
絵のタイトルは、「夫唱婦随」です。
50年ぶりに訪ねた恩師の奥様から、庭に咲く寒あやめをいただいた。
ホテルの水差しに刺して、絵手紙にした。
かげふみに 興じた熱と 日向ぼこ
私が大事にしていることは、「分ける」ことです。
今日のタイトルは、「分ける(Part2)」です。
島で猪が獲れた。
解体を手伝って、猪肉を10Kgもいただいた。
二人では、とても食べきれないし、保管のための冷凍庫も大きくない。
東京に少し送り、秋田のマタギ衆にたくさん送る。
私達には、1Kgでも多すぎる。
東京の人には、珍しい。食べ方をいろいろ伝える。試して合点とはいかない。
秋田のマタギ衆には、肉の捌き方や食べ方の説明は不要です。そして大歓迎です。
東京からは、店で買った物がお返しで届く。
マタギ衆からは、山で採った山菜と茸が届く。食べ方も教えてくれる。
田舎では、安全を見て多く作り過ぎるのが普通です。
採れ過ぎて、土に返すのも「分ける」かもしれない。
いやいや、捌けるひとに分ければあとの心配はいらない。
分けられても返すものがない。
だから、いただき物も困りものとなります。
今は返すものがない。
返す時が来ても、返す人がもういない。
次の世代に返せばよい。
必要な人に分ければよい。
物でなくても、知恵で良い。
2022年11月3日
2020年11月6日投稿記事、「分ける」では、
「「分ける」構造や仕組みを作るのが、企画者です。
参加する人は、役目をいただき終わったら、「今度は何を手伝いましょう」と自ら名乗り出る。
これが、祭りの基本です。やって当然、やらせていただいて嬉しい。来年もと続きます。」
(記事より抜粋)
もっと気に入っているのは、
2020年12月18日投稿記事、「持ちつ持たれつ」です。
「通りがかりの雑貨屋さんに、「これを」と抱えられるだけの新鮮野菜をあげる。
後日、売れ残ったからとおしぼりの山が届いた。決して売れ残ったものではない。
余っているものと労力を分けることができたら、世の中の潤滑剤になり得ることだろう。
それには、困っている人と助けたい人をつなげる世話焼きが必要である。
私達のカフェには、情報が集まる。つなぐことができたらよい。
それが、地域にあるカフェの役目と考える。」
(記事より抜粋)