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絵のタイトルは、’’Window’’です。
高木があっても、下草を刈っているだけで風が通る。
連日の草刈と雑木伐りで、上腕の筋肉がきしむ。
背中と肩の筋肉もパンパンである。
サロンパスのお世話になる。
よく眠れた。
今日のタイトルは、「塹壕を掘れ」です。
孫に見せたいと菜の花を畑に植えた人から聞いた言葉です。
東北では、雌竹のことを篠竹と呼んだ。
移住した年に、家についていた畑と地域の耕作放棄地の畑に篠竹が茂っていた。
伐って、根をおこしても次の年にもまた生えて来た。
どうしたものかと相談したら、帰ってきた答えでした。
教えに従い、畑の山際に塹壕を掘ることにした。
山際から伸びる篠竹の根を断つのが目的だと考えた。
火山灰の黒ぽくを1.5mも掘ると、赤ぽく(赤土)の層になった。
1.5m巾x1.5m深さで、12mの長さの塹壕を山際の畑に掘った。
昔は畑だった林が伸び放題で、我が家の畑に陽が差さなかった。
林の持ち主に許可をもらい、山際から順に高木を切った。
冬には、塹壕に入り、近所の猟友会の方からいただいた鴨の毛をむしった。
ダウンが風に舞い、飛散するのを防ぐためである。
翌年も残る篠竹の根を丹念におこし続けた。
根は案外浅く30cmも掘ると、芋づる式に掘りおこせた。
2年目の冬に塹壕に切った枝を埋め土をかけた。
暗渠である。
大雨の時、山から突出する水を、塹壕が貯水してくれた。
3年目には畑は乾き、篠竹は消えた。
コーヒーを飲みませんか。
子供の頃の小便たれが声をかけて来た。
「背が伸びたね」とかつての少女に返した。
50年前からは、伸びました。と返事。
誘われるままに行くと、90歳のお母さんが出て来られて、昔話に花が咲いた。
縁側から先に、見えるはずの海が見えない。
そよそよと風に揺れる孟宗竹の壁ができていた。
かつての崖が一面、孟宗竹に覆われていた。
妻は、「切ろうか」と私が発するのを警戒していた。
娘は、「塹壕は掘れない」と笑っていた。
お母さんは、「川を渡る竹」は見たことがないと私の説に同意した。
孟宗竹は、地下茎を密かに30mも伸ばし先端に橋頭保の幼竹を生やす。
そして順に親竹側に、二の矢三の矢と続いて生やす。
地下茎の深さは、たかが30cmである。
東京の地下鉄のごとく、三層四層となると始末に負えなくなる。
かつて煉瓦を焼くために掘った赤土の山は、全山が孟宗竹に覆われていた。
妻から冷や冷やしたと後から聞いた。
「切らせてもらえますか」とは言えなかった。
2023年4月17日