さざなみというタイトルの絵です。
波と風に魅せられて、何枚も水面(みなも)の絵を描きました。
描き疲れたころ、この絵ができました。
笑わせる人になろう。と仕事を始めた。
何をやっても、笑ってくれない。
疑心暗鬼で仕事の限界を感じた。
落ち込むこと数カ月。
いつものように、臥薪嘗胆。
ならば、笑う人になろうと趣旨替えを試みた。
これは、気分がよい。
おもしろいと思ったことを笑えばよい。
おもしろくないことは、すっ飛ばす。
笑うといっても、慇懃無礼のウソ笑い。
笑っているうちに、笑うようになる。
なぜか、私の笑顔を見て他人が笑う。
他人の笑顔を、あれっと思いながら自分が笑う。
でも心底笑えるのは、必然性が産み出すユーモアと無邪気な行為です。
そして、琴線に触れる一言。
今日のテーマは、「琴線」です。
毎日、とりとめもないことを書いています。
若きプロジェクトエンジニアーに大事なことを何か伝えたい。
本当にそう思うのかと自らに問いながら続けています。
琴線とは、
琴の糸。
感じやすい心情。心の奥に秘められた、感動し共鳴する微妙な心情。
(広辞苑より)
いいよ。と何気なくOKサインを出す。とは大いに異なります。
その一言で、涙が出てくる。心を揺さぶるキーワードです。
誰もが、心の奥底に秘めているものは違います。
教育によって、習慣によってその範囲は狭められるといっても、千差万別のはずです。
だが、一言に感動する。
毎日生きているから。
同じような気持ちを共感するから。
常に、わが身に置き換えて瞬時に反応してしまう。
理屈じゃない。伏せておきたかった心に灯がともる。
あるいは長年疑問に思っていた、いや忘れていた難問解決のヒントになった。
笑わせようとして、琴線に触れることは簡単ではない。
笑うようになってから、琴線がより敏感になってしまった。
琴の糸によって、微妙な感動が増幅される。
増幅させるのは、他人ではない。
自分です。
琴の糸は、張りすぎてもいけない。緩めてもいけない。
触るなんてもってのほかです。
笑うぐらいの余裕があって、初めて共鳴するのかもしれない。
風景があっても、関心がなければ写真と同じで動かない。
よく見たら、あれあれ。歴史と生きざまが刻まれている。
どうして気づかなかったの。
無駄に五感を使っていたのかな。
そんな気がします。
琴線の手入れは入念に。
過去に縛られてもいけない。
未来を心配しても始まらない。
ご飯をしっかり食べて、肩をゆすって深呼吸すれば、感度はよくなるかもしれない。
どうにも掴めない「琴線」でした。
水面が 風の波紋に 落ち葉揺る
2018年10月31日