日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

待てばいいのね、は違う

2018年03月10日 | 苦しむ人とともにあること
前の記事の続き。

じゃあ待てばいいのね。
自分から動き始めるまで。

よく聞くもんね、「待ってあげてください」

うーんと、違う。

厳密に言えば、そこじゃない。

「待ってあげてください」とは、あなたのその害しか及ぼしていない期待と要望の押し付けをまずはやめましょう、ちょっと待って、待たないことをやめなさい、というほどの意味で。

待てば全て解決とは言ってないんです、多分。

立ち合うことは、待つと同じではない。
ほったらかしていいってことではない。

結果として待った形になったとしても、大事なのはやっぱり中身なんだ。

何もできないけど、それはイコール何もしないのと同じではない。

誰かと共にあることって、その時その時に真剣に立ち合う連続したプロセスの総体なんだと思う。

残念ながら、手を抜く間はない。

言いたいこと、伝わるかな。

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そばにいる

2018年03月09日 | 苦しむ人とともにあること
私も元々、誰とでも自然にちょうどいい関わり方ができる方ではなかったので、人とのいかたには特別に関心を持っていた。

いつもお世話になっているマミさんによれば
「その人に時間と空間をあげるのが大事」

‥そう思う。

母の最期の旅路につきあってくれたカンゲンさんの情報によれば
「家族関係の基本はニュートラル」

‥ほんとにそう思う。

同じことだよね?

人はたとえどんなに近くにいても、家族でも、親子でも、唯一無二のそれぞれの命を生きている。

そのことに対する敬意、おそれなしに、ああ言ったからこう言う、こうすればいい、は違うと思う。

ただ反射的にやりあっても、誰もしあわせにならないと思う。

まずはその人の内側から表現されるものを、邪魔せず、立ち合う心づもりでいたら。

それが例えば、暗くて辛くてたまらない面であったとしたら、横にいてその時間をともに過ごす。

試練のようにもがく時期だったとしたら、できる限りの応援をする。

でも、生きるのは、その人。

そばにいるよ、以外は何もできない。

何もできないけど、そばに、いる。











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からだの側面で

2018年03月06日 | 命について
ある時、気がついた。

人とのいかた、のすごくいいやつ。

説明してみるね。

向かいではなくて横に座る。

すぐそばじゃなくても、

顔も見なくてかまわない。

ちょっとぼんやりしたまま、からだの側面ですぐそばにいる人の雰囲気のあたたかさを感じる。

そして勝手にそのあたたかさにくつろぐ。

やってみて。



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親子の卒業

2018年03月05日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
息子がもうすぐ卒業します。

お世話になった「子どもを一番大切にする学校」で、最後の保護者会がありました。

(あ、でも、学校、保護者会、で流れるように自然にイメージした画像を一旦停止してください。いくぶん違う可能性も高いから。)

この学校はかなり変わった素敵な学校です。

「行かなくてもいい学校」

「お休みします、遅刻します、も連絡しなくていい学校」

「無理してないですか、もっとお休みしていいんですよ、と言う学校」

不登校を経験した子どもたちのために作られた学校。

3月の保護者会は、卒業していく子どもを持つ親が、一人ずつみんなの前でお話します。

多分それは卒業していく子を持つ親の小さな卒業式。
何故かと言えば入学して学んで成長するのは子どもだけではないからです。

不登校という壁にぶつかって、悩み苦しみここにたどり着いた仲間たちは、みんな悩みつつ考えます。

育つってどういうことだろう。

親として子どもにできることは何なんだろう。

生きるってことはどういうことなんだろう。

真剣に向き合った親は変わっていきます。

そして例え子どもは登校しなくても(登校しなくていいんですよ!)親が変わっていくと子どもが変わっていきます。

親が行かなくていいと本当に思うようになったら、そうしたらどういうわけか子どもが元気になって学校に行くようになったりして。

子どもが学校に行けたらいいですよね。
でもそれは子どもが元気に明るく行けるなら、です。
行く行かないではなくて、大切なのは中身です。
子どもの命がピカッと光っているかどうかです。

親と子と。

家族ごとお世話になりました。

たくさん学んで成長しました。

これからもずっと、学び、育っていきます。





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母に会いに

2018年03月02日 | 日記
光が春になりましたね。

風がどんなに冷たくても、目がもう、喜んでる。

昨日なんかポカポカで、ダウンを脱いでシャツ一枚でうきうきと歩きました。
(寒がりの夫にはあなたはおかしいと言われましたが)

あちこちで花が咲いていてうっとり。

母に会いに行きました。

お誕生日だったから。

まあ、お墓なんですが。

小さなお弁当とおやつを持って、日向でゆっくり過ごしました。

生きた体は、ないけれど。

出会ったということは、失われることがない。

久しぶりの、母と一緒の時間。

楽しかったな。

また、行きましょう。









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