
絵のタイトルは、「めざす」です。
未だに山師的なくされ根性が眠っている。

絵のタイトルは、「どうしたのと言われても」です。
何が本心か、希望かわかりません。
なぜなら、多くのことをあきらめてしまった。
いやいや、「欲」が残っていました。
もやもやと書き始めました。
「欲と二人づれ」とは、
欲心につられて奔走すること。
(広辞苑より)
と出ていました。
この年代になると、「欲」(今日のタイトル)は少しかすんできます。
なくてもいいか。
出来なくてもいいか。
向上心からは、ほど遠い。
ゴルフにしろ、畑仕事にしろ、できるだけよかった。
果たして、それでよいのか。
そこで、冒頭の「欲とふたりづれ」です。
どこまでも、いつまでも煩悩から逃れられないのが人間です。
良いことを一つ、やってはいけないことが二つと、ますます(心の)借金がかさむ。
どうしてこうなん。
反省することもなくなる人生なんてつまらない。
欲とは、
欲しいと思う心。
むさぼりほしがる心。
(広辞苑より)
本当に、背くことなのか検証します。
代表的な5欲とは、
五官(眼・耳・鼻・舌・身)の五境(色・声・香・味・触)に対する欲望。感覚的欲望。
財・色・飲食・名(名誉)・睡眠を求める欲望。
(広辞苑より)
どれも生きていくうえで、とても大事なことです。
特に五官は、暮らしの基本です。
欲が無くなると感じるのは、「財・色・飲食・名(名誉)・睡眠を求める欲望。」に対して薄くなっていることです。
経験がそう思わせてくれます。
外国に行って、タイムラグを心配することもない。
毎日、朝も昼も寝て夜寝られないとぼやいています。
確かに、五官が鈍くなっている。
鈍くなっているがゆえに、研ぎ澄まそうと努力する。
鈍くなっていることが、できなくなったことにつながりあきらめる。
毎日暮らさなければならない。
つまり、「欲とふたりづれ」が必須です。
足りなくなった五官を残った何かで補っています。
それのどこがおかしい。
図書館で借りてきたCD(陽水とJAZZ)をコンピューターにダウンロードした。
気になる歌を口ずさむ。
外れていることがわかるだけマシというもの。
なにしろ、「欲」です。
向上心です。
2024年2月25日