日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

違う音楽に

2018年03月27日 | 生きづらい人
人ってみんなそれぞれだけど、何に合わせて生きるかっていうのが、大きくふたつに分かれるんじゃないかな。

外から聞こえる音楽に合わせる人と
中から聞こえる音楽に合わせる人。

もちろんみんな、どちらの音楽も聞こえてて両方に合わせることもあるけれど、どちらかといえばこちらが主だな、っていうの、あるんじゃないか。

一人の中にも両方があって、その時次第で割合も変わるかもしれない。どちらがいいとか悪いとかじゃなくて、社会にとってもいろいろに混ざってることが必要なんだ。

外から聞こえる音楽に合わせる方が多数派みたいだからそれが普通って思われている。全員がばらばらでも成り立たないけれど、違う人もいないと。そうしないと、新しい音楽が生まれない。

だけどそういう人はまず自分が中から聞こえる音楽の人だってことさえ知らないから、混乱するよね。

他の人と同じようにしようとしてもできない。

みんなにちゃんと音楽を聞いて!合わせて!って言われれば言われるほど、踊れない、動けない。
だってそれはその人の音楽じゃないから。
違う、ということだけは、はっきりわかるんだ。

みんなの声が大きくて、自分の中の音楽は聞こえない。

自信を無くせば、もっと聞き取りにくくなる。

とっても静かで暖かくてしあわせな場所で、楽しい気持ちで耳をすませば。

それをにこにこ見ていてくれる人がいれば。

小さく小さく、聞こえてくるかもしれない。

それから初めて、それに合わせて、ステップをひとつ、ふたつ、試し始めることができるかもしれない。

音楽を見つけるところからやるんだから、もっとずっと時間はかかる。

でも時間なんていくらでもかければいい。

いつかすごくオリジナルで面白い踊りになるかもしれない。
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苺とトイレットペーパー

2018年03月23日 | 日記
待ち合わせの時間にアパートに着いたら、開けっぱなしの部屋はもぬけの殻だった。
今日引っ越すのだから空っぽのはずなのに、あちこちにものが散乱している。
のぞいてみたら冷蔵庫も食料棚も普通にぎっしり詰まっていて、軽く目眩がした。

ごめんごめん、とかけこんできた部屋の主は、もうすぐできるからとバタバタ荷物をまとめ始めた。

宅急便は呼べるかな?
ダンボールってどこにある?

ダンボールもらいにスーパーに行ったら、よく熟れた大きな苺が少し押されて半値になっていたのでついでに買ってきた。

もうちょっと待ってて!

荷造りと掃除に大奮闘する異国の学生さんに、苺をひとつ、ふたつ、洗って手渡す。

埃立つ作業場に、ファンファーレみたいに高らかに華やかな香りが立ち上る。

美味しいね!

やっと終わった時には日は暮れていた。
牛乳を一気飲みしてパックを捨てて、スーツケースを持って部屋を出て。

あなた急いでるでしょう、先に行っていいよ。

ありがとう、とても助かりました。

スーツケースを軽々と抱え、学生さんは元気よく駅の方向の未来に向かって走っていった。

見送る私が手にぶら下げてるのはトイレットペーパー6ロール。最後に、これ、どうしたらいい?と相談されて引き受けたから。

多分二度と会わないけれど、幸福を願うよ。

元気でね、グッドラック。







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ネガティヴ ケイパビリティ

2018年03月22日 | 苦しむ人とともにあること
昨日の続き。

昨日の記事の内容も実は去年くらいからしゃぶってるあめなんです、そういえば。

以前書こうと思って書き始めたのに別の内容の記事になったんだった。
昨日の、これはネガティヴ ケイパビリティの話だよね、と思っていた。

もう、ちょっと忘れてきちゃっていて

ジョン・キーツのではなく
帚木蓬生さんでもなく
藤田一照さんのでもなく
私の定義になっちゃうけど

ネガティヴ ケイパビリティとは
「答えの出ない問いと共に居続ける力」

意識はすぐに答えを出そうとするけれど、
それがいいこととは限らないんだよね。

急いで解決するのではなく
謎と、不可解と、不条理と、プロセスとともにあり続ける

あ、ネットでみつけた。
「すぐには答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」だって。

帚木蓬生さんはこうも言う。

「人と人が接するところの問題は、おいそれと解決できなくて当たり前。」

「ただちに解決できない状況につき合えるのも一つの能力。そう思えたら、肝が据わります」

でも私が気に入ったのは一照さんの定義だから後でメモ見つけたらまたシェアします。

このあめはもうだいぶ溶けてきた。

多分もうちょっとしたら私の中に溶けて見えなくなる。私の一部になる。

あるいはリスが隠して隠し場所を忘れて春に芽がでるドングリみたいに、どこかでひょっこり顔をだすかも。

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あめをなめるみたいに

2018年03月21日 | 命について
お昼休み、仕事の裏方で

「あなたはどうですか」

と聞かれて答えなかった。

みんな一回り、自分のイチオシ(今の子なら推しって言うんだよね?)を答えたんだけど。

あなたは?とまた聞かれて「考え中です」と答えて、そのまま、まだ考えている。

なかなか溶けない大きなあめ玉を、洗って包んで大事に持ち歩いて。
時々出して舐めるみたいに。

そうしながら、ふと、これはこれでいいことなんじゃないかと思った。

早く答えを出すのではなく、その問いをずっと大切に持ち歩くこと、が。

そもそもその問いはなにを聞いているのか、とか

私にとってどういう意味をもつのか、とか

もしかしたら他の考え方があるのでは、とか

あれこれ考えながら。

答えを出そうとせずに、しばらくなめています。







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花も実も

2018年03月19日 | 命について
その木にその木の花が咲く

その木にその木の実が実る

それだけのこと

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