故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

親父との確執

2023-01-14 07:44:49 | よもやま話

半世紀 やりたいことが 見つからぬ

今日のタイトルは、「親父との確執」です。
大学二年生の時、全教科の前期試験用紙の裏に、指導教官に対する抗議文を書きました。
教授会の査問を受けました。 
10年も同じノートで教えている。進歩がない。
電卓がなければ解答できない。電卓を買えない学生もいる。
幼稚な抗議に対し、全教授から退学を勧められました。
休学届を出し、親父に退学の許可をもらいに故郷に帰りました。
お袋は待ってましたと喜び、私は蜜柑の行商を2か月手伝いました。
退学したいと告げる代わりに、農業を継がせて欲しいと親父に頼みました。
親父は理由も理想も聞かずに、拒否しました。

正月明けには、阿蘇外輪山の搾乳牧場に住み込みで働き始めました。
三か月働いたのちに、頭を丸め教授に頭を下げ、復学しました。
友人の勧めで、退学をしろと勧告した教授のゼミに入れていただきました。
異端児は、2年間教授の温かい指導のもと、税金の無駄遣いと卒業させていただきました。

私は、工学部機械科を選択しました。
島の段々畑の斜面を活かした農業をしたかった。
上で肉牛を飼い、中間で果樹を作り、家に近い下段で野菜を作る。
1000万円の売り上げができる、無駄無理を逆手にとった機械化農業が夢でした。

卒業できるとなったころ、親父に農業を継いでくれと頼まれました。
私は、食に関するプロジェクトに関わりたいと方針転換していました。
弱っている親父の依頼を断りました。
それから、口も聞かぬままとなりました。
数年後、親父は杉の剪定中落下し、頭を激しく打ち意識不明となりました。
頭蓋骨を外して、優秀な脳外科医の施術で、文字を書けるまで回復しました。
私は結婚し、嫁を親父のベッドまで連れて行きました。
「よい嫁だ」と書いてくれました。
口がきけぬまま、二年後に帰らぬ人になりました。

1000万円稼げるプロジェクトエンジニアーになれました。
半世紀ぶりに故郷に帰りました。
実家は、跡を継いだ長男夫婦も他界し、空き家となりました。
先祖代々の畑も田んぼも、すべて耕作放棄地になりました。
途方にくれることもなく、現実を受け止めています。
私は、故郷を捨てたい人から家と畑と山を買いました。

親父が丹精込めた築山の伸びた木々を剪定しました。
何世代にもわたり、ため込んだものを捨てる予定です。
山に帰った畑は、そのままにします。
家の周りと、墓の周りを片づけたい。
親父と兄貴が作った山の上まで伸びる道路を整備したい。

継げなかった。
親父と喧嘩別れのままになった。
木を伐り、畑を耕し、先祖の苦労を初めて知ることになった。

2023年1月14日
コメント
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