絵のタイトルは、「去る者は追わず来る者は拒まず」です。
過去にとらわれず、しなやかに未来を生きたい。
春一番なのか、雨に続き大風が吹いた。
トタン屋根の一部が、風にあおられカフェの前の道路を転がっていた。
空き家の小屋のトタン屋根と壁を補修した。
隣りの空き家の窓ガラス(一枚戸)が割れ、テレビのアンテナが屋根から落ちた。
どこまでやったら良いのか迷いもあるが、草刈に邪魔だし獣の棲み処になっても困る。
アンテナは細かくして燃えないゴミで出し、ガラスの代わりにべニア板を打ち付けよう。
今日のタイトルは、「捨てる神あれば拾う神あり」です。
もうすぐ移住の準備です。
田舎に住んでいた親の遺産を都会に根を張った息子が継承する。
都会の人が持つ空き家の、何とか住めそうな家と敷地が売れそうである。
買いたい人に、「それでは困る」と、売主は悩みの種である農地と山もつけて売りたいという。
買主は、そんな(負の遺産)のいらない。
話は決裂するかと思いきや、
「いいでしょう。家が気に入っているから畑も山も一緒で買いましょう」
「荒れた畑の維持経費もかかるから、値引きしてほしい」
「助かった。応じましょう」と話は急展開で合意となった。
「待った」と仲介業者(地元の不動産屋さん)が言う。
「あんた(売主)は、畑にある墓(8基)も一緒に売ると言うのか。それはない」と注意する。
墓の持ち主(一部で2基)である、地元に住む遠い親戚に、売主は「墓守」を依頼し、畑を譲渡する。
畑の売買も譲渡も、持ち主が変わる時農業委員会の許可が必要となる。
優遇税制を受ける(20年間だったか)農地転用は、慎重に施行される。
売主が持て余していたやっかいな畑を、買主は買わなくてもよくなった。
売主は、一気に長年の心配事が解決した。
不要物が、我が家にも溢れている。
移住の際、必要なものは限られている。
鍋釜など、毎日使うもの、少なくとも一年以内に使うものだけになる。
あとに続くのは、趣味の一品である。すぐに続けることに限る。
あとは、捨てる。必要とするものがいれば、「使って」とあげることになる。
土地が変われば、その土地に行き求めればよい。
その土地でも不要となり溢れているものが、新しく住む者にとって必要なものである。
子供がいない義兄の持ち物であった、都会の古家を解体する。
墓守がいなくなった都会の墓も継承した。
都会にある私の持ち家は、息子に譲った。
都会にいたら、怖気づき何もできなかっただろう。
まんまの空き家を片づけ、住み、耕作放棄地を耕したから勇気が出たのであろう。
悩むことはない。どうしたいか強い意思で想いを発信すればよい。
歳をとり、虎の子は限られている。
捨てたい人のやっかいものを拾うことになった。
大事に使わなければならない。
友人は、継承した親の財産(家&畑)を、無償で住みたい若者に譲った。
その後を、友人に代わって見届けた。
新しい住人が大事に上手に使いこなしていると、友人に報告した。
友人は、安堵し喜んだ。
息子に事の次第を逐一伝えることにしている。
近い将来、彼が背負うことになるであろう、厄介ごとをKnow-howごと伝えようと思う。
伝えるは 価値と想いで ものならず
2021年4月19日
<<あとがき>>
「捨てる神あれば拾う神あり」とは、
一方で見捨てる人がいるかと思うと、他方で救ってくれる人がいる。
世間は広く、世の中はさまざまだから、くよくよすることはない。
(広辞苑より)
フリーマーケットなるものがあります。
時々、「こんな値段で売れた」と喜ぶ声を聞きます。
買った者は、永年欲しかった掘り出し物を見つけたよと喜ぶ。
私は、カフェで銘入りの高価な茶碗を使っています。
友人が両親から継承した古家を解体するとき、趣味人の父君が収集した茶碗の処理に困りました。
それを無償で譲り受けました。
もったいないくらい良いものです。ちょっとだけ、デザインが古い。
私は、譲ってくれた友人に、地域で採れたものあるいは私達の手作り品を続けて送っています。
ここでは誰も見向きもしない、山菜、山椒の実、茗荷、筍や柿と自家製野菜です。
都会では売ってないし、売っててもとても高価な代物です。
ここでは広島産の柑橘類が喜ばれ、広島ではこの地で採れたりんごが喜ばれるのと似ています。
(筆者)