海底に沈み、別の一口は、野田の釜田(塩竈陸橋下あたり)の田の中に埋まり、さらにもう一口は、黒川郡志戸田村の塩竃殿(富谷町志戸田の行神社)と称される所に沈んでいると記されている。
【案内板より】
行神社は、地図で確認できたので、いずれ行きたいと思います。
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海水を煮詰めた鉄釜は、普段はこのように保存されています。
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元禄二年五月八日、芭蕉は御釜神社に詣
「末ノ剋、塩竈ニ着、(中略)出初ニ塩竃ノかまヲ見ル云々」とあり、神釜を拝し古来製塩の由来に思いを馳せ、鹽土老翁神の偉大さに参仰の言葉を惜しまなかったのである。 (曾良旅日記より)
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境内の奥に行くと 藤鞭社と牛石(ふじむちしゃ)
昔、和賀佐彦(わかさひこ)という神様が七歳の子供の姿となって、塩を載せた牛を曳かれました。
その牛が石になったとされるのが牛石です。
そこの池の中には、今もなお牛の背を思わせる石が沈んでおり、一年に一度の水替え神事の際、その姿を見ることが出来ます。
またこの池の水は海と繋がっているとも言われています。
また神様が立てかけて置いた藤の鞭に枝葉が茂り、藤の花が咲いたのをお祀りしたのが藤鞭社(藤鞭の祠)といわれています。
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春に行った頃
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御釜神社の場所はここです。
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新しい石碑がいつの間に・・・・・
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この角には、昔からのお店がある・・・
このお茶屋さんも老舗ですね。
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この駄菓子屋さんも、変わりませんね。
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誰ですか・・・「もうし~」なんて言ってる人は、あれ?あのやろっこ誰だ?
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伊勢模型屋さん
看板は新しくなりましたが、いまだに健在!
ゼンマイカーのプラ模型や戦車や軍艦・・・潜水艦の模型はゴム動力で、遊ぶ時は風呂に入りながらでした。
モーターはマブチのモーターですね。
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長々と失礼しました。 おわり
その1に戻る
続行願います♪
鹿:春日灯籠ですね。
マブチモーター 社長が殺されたんですね。
たしか松戸だったかな?
春日灯篭ですか・・ちゃんと名前がついていたのですね。
春日大社にあるのですか?
奈良と言えば鹿ですからね。
小さい頃から、塩竃神社に祀られている白い鹿が気になってました。
今日は、咽喉ガラガラで、かあちゃんが早く寝ろというので寝ます。
マブチモーターそうでしたね。
銅鐸にもでてくるし
見返りの鹿なんてのも 発掘されてるんですが
昔から~
神仏と関係が あったのでしょう~ね (^_-)-☆
塩って古今東西、重要なんだってこと、韓ドラ時代劇観てて思いましたわ~(←なんでこんなときに)
つながってきました m(__)m
大相撲を見ていて思ったのですが
相撲は神事でしたよね~
土俵に塩を撒きますけれど~昔は
神社の中に土俵があったのでしょうね
その名残 あるのでしょうか?
土俵 米俵 俵という字も繋がりが~
灯篭の彫り物、見事です。
お茶屋さんに駄菓子屋さん、変わらない佇まい、ずっとこのままであって欲しいと思ってあいまいますね。
とうとう祓川が完全暗渠になっつまったげんと、
昔は御山の表坂下まで舟が入ってたようだなぁ・・・
釜高下のマコロン屋の辺りの旧地名は江尻だべ
塩竈市水道部のHP見っと昔の海岸線の略図が出でっけっと、
御釜神社の辺りは海っ端だおんね
この辺りに常設の塩炊場があって入りこみの塩汲池が掘ってあったんだべぉん
年代くだって何処でも塩作るようになって
始めに塩つくってた場所が神聖になっただべなぁ・・・
んで、場所と道具ば祭ったのが御釜神社でねぇべがぁ?
塩竃神社には何度か行っていますが、
その周辺も歴史があるのですね。
暖かくなったら、訪れて見たい所が増えました
仙台に住んでいても知らない所が多いので
ひーさんのブログはとても参考になります。
次回も楽しみにしています
宮城にも鹿のいる島があります。勿論神社も…年内に行ければと……
時代劇だから、そんな話しがでるのでしょうね。
食生活は健康の柱ですからね。