
絵のタイトルは、「野に咲く華」です。
かわはぎ釣りの師匠(友達)です。
絵から感じる印象はチャラいかもしれません。
しっかりしたママです。
今日のタイトルは、「身に宿す」です。
あさイチで、水上恒司さんが使っていました。
先輩からの助言や自ら気づいた事柄を、経験として身に着けるということでしょうか。
感心して聞いていました。
外山滋比古著「失敗の効用」を読んでいる。
「筆舌に尽くしがたし」の項で、
ことばは目の荒い網のようなもの。それで掬い上げられるのは網にかかるものに限られる。
余は沈黙。ことばがリアリティを過不足なく表現するというのは錯覚、正しく反映すると思うのは迷信である。
(「失敗の効用」より引用)
言葉から、その人の人格・考えを聞き取ることは、容易ではない。
同じ言葉でも、世代や使う人によって違う意味を持つ。
「だいじょうぶ」と言われて、カチンとくることが多かった。
せっかく勧めているのに、「不要」や「間に合っている」と言えず遠回しに断る言葉となった。
受け取る側の解釈になるので、言葉が持つ意味は千差万別となる。
それにしても、若く見える水上さんの言葉使いに、老成(年寄り)を感じる所以ではないだろうか。
哀しいかな、考え(リアリティー)を伝える手段は言葉であり、表情である。
少しずつ違うんだがと感じても、口から出たもの、すでに印刷されたものは表を歩き出している。
発信した本人が違和感を持ちながら話しているのであるから、解釈は聞いた人にゆだねるしかない。
書いたもの勝ち、言ったもの勝ちの感があるが、そうでもないのだよ。
リアリティーに近づける手段を探し続ける努力を、使う言葉に観ることができる。
大よそしかわからない。
個人が感じる印象に間違いはない。
そう信じて、言葉を聞いている。
水上さんの今後に大いに期待するものである。
2024年2月17日