今日はリーダーシップについてです。
人間の欠点の一つに、お山の大将となり、慢心に陥ることがある。
天下人となった徳川家康も、例外ではない。
彼が大将として成長したのは、「三方ヶ原の戦い」以降であり、若い頃から謙虚に周りの意見を聞き入れることができたわけではない。
当時、家康は、31、2歳の血気盛んな若大将だった。
武田信玄率いる武田軍が、遠江に攻め込んできたのは、そんなときだ。
まず、徳川家の譜代家臣、中根正照が守る二股城を陥落させた。
次は家康が死守する浜松城に攻め込んでくるのが常套手段だ。
家康は、武田軍との戦闘に備え、万全の態勢で待ち構えていた。
しかし信玄は、「家康など、とるに足らない」
と言わんばかりに、浜松城を通り過ぎ、三河に向かった。
52歳で経験豊富な信玄は、家康を城からおびき出す挑発作戦にでたのだ。
家康は、戦国武将としてのプライドを大きく傷つけられた。
家臣が懸命にとめたにも関わらず、城から飛び出し、信玄軍を追いかけた。
一方、老練な信玄は、軍勢を整え、待ち構え、信玄流「風林火山」のごとし、激しい攻撃を加えた。
家康軍は激しい攻撃にさらされ壊滅状態に陥り、大切な兵と多くの家臣を失い、自身も命からがら逃げ帰ったのだ。
城に帰るとすぐに画家を呼び、その際の恐怖におののいた自画像を描かせた。
(写真の「しかみ像」名古屋の徳川美術館所蔵)
苦い経験を忘れまいと、終生の反省材料にするためだ。
慢心に陥りそうになったとき、当時の情けない顔を眺め、自身を諌めたという。
家康は、反省力を備えることで、超一流のリーダーに育っていったのだ。
このことは、皆さんも同じだと思うのです。
今の皆さんが順調なのは、反省力があるからではないでしょうか。
ぜひぜひ皆さんの反省力の秘訣を、関口に教えてほしいのです。
ちなみに関口は、日々の業務で反省事項があった際、反省力ノートに記入し、後日の反省としています。
~中小企業の法務担当~
社会保険労務士・行政書士 関 口 英 樹
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