私が青森市から札幌市に転居したのは1967年(昭和42年)5月でした。青森市立筒井中学校2年生から札幌市立明園(めいえん)中学校2年生として転校。引っ越し当時の住所は中学校のすぐ北側、北23条東10丁目でした。
その1年後、諸般の事情で札幌市篠路町内外太平団地に家族4人とネコさん1匹で転居。当時の内外緑地開発株式会社が造成した団地の一軒家を借りて居住。生まれて初めて風呂付きの家でした。
中学3年生のときの生徒手帳と身分証明書です。画像を一部加工済みです。
赤い丸が転居後の1968年の住所で、青い丸が転居前の1967年の住所です。中学3年生になった途端の転居だったため、転校することなく明園中学校まで越境通学していました。
通学は自宅から20分ほど歩き、石狩街道のバス停「三番通」で中央バスに乗り「北21条東1丁目」で下車。中学校まで20分ほど歩くという片道1時間ほどの定期券通学でした。
1968年の冬、明園中学からの帰り道でバス乗車後に居眠りしてしまい終点の「茨戸」で気がつきました。余分なお金を持っていないことからオロオロしていると、女性の車掌さんから「今度乗るときに払ってね」と言っていただき安堵しました。
車掌さんは私のマフラーが緩んでいるのをきちんと締め直してくれ、バスから降りると気温は寒かったはずですが、優しかった車掌さんの対応で温かな気持ちで無事に帰宅できたことを今でもハッキリと覚えています。当時のバスには車掌さんが必ず乗車していました。今はワンマンバスが当たり前になっていますね。
中央バスの札幌ターミナルです。2025年1月19日(日)に撮影。
1968年当時と同じ場所です。街中に用事があって篠路町太平の自宅に帰る際は、この中央バスターミナルから乗車していました。茨戸・生振・厚田・浜益・幌などの札幌市外近郊路線はこの8番乗り場だったと記憶しています。
なお、浜益線や幌線は2016年に路線廃止され、現在は石狩市が乗合バス形式で運用しているようです。
乗車ホームは1番から8番あり、留萌・北見・網走・釧路などへ行く都市間高速バスが1番乗り場から7番乗り場、2025年現在は8番乗り場が市内北方面路線の乗り場になっていました。
2025年1月19日に私が8番乗り場で待っている間、外国人観光客を大勢乗せた富良野行きが4番乗り場から発車して行きました。
私が中学生の頃は、赤い丸で囲ったあたりが市内北方面路線の乗り場だったはずです。2025年現在では降車専用の場所となり、市内路線は8番乗り場になっていました。
当時、茨戸行きのバスの多くは観光バスと同じ通路を挟んだ2+2の進行方向を向いた座り心地のいいシートでした。中央バスターミナルから茨戸方面へ乗車する際は、遠くの街まで行くような不思議な感覚になりました。市内路線のバスは対面式の座り心地がいいとは言えないシートでしたのでそんな風に感じたのかもしれません。
少しだけ旅を感じながら中学校まで越境通学をしていたという50数年前の遠い記憶です。
その1年後、諸般の事情で札幌市篠路町内外太平団地に家族4人とネコさん1匹で転居。当時の内外緑地開発株式会社が造成した団地の一軒家を借りて居住。生まれて初めて風呂付きの家でした。
中学3年生のときの生徒手帳と身分証明書です。画像を一部加工済みです。
赤い丸が転居後の1968年の住所で、青い丸が転居前の1967年の住所です。中学3年生になった途端の転居だったため、転校することなく明園中学校まで越境通学していました。
通学は自宅から20分ほど歩き、石狩街道のバス停「三番通」で中央バスに乗り「北21条東1丁目」で下車。中学校まで20分ほど歩くという片道1時間ほどの定期券通学でした。
1968年の冬、明園中学からの帰り道でバス乗車後に居眠りしてしまい終点の「茨戸」で気がつきました。余分なお金を持っていないことからオロオロしていると、女性の車掌さんから「今度乗るときに払ってね」と言っていただき安堵しました。
車掌さんは私のマフラーが緩んでいるのをきちんと締め直してくれ、バスから降りると気温は寒かったはずですが、優しかった車掌さんの対応で温かな気持ちで無事に帰宅できたことを今でもハッキリと覚えています。当時のバスには車掌さんが必ず乗車していました。今はワンマンバスが当たり前になっていますね。
中央バスの札幌ターミナルです。2025年1月19日(日)に撮影。
1968年当時と同じ場所です。街中に用事があって篠路町太平の自宅に帰る際は、この中央バスターミナルから乗車していました。茨戸・生振・厚田・浜益・幌などの札幌市外近郊路線はこの8番乗り場だったと記憶しています。
なお、浜益線や幌線は2016年に路線廃止され、現在は石狩市が乗合バス形式で運用しているようです。
乗車ホームは1番から8番あり、留萌・北見・網走・釧路などへ行く都市間高速バスが1番乗り場から7番乗り場、2025年現在は8番乗り場が市内北方面路線の乗り場になっていました。
2025年1月19日に私が8番乗り場で待っている間、外国人観光客を大勢乗せた富良野行きが4番乗り場から発車して行きました。
私が中学生の頃は、赤い丸で囲ったあたりが市内北方面路線の乗り場だったはずです。2025年現在では降車専用の場所となり、市内路線は8番乗り場になっていました。
当時、茨戸行きのバスの多くは観光バスと同じ通路を挟んだ2+2の進行方向を向いた座り心地のいいシートでした。中央バスターミナルから茨戸方面へ乗車する際は、遠くの街まで行くような不思議な感覚になりました。市内路線のバスは対面式の座り心地がいいとは言えないシートでしたのでそんな風に感じたのかもしれません。
少しだけ旅を感じながら中学校まで越境通学をしていたという50数年前の遠い記憶です。