前回のブログ記事 【 オーロラ遠征その10 】からの続きです。
実質的にフェアバンクス8日目=3月31日(金)になりました。
この日は午後からアラスカ大学国際北極圏研究センター(International Arctic Research Center of the University of Alaska Fairbanks; IARC)を見学。
2000年からここの所長だった赤祖父俊一さん(1930-)が退職した2007年に国際北極圏研究センタービルが赤祖父俊一ビルと命名されたとのこと。赤祖父さんはオーロラ研究の第一人者です。
この施設の地震研究部門で働いている八重樫さん(左端)の特別な計らいで館内の見学と撮影がOKになりました。八重樫さんの丁寧な説明に聞き入ります。
なお、研究センターのホームページは 【 https://www.gi.alaska.edu/ 】です。
アリューシャン列島は地震源を表示したシンボルマークで隠されてしまっています。アラスカも地震が多いのですね。
地震源を示すシンボルマークの色は1977年から2017年までに発生した地震源の深さを、大きさは地震の規模を示しています。日本列島は多数のシンボルマークに覆われて見えません。地震国と言っていい日本の原子力発電の安全性、大丈夫なのでしょうか。
すぐ横に地震計があったので4人でジャンプ3回のうちの1回です。八重樫さんが撮影してくれましたが、スマホだとタイムラグがあってジャンプした瞬間の撮影は難しいです。
左側の地震波は5人全員で力一杯ジャンプした痕跡です。(笑)
図書室の片隅の喫茶コーナーで5人が談笑。中央の池田さんが持っているのは地震研究所オリジナルプラスチックボトルで、八重樫さんの上司からのプレゼントです。4人全員がいただきました。
夕飯は近くのマック Arby’s で。
この日は粉雪が降ってきて天候の回復は見込めません。オーロラ遠征を諦め、おとなしく貸別荘に戻りました。
別荘では各自撮影画像の整理などで時間を過ごします。
この続きは次回の記事 【 オーロラ遠征その12 】で。
実質的にフェアバンクス8日目=3月31日(金)になりました。
この日は午後からアラスカ大学国際北極圏研究センター(International Arctic Research Center of the University of Alaska Fairbanks; IARC)を見学。
2000年からここの所長だった赤祖父俊一さん(1930-)が退職した2007年に国際北極圏研究センタービルが赤祖父俊一ビルと命名されたとのこと。赤祖父さんはオーロラ研究の第一人者です。
この施設の地震研究部門で働いている八重樫さん(左端)の特別な計らいで館内の見学と撮影がOKになりました。八重樫さんの丁寧な説明に聞き入ります。
なお、研究センターのホームページは 【 https://www.gi.alaska.edu/ 】です。
アリューシャン列島は地震源を表示したシンボルマークで隠されてしまっています。アラスカも地震が多いのですね。
地震源を示すシンボルマークの色は1977年から2017年までに発生した地震源の深さを、大きさは地震の規模を示しています。日本列島は多数のシンボルマークに覆われて見えません。地震国と言っていい日本の原子力発電の安全性、大丈夫なのでしょうか。
すぐ横に地震計があったので4人でジャンプ3回のうちの1回です。八重樫さんが撮影してくれましたが、スマホだとタイムラグがあってジャンプした瞬間の撮影は難しいです。
左側の地震波は5人全員で力一杯ジャンプした痕跡です。(笑)
図書室の片隅の喫茶コーナーで5人が談笑。中央の池田さんが持っているのは地震研究所オリジナルプラスチックボトルで、八重樫さんの上司からのプレゼントです。4人全員がいただきました。
夕飯は近くの
この日は粉雪が降ってきて天候の回復は見込めません。オーロラ遠征を諦め、おとなしく貸別荘に戻りました。
別荘では各自撮影画像の整理などで時間を過ごします。
この続きは次回の記事 【 オーロラ遠征その12 】で。
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