歴史に学ぶ人事・経営論

横浜の社会保険労務士・行政書士関口英樹です。

役職の重さについて

2016-01-21 09:01:16 | 日記
皆さんにおかれましては、いいポジションにいらっしゃり、関口は嬉しくも羨ましくもあります。
だからこそ、責任の取り方が重要になってくる時があるのです。

戦国時代、天下布武を唱えた織田信長は、本能寺の変で討たれた。
その後、名門織田家の本流は、紆余曲折を経て、なんとか2万石の土地かき集め、幕末期に念願だった藩としての体裁を整えることに成功した。
この立役者が、名家老である吉田大八である。

この弱小藩に新政府から、反政府軍である奥州連合(仙台藩、会津藩等)を打つため、先陣を切るよう命令が下った。
そもそも弱小藩に官軍の先陣など切れるはずなどない。
大八は恐縮しながら、「なぜ我が家なのですか」と聞いたところ、新政府の見解は、単純明白であった。
「貴家は、織田信長の末裔である。心して、徳川荷担の奥州諸藩を打つべし」

新政府に逆らう力もない弱小藩は、やむなく開戦に突入した。
結果は想像に難くなく、領内は火の海となり、御殿(弱小藩に城など持てない)も陥落した。
悲劇だったのは、賊軍と化した奥州諸藩の武士達が、領民に対し、暴行・強盗・放火など、悪事の限りをつくした。
織田家の武士達は、自身の家族と領民を守ることができなかったのだ。

藩士たちは、このやり場のない怒りを責任者である大八に転嫁した。
責任者の身柄引渡しを執拗に求めてきた奥州諸藩に対し、
一連の責任を大八に押し付け、大八の身柄を引渡したのだ。
奥州連合は、大八を血祭りに上げるべく、取り調べを行ったのだが、
正論を吐く大八をどうしても処罰することができない。
やむなく大八の身柄を織田家に戻し、その処分を一任した。

戻ってきた大八は、責任をとって切腹。享年38歳。
領内を火の海にした責任をとり、藩士、領民に謝罪した形となった。

こういったことは、倒産会社でも起こりうる。
経営幹部にとって、営業部が仕事をとってこないから、あるいは製造部が良い製品を開発しないから倒産したのだ。
しかし、営業部と製造部にとっては、経営幹部が無能だからと考え、その恨みの矛先は、経営幹部に向かうのだ。

万が一、そういった状況になってしまった場合、社内のキーパーソンである皆さんの「あり方」「責任の取り方」が問われるのです。

しかし今のお立場を築かれた%%name%%さんでしたら、心配は無用です。
こういった場面でも、必ず乗り越えられるはずなのです。


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