絵のタイトルは、「永観堂」です。
オホホ、ウフフです。
この記事を書き始めて、3日目になります。
書こうと思ったきっかけは、ブログで生活する人がいると言う報道を観た時です。
人が読みたいと思わせる記事を書き続けるのが使命です。
ブログに添付した広告も一緒に開かれて、カウントされ収入になる。
今日のタイトルは、「危ない橋、フェイク記事」です。
このようなブロガーをやっつけてやろうと書き始めたわけではありません。
犯罪すれすれの記事を書く。ゴシップに便乗したり、ないことをあることのように書く。
インターネットで飛ばせば、書き人知らずとなる。誰かが追随し、書き人は隠れてしまう。
人が傷ついたって、読者数が優先される。
読者数を伸ばすために、さらに過激になる。
自分は注目されていると勘違いしている。
深く掘り下げることはできない。
毎日発信するために、関連記事の切り取り貼り付けの繰り返しでできた記事である。
もっともらしく、それらしくがモットーである。
どこかのお偉いさんが、引用する言葉に似ている。
さも、自分がひねり出したと言わんばかりに胸を張っている。
多くの人が、無責任に読み継いでいく。
いつしか、嘘が蔓延し、多くの人が傷ついていく。
中には、世の中から抹消される人だって出てくる。
なんでも正直に書く。
それは、日記であって記事ではない。
自分なりの感想を記事に込めて欲しい。
インスタでは、写真だけで記事はない。
それが、かえって良い場合もある。
ごちゃごちゃの個人の感想は不要と言うことだろう。
生物学の博士(福岡伸一氏)が、次のような興味深いことを言った。
生命体は 機械ではない。
部品の一部が 損なわれても、生物は 動的平衡を保つことができる。
つまり、生命体の何かが失われても他のものが補完して動的平衡を保つことがある。
私の周りでおこっていることを列挙します。
まずは、私たちのお年頃のこと。
物忘れが激しくなり、嘘の上塗りが難しくなってきました。
よって、本当のことを言うように心がけている。
本当のことだけでは面白くない。味付け程度の誇張が欲しい。
SNSで記事を読み、「いいね」を押す。
応援しているよ。とんでもない、開けましたよのサインに過ぎない。
「いいね」の後に、無責任な応援メッセージが続く。
そして、傷口をなめ合うように応信が続く。
SNSで発信される記事のうち、見たい、読みたい記事は1/10である。
お店ランキングを調べて、点数が高そうな(評価がよい)店に行く。
お得なクーポンも付いている。
お店ランキングを管理するサイトに有料登録すると、いつしかお店のポイントが「0.5」上がった。
サイトを運営している方々は、皆さんの評価の集計をしたに過ぎないと胸を張る。
サイト側は、クーポンの強要なんてしていないと言われる。
新しいお店の記事を書く人が来た。良い点数をくれたわりに、二度と来られない。
美味しいも、その人次第。食べて見なきゃわからない。
三つ子の魂、百まで。お母さんが、美味しいものを作って食べさせた。
そんな子供は、味覚も発達している。
何よりも、お母さんが工夫して美味しく食べさせてくれた。
その記憶が、三つ子の魂となる。
SNSで発信して、お客数を増やしたらと言われる。
物珍しさで来られるお客さんのお試し単価は低い。
お客さんの都合で来られるから、ピークカットができない。
100食限定販売を始めた店がある。働く人の時短になったと聞いた。
個人情報を出さないと買えない、中古販売業者があった。
案の定、毎日のように広告が配信されてきた。
電話で、実態のない会社から、「お得な情報」を聞かされる。
大いに引っ張って、最後には「ごめん」と言って断ることにしている。
すべて断る。よろめかない。電力乗り換え、通信乗り換えなど、百社は断った。
営業の時、忙しい合間を見て見積書を作る。見積もりの受注率は5%。それでも頑張った。
靴底を減らして歩き、アフリカの裸足の方々に靴を売る。今や伝説のような昔話となった。
世の中には、溢れるように情報が飛び交っている。
正しい情報は何なのか。選択する能力も時間もない。
私が国際的なメーカーに勤務している頃、コピー機を作る会社が次々に受注した。
機械が、そろそろ壊れ始める頃(5-10年後)には、コピー機メーカーはなかった。
世の中には、知ってか知らずか悪事を働く輩がいる。
応援する人がいる時は、悪事ではなかった。
長い歴史の中には、すべて消え去っている。
私は嘆かない。
何かを失っても、何かが補完してくれ動的平衡は保たれる。
何かが無いから、世の中は正常ではなくなるなんて思わない。
手がしびれ 近くをさすり 元通り
(鹿児島の方で、優れたリハビリの先生がいると聞いた。
機能しなくなった神経回路を迂回する神経に刺激を与え続け、元通り動くようになった。)
2020年3月22日