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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

2021-04-08 09:59:56 | 思い出話


初めて海に浸かった飼い犬ジンは、戸惑いながらも、孫娘と同じように喜ぶまで時間はかからなかった。
臨終30分前に、彼と言葉を交わすことができた。
ありがとう。
君がいたから家族がばらばらにならずにすんだよ。

鬼が肉を喰らう。
口の周りに血がまとわりついても、ぬぐおうともしない。
己のためだけに、肉を喰らう。
自らもいずれは、食われる身なのに今を生きる。

鳥は、自分が飛べるだけの餌を食べ、多くの獲物を子供に与える。
魚は、自らの屍をプランクトンに与え、虫に食われやがて孵化した小魚の餌となる。
動植物は、食物連鎖の中に身を投じ、人だけが肥え太る。

家を継ぐ。
何を継ぐというのか。
自らのルーツを守ることがそんなに偉いことなのか。
ルーツのために生きてるものを殺しても許される。
恨みつらみも、カエルの面に小便のごとく、唯々己のために生きる。
どうぞ、みな持って行ってください。
あの世に宅急便などありはしない。
抱えていくのだって、わずかなものだけなのにそんなに稼いでどうするの。
美味しいものも、不味いものも体を通り抜ければ同じです。

鬼は、身の程知らずである。
自らの醜さなど見たこともない。
他人の醜さだけを指摘する。
笑わすんじゃないよ。
野菜も作れない。漁もできない。
人からいただくこともない。奪うだけしか能がない。

苦労したことが、そんなに誇ることなのか。
笑ったこともないくせに、生き方など語るんじゃないよ。
(小休止)
人々の心に棲む鬼です。
鬼を改心させることなどできるのでしょうか。
滓のように、私の体に凍みこんでいく。

鬼さえも 笑わしたろか おちよはん

2021年4月8日

<<あとがき>>
欲と善意の葛藤の毎日です。
親が残した財産で喜ぶ人もいれば、
難儀なことじゃのと、逃げ出したい人もいる。
過疎地に空き家と耕作放棄地が増えていく。
近所の手前、お世話になった先祖に申し訳ない。
気だけが揉めて、身体は動かない。
貝塚に混じって人骨が現れる。
私たちは、特別ではありません。
自然の成り行きに身を任せるしかない。
100年もすれば、空き家も朽ちて畑も原野に返る。
宿った想いを誰かが掘り出し、役にたててもらえばよい。
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覚悟

2021-04-06 03:18:00 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「中央道東へ」です。
多摩から都心へ向かう高速道路で朝焼けを見ました。
不安な気持ちと、今日もやるぞと意気込んでいたことでしょう。
ブログを書き上げ、過去描いた絵を選ぶこの頃です。
本当は、新作の絵を載せたい。
今の「覚悟」にあったイメージです。


今日のタイトルは、「覚悟」です。
自分が書いたブログに、キーワード「覚悟」を入れて検索した。
嫌と言うほど、いや反吐が出るほど「覚悟」という言葉を使っています。
無理もありません。
少し動くと、疲れが溜まる。疲れは腰に来て、各所の痺れとなって症状になる。
因果関係が分かるうちはよい。休んで、そこを重点的にケアすれば、ほどなくして回復する。
これも経験です。
癌になり生還した先輩の多いこと。そのような先輩に健常な自分が、ゴルフで負ける。
背中の張りを、背中の筋肉を使って伸ばす。そうしないと、曲がったまま歩行するようになるからです。

痛さで夜中に目が覚める。
目が覚めたところで、何もすることがない。
腸は脳の言うことなんか聞かない。起きたんなら、小便、排便しろとせかす。
身体から水分と老廃物が抜けると、水が欲しくなる。栄養を補充したくなる。
休ませてはくれない。身体で起きる現象に、脳が刺激を受けて、さて始めるかとブログを書き始める。
こんな毎日です。

「覚悟」は、これから戦場(社会など未経験の場)に向かう若者が使う言葉と思っていました。
何があっても不思議はないぞと、自分に言い聞かせています。
浮かんできた多くの言葉で、考えを紡いできました。
年齢を重ねても、筋肉は再生されるいや増やすことだってできる。
筋肉を動かす脳は鈍化し、蝶番(ちょうつがい)は錆びついています。
やっと気づく。さて、どうしたものかと考える。

成長の速度を落とすしかない。
高速道路で、120Km/時間の運転は、いつしか100km/時間になり、
今じゃ、高速道路にも乗りたくなくなった。
1300km走ろうと、国道の速度60km/時間が安心で快適です。
そのうち、移動距離を短くしようとなるでしょう。じゃあ、歩くかとなる。
時間は、たっぷりある。何々しなければなんて、皆無に等しい。

「覚悟」は、工夫の一端である。対処の準備の号令のようなもの。
初々しき頃、女子を抱く時のほとばしる荒々しさなど、とうに忘れた。
これから向かう暗黒(未知)の世界に、櫓を漕ぎだすしかあるまい。
手元を明るくするのは「覚悟」であり、遠くの闇を見透かすのは経験が醸す勇気です。

越し方が 輝きもたれ 闇に発つ

2021年4月6日

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前を向く

2021-04-05 10:18:54 | よもやま話

絵のタイトルは、「お兄ちゃん、弟よ」です。
炎天下のアスファルト道路の裂け目に咲いていたアザミ兄弟です。


ばあちゃんの鎌は見つかったそうです。
盗られまいと篠竹の中に入れとったそうです。
よかった。ばあちゃんの顔は、元気そうに見えた。

今日のタイトルは、「前を向く」です。
春になり、もうすぐ遠出となると、何かと忙しい。
種物は撒き、芋類は土に埋めて、枯れ木は燃やし、生えかけた草をおこす毎日です。
早朝には、地域の農道で砂利敷を手伝う。
やっと、そこそこできたところで雨が嬉しい。

冬に貯めた脂肪腹を抱え、急に動き出したものだから、腰痛です。
腰痛が、脚の神経を麻痺させる。椎間板が足へ至る神経の道を圧迫しています。
寝ついてしまった。
今だからこそ、ヘルプを出す。
異様な振る舞いに妻もやっと親身になってくれた。
痛けりゃ、自分で治せが妻のモットーです。
妻は毎日ストレッチをして硬直した筋肉をほぐしています。

ミャンマーの軍事態勢をロシアと中国が後押しをする。
世界中のミャンマー人が、母国の危機を救うためデジタルレジスタンスを命がけでやる。
国の宝である若者に、銃を向ける。
民主主義が問われています。
中国は、経済成長(今は内需)をバックアップに、発言力を高めています。
民主主義国家ほど、コロナに弱く経済は危機に瀕しています。
「右向け右」の国家ほど、国力を高めています。

生きている限り、私達は問い続けなければならない。
三島由紀夫は、東大全共闘(1000人)と対話した。右翼と左翼の会話である。
最後に、「君たちの熱情を信じる」と結んだ。
「三島由紀夫は、正直な人だった」とインタビューされた人たちが言う。
常に前を向き、国家とは日本人とはと問い続け、多くの著作を残した。

何が善で、何が悪か誰も知らない。
問答無用と、銃で人を打つ人に、どうしてですかと問わなければならない。
思考停止の人に考えてもらわなければならない。
デジタルレジスタンスは、武器を持たない大きな力である。
思考停止の人にも考える機会と力を与えている。
私達は「前を向く」勇気と、自分に問いかける正直さを持たなければならない。

腰は治った。また、「前を向く」ことができる。

砂浜で 崖っぷちでも 曲がり松

2021年4月5日
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広島弁「はねまかし」

2021-04-01 10:00:30 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「やることがいっぱい」というタイトルです。
墓地の小堂で、「やることがいっぱい」あるだろうと、帰らされます。
そうかな。そんなにあるかな。とこの頃は自信が薄れてきます。

今日は、エイプリルフールです。かわいい嘘の一つもこさえましょう。
「そりゃ、なんでも美味しでしょうよ。好きな人と食べるものは」と、大昔の浮気を責められる。
今、この前の妻が作ってくれた料理を褒めたばかりに、しっぺ返しをされました。
何がいけなかったんでしょう。
愛人と瀟洒なレストランでいただいた美味しいものが霞ます。


隣りのばあちゃんが、「いるかい」と今朝も来られました。
何にも植えないけど、畑には草一本生えていません。
何か植えても、だだっ広い畑にほんの一筋だけ。
草取り命のばあちゃんが、この頃少し変です。
私の鎌が見えないんじゃが、あんたが持っていないか。と毎朝のように訪ねて来られます。
「持ってないか」は、「拾って預かっていないか」と言う意味らしい。

一週間前、そりゃ大変だねと、私達夫婦共々一緒に探しました。
ばあちゃんの行動範囲を目いっぱい探しました。ありませんでした。
その日は、「一緒に探してくれて、ありがとね」と別れました。

その日から連日、「ばあちゃんの鎌捜索」は続いています。
ばあちゃんの息子さんに、状態を伝えた方がいいのではと、二人で話していました。
今朝も「いるかい」と来られました。
耳が遠くなったばあちゃんに、「私達は、持っていない。そんなこと(盗ったり)はしない。」と
妻は、今日は大きな声でばあちゃんに言った。
私が笑って、そりゃ毎日来るぞ、毎日付き合ってあげなさい。と妻に言ったところ、
あんたは、私に「はねまかし」(広島弁。今日のタイトル)じゃあない。と目を剥いていました。
息子さんに話しても、ばあちゃんが怒られるだけだし、いったん注意されても忘れることでしょう。
「はねまかし」とは、広島弁(いやもっと小さい地域だけで通用)で、
一切かかわらず知らん顔ということです。

妻が時々使う広島弁に、懐かしいやら嬉しいやらです。
カフェに来られる方で、私が苦手なお客さんが二人だけいます。
私は、こっそり裏口から逃げ出します。
一人は、同じことを言い続ける女性。もう一人は、猫の言葉が分かる男性です。
妻は根気よく付き合っています。あとで、私に面白かったことを話してくれます。

家が大騒動(広島弁)じゃけ、来てもらわれんわいね。と妻が話した。
「大騒動」とは、家がさばけている(これも広島弁)。
つまり、掃除がされていない汚れていると言う意味です。

なつかしい「はねまかし」が広島弁だと茶化す私に、妻はぷんぷんです。
羊羹を食べかけで、ばあちゃんの対応に妻は追われていました。
私は私の分を食べきって、妻が残している二切れを眺めていました。
ああでもこうでもないと、ばあちゃんの認知症(気味)について話は続きます。
あれれ、私の皿に妻の食べ残しの羊羹が一切れ載っています。
「ありがとね」と妻に礼を言い、私は美味しく食べ終わりました。

あなたに羊羹をあげてない。するわけがないと、妻は息巻いています。
ありゃありゃ、数秒前のこと(興奮して無意識の行動)を忘れたんだね。
またまた妻と一緒に大笑いしました。
妻の皿から羊羹を取り上げたのかと、私も自信がなくなりました。

まくしたて 妻の口にゴミ はよう言え

2021年4月1日
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