
大分の寺の裏にあった五輪塔です。
今日のタイトルは、「修羅場」です。
修羅場(しゅらじょう)とは、
阿修羅王が帝釈天と闘う場所。
転じて、血なまぐさい戦乱または勝ち負けを争うはげしい闘争の行われる場所。
(広辞苑より)
あまりにも勉強不足で、阿修羅王と帝釈天の戦いについては書けません。
阿修羅の娘が、帝釈天に犯されたことに腹を立て、阿修羅は帝釈天と闘うことになる。
しかし、阿修羅の娘は後に帝釈天の正式の妻になる。
阿修羅は、正義を重んじ戦いをしたことになる。
戦いに敗れ続け、地獄と境の修羅に落とされる。
高倉健さんの映画を思い出しました。
単身乗り込み、切り刻まれながらも本懐を遂げる姿です。
正義という言葉は、日本では死語に近い。
正義で生きることはかなわぬからです。
生きるためには、泥水だって飲まざるを得ない人生です。
正しいことが、そのまま通るものでもありません。
阿修羅の正義、帝釈天の正義、阿修羅の娘の正義と人それぞれの正義がある。
誰かの正義だけでは通らない。
しかし敢えて戦いを望むからには理由がある。
どんな組織でも提案が出なくなると、病んでくるのである。
私は違うと、上に歯向かう姿を見ます。
こうすると良いのではないかと提案します。
今までと違う方向性が示されます。
このような方は、例外なく修羅場を見ます。
そしてレッテルを貼られる。
難しい奴で使いにくい。
ここで私はアドバイスを送りたい。
一時的には修羅場でも、長い年月ではほんの一コマです。
オンリーワンになるためには通らなくてはならぬ道です。
粘り強く頑張ってほしい。
そのうち受け入れられ、「昔からこうだった」と上司が言い始めます。
あたかも、上司が自らなしえたことかのごとく。
変革が起こったんだから、焼きもちなどは焼かないことです。
戦いは、自分のなかにある「怖気づく心理」との闘いでもある。
案外言ってみれば、なんでもないことなのです。
皆もそう思っていた。何か変だったと。
勇気を持って言ってみましょう。
言ったからには、やりましょう。
新しいことは慣れぬことで、辛い時もあるでしょう。
そのうち身体も心も慣れてしまい、辛いことが何だったのか忘れますから。
確かに使われてなんぼの社会です。
使う側は、誰でもよかった。
これでは、使われる側がオンリーワンになる道は程遠い。
あいつでなければと、名指しされるくらいでないとオンリーワンにはなれない。
オンリーワンの先輩がうじょうじょいる組織は、個性的で活発です。
会議をしようものなら、収拾がつかない会議の連続となる。
こんな組織に入った後輩が一番最初に学ぶことは、
「ここまで言って良いんだ」と先輩が教えてくれたことです。
変な人がいっぱいいる組織こそ、センチュリーカンパニーになれるのです。
一人だけの正義では生き抜けないのです。
狸寺 話し話させ 鼓なる
2018年4月25日