故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

なんかなあ(Part2)

2020-03-06 08:02:03 | プロジェクトエンジニアー

タイトルは、「ぴょんぴょん」です。
わずか数百グラムのナイキの運動靴です。
履いただけで、心も軽くなったような気がしました。
ある女性が、この絵を気に入ってくれました。
励ましになったらよい。


今日のタイトルは、「なんかなあ(Part2)」です。

2019年7月2日投稿記事「なんかなあ」では、
私は、妻と二人の生活である。
困ったときの代打はいない。
まとめて仕事をこなせないし、まとまった金も入ってこない。
こつこつと、できることをやるだけである。
やるから、ますます健康になる。
身体も頭も、まだはっきりしている。
(中略)
なんかなあ 生きてる限り 答えなし
(記事より抜粋)

最近、よく使う言葉は、「生きる」である。
すべての人の関心事であろう。
特に、未来に限りがあると感じる年代ほど、切実である。
毎朝書くタイトルが決まらないように、欲が深いのである。

身の丈にあった生活とはいうものの、何かが起こったりするとバランスはすぐに崩れてしまう。
だから、身の丈の生活なんてありえない。今日が、明日も続くとは限らない。
断捨離のための毎日も考えられない。不要な何かが、毎日残っていく。
死んだら、誰かに任せるしかない。
捨てなきゃと考えることが重荷になる。

「なんかなあ」と毎日を生きる。
生きてる限り、答えなど見つからない。
答えが見つかってもするりと逃げていく。
だから、真実も追う必要がない。

のんべんだらりと生きていくことではない。
毎日もがいている。
煩悩と葛藤している。
いつまでも楽をしたいと願っている。
だけど、一生涯追われる生活である。
それを知ることで充分ではないか。

不安は尽きない。
やっておかなければならぬこともある。
予期せぬことだって起こるだろう。
だけど、「なんかなあ」と考えることを続け、
流されないで、見つからない真実を日々探したい。
多くの真実はいらない。
一つだけで良い。
生きる意味とは。

答えとは 日々もがいても なんかなあ

2020年3月6日
コメント
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