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もっとも、遠い存在の乙女さん。
何かにつかまろうと、懸命につるを伸ばしています。
書いた結果が気になって、ブログのアクセス解析を常にチェックしています。
今日アップした記事は、ほとんど読まれていませんでした。
人気ブログとは、どこを切り取っても面白いのでしょう。
2016年6月4日投稿記事「うんと若い人へ」で、
経験は、勲章のように積み重なるものだと思っていました。
貯金が増えていくようなものだと考えていました。
経験が、チャラになるとは思いもしませんでした。
(記事より抜粋)
経験がチャラになる。
昨日食べたから、今日は食べないで済む。
そんなことは、ありえない。
昨日一生懸命やったから、今日は休もう。
これだけやったんだから、わかってもらえるだろう。
実際は、今日も休めなかったし、人が変ったから最初から説明した。
経験がチャラになる。
地域おこしの人材として、経験者(社会的に苦労した)がよい。
どんな人も経験したことのない活動が、地域おこしです。
こうしたいと思い続けられる人は、経験者とは限らない。
よって、経験を問う必要がない。
仮に地域おこしに成功したとしても、他のところでも同じにとはならない。
その成功体験もチャラにしなければ次に進めない。
地域おこし募集に「若者、馬鹿者、よそ者」という。
若者に限らず、熱量さえあれば誰でも良い。
馬鹿ではできない。
よそ者はいつまでもよそ者です。
本気で住もうとしなければ、何にも見えては来ない。
今日のテーマは、幸せをつかむキーワード「理解(Part2)」です。
毎日、作った料理の味見をします。
正直に、妻と評価し合います。
これが、最初で最後の砦だからです。
正直とは、嫌なことも言わなければならないことです。
言われたら、素直に認めなくてはならない。
多くの人は、食べてまずかったら、もう足を運ばない。
どうしてそう思ったのか。
そんな風に感じてしまったのか。
真剣に話を聞いていれば、糸口くらいは発見できます。
気を付けなければならないのは、持論に引き込まないことです。
相手の気持ちになってみる。
自分の中で、似たようなことを思い出してみる。
遠い広島の幼馴染からミカンが届いた。
男同士の会話は続かない。
妻に替わってもらうと、心配事が伝えられている様子である。
私は、相手の身になっていなかった。
一緒に住めば、腹が立つこともある。
これは、美味しいねと、私が言う。
好きな女と食べた味は忘れられないでしょうよ。と妻。
どうしてそんな話になるの。と私。
もう止まらない、触れられたくない過去の小言が始まる。
きっと、恨み言が何かの拍子に妻の脳裏をかすめた瞬間に、
美味しいねと私が言ったのです。
ありゃりゃです。ほめるにもタイミングを考えなければならない。
話を聞いていないからそうなるのでしょう。
何度も言ったわよ。妻からよく聞くフレーズです。
申し訳ない。常に解決してもらっていたのでした。
理解とは、相手の長所も短所も丸ごと飲みこんで、話を聞くことかと思います。
持論を展開して、地雷を踏むことだけは避けなければなりません。
いつものくだりになりますから。
長所も短所も知る間柄とは、この人と一生連れ添うと覚悟を決めることなんでしょう。
理解したと思ってもするりと取り逃がす。
理解してもらっていると思っていても、油断はできないから、日々努力することになる。
「甘い経験」もチャラになってしまう。
そんな過去の印籠では、日々暮らせない。
もともと何もなかった。
ひょんなことからこうなった。
それでよい。
毎日一緒に暮らす夫婦でさえ、互いに理解するのは簡単ではない。
一生涯、無理かもしれないと覚悟した方がよい。
妻が起きだし、話が始まりました。
もうちょっとだったんだけど、妻との話が優先です。
夕暮れに 猫がすり寄り つぶやいた
2018年12月23日
2015年9月28日投稿記事「理解」では、
私は、人を理解するとき、人を褒めあげようとします。
その人の良いところを懸命に探します。
褒めようとすると、その人が見えてきます。
粗探しからは、その人は見えないのです。
引き算ではなく、足し算なのです。
(中略)
自分の中の感動を絵にすることは難しいのです。
美味しいものを料理するのは難しいのです。
だから、自分がいつも謙虚でいられるのです。
(抜粋)
そうですね。
謙虚にならざるを得ない日々の暮らしです。
謙虚だから耳を塞ぐこともなく、話が耳に届くのです。
(筆者)