★星空日記コリメート風goo★

星や旅などの話題を「ひらい」が札幌から発信。2010年開設。2022年7月にteacupからgooへ引越しました。

あれから6年

2017-03-11 06:00:00 | 岩手県宮古市
 2011年3月11日に発生した未曾有の大災害から6年が経過しました。

 岩手県宮古市に拠点をおくNPO法人さんに、私が少しばかりの支援の約束をして、7年目に突入します。

 なぜ、宮古市のNPO法人さんにそのような約束をしたのかその理由は、2011年4月11日のブログ記事」【宮古市への支援】に書きました。

 大津波が発生して105日後の2011年6月24日に私は宮古市を訪問。宮古市職員さんのご好意で市役所5階のベランダで撮影した画像です。

 東の方向(海の方向)を撮影。


 西の方向(内陸の方向)を撮影。

 津波来襲を撮影した【YouTubeの動画】です。改めて津波の恐ろしさが伝わってきます。上2枚の静止画と同じ場所で撮影されています。


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 2013年8月7日に宮古市重茂(おもえ)児童館で保育園児と小学校低学年児約40人に太陽観察会をさせていただいたときの様子です。


 これからも息の長い支援を続けたいと思っています。
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宮古市での星空教室

2013-08-08 07:00:00 | 岩手県宮古市
 岩手県宮古市のNPO法人 「ふれあいステーション・あい」 さんからの依頼で、星空教室を8月7日(水)に3回実施しました。

 最初に、宮古市重茂(おもえ)児童館で保育園児と小学校低学年児約40人が対象です。

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 まず、絵本の読み聞かせをしています。絵本のタイトルは 「パパ、お月さま取って!」
 幼児たちの怖いぐらいの強い視線や反応する声を聞くと、話す言葉に力が入ります。
 私にとって幼児を対象としたお話しは初体験です。子供たちの視線に合わせ絵本をもう少し下に向けて話せばよかったと反省。

 当初、幼児への説明を引き受けるかどうか迷いました。幼児の反応の素晴らしさを体験し、やってよかったと強く感じました。準備段階で助言してくれた札幌市青少年科学館のT.F.さん、ありがとうございました。

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 投影板に写した太陽を子供たちに見てもらっています。幼児には難しいかなと思っていたところ、意外に子供たちは集中して熱心に見てくれました。思いもよらない鋭い質問に絶句する場面も・・・。

 太陽に興味を持った子、望遠鏡に興味を覚えた子、様々でした。
 試しに小2の男の子と小1の女の子に微動ハンドルの操作を教えたところ、見事に操作をこなし私を助けてくれました。
 帰り際に4歳ぐらいの女の子がキラキラした笑顔を見せてくれたのが印象的でした。観望会をしてヨカッタと思った瞬間です。


 
 11時ごろに児童館から重茂小規模多機能支援センターへ移動し、高齢者向けの 「星の話しを聞く会」 を行いました。

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 国立天文台が開発したMITAKAというソフトを使い、星空の説明と擬似宇宙旅行をしてもらっているところです。聞いてもらったのは後期高齢者とスタッフの20人ほどでした。高齢者への説明は、反応を推し量るのが難しく、私の研究課題です。

 夕方には宮古市総合福祉センターへ移動し、「親子で楽しむ星空観察会」 の講師を担当しました。参加者は親子14組31人です。

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 まず、前半は屋内で星の見つけ方の説明と擬似宇宙旅行を体験してもらいました。

 後半は、実際の星を望遠鏡で見てもらうため、駐車場へ全員移動。

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 10cm屈折望遠鏡で、こと座のベガを見ているところです。周囲の街灯が少し眩しいのが残念。
 当初は雲が多く、土星すら見えませんでしたが、思いが通じ土星が見え歓声があがりました。様々な天体を見てもらい、20時15分頃に観察会は終了。
 ナマの星を見る際に発せられる感動の言葉は、このような観察会を継続しようと思う私のエネルギー源になっています。

 さて、本日(8月8日)、札幌に戻る帰途につきます。

【8月13日18時:記事追加】
 「ふれあいステーション・あい」 さんのブログに今回のことが掲載されました。サイトはこちらです。
 http://fureai385.blog.fc2.com/blog-entry-27.html
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未曾有の大震災とは

2011-07-09 22:50:00 | 岩手県宮古市
 6月23日から25日にかけ岩手県宮古市を訪問した際に読んだ書籍です。

【左】歴史小説家の吉村昭さん(1927~2006)が書いた「三陸海岸大津波」という文庫本です。宮古市での宿泊先の本棚に置いてありました。
 著者が三陸地方を何度も訪問し、明治29年の大津波、昭和8年の大津波、そして昭和35年のチリ地震津波を体験した人々の証言や文献を元にした一種の歴史記録本です。1970年に出版されました。
【中】月刊みやこわが町2011特別号。4月20日発行。
【右】月刊みやこわが町2011特別号Part2。6月25日発行。この2冊は宮古市内のコンビニで購入。


 札幌に戻ってから「三陸海岸大津波」を図書館から借り、読み直してみました。(貸し出し予約者が多く、本日7月9日にようやく借りられました)

 特に明治三陸大津波の様子は、今回の東日本大震災を見て書いたのかと錯覚するほど似通っていることに驚かされます。

 明治29年(1896年)=津波による死者21,959人、家屋流失全半潰1万以上、波高38.2m(理科年表2006年版718ページ)
 なお、波高50m以上との証言が「三陸海岸大津波」に記載されています。

 平成23年(2011年)=死者15,539人、行方不明5,200人(警察庁7月8日現在)、波高37.9m



 私もそうですが、報道機関では「未曾有の大震災」という言葉を多用しています。「未曾有」という言葉を調べてみると、「今まで一度もなかったこと。きわめて珍しいこと」(大辞林)だそうです。

 自然界に起きる事象を僅か115年ぐらいで「未曾有」という言葉を用いるのは適切なのかと、疑問を持つようになりました。
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宮古市の津波

2011-07-05 00:10:00 | 岩手県宮古市
 【6月24日のブログ記事】に岩手県宮古市を訪問したことを書いたところ、複数のかたからメールを頂戴しました。

 宮古市の防潮堤を越える津波を撮影した動画と、6月24日のブログ記事の画像は同じ場所で撮影したものですよね、というメールでした。はい、そのとおりです。

 津波発生105日後の6月24日に宮古市役所5階のベランダで撮影した3枚の画像です。

 東の方向(海の方向)を撮影。


 南の方向を撮影。


 西の方向(内陸の方向)を撮影。

 多忙な中、案内してくれた宮古市役所の職員さんに「災害対応だけでも大変じゃないですか?」と尋ねたところ、「お蔭様で、最近になってようやく通常業務も少しできるようになってきました。」と笑顔で応えてくれました。

 津波来襲を撮影した【YouTubeの動画】です。改めて津波の恐ろしさが伝わってきます。上3枚の静止画と同じ場所で撮影されています。


 また、宮古市内は異臭がしませんでしたかというメールでのお問い合わせもありました。
 津波発生から4ヶ月目の訪問でしたので、市街地の瓦礫の撤去は終わっていたせいか、市街地での異臭は感じられませんでした。


 しかし、少し離れたところでは、瓦礫などがうず高く積まれていて、異臭がしました。


 堤防は壊れ、低地の民家は土台だけ残して全てなくなっていました。

 処理にはまだまだ時間がかかるはずです。支援を継続することが必要だと強く感じました。
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宮古市から青森市へ

2011-06-26 12:20:00 | 岩手県宮古市
 青森港を6月25日22時に出港したフェリーはちのへは、26日(日)7時に苫小牧港に接岸しました。

 日曜日の早朝ということもあって、苫小牧から札幌までの国道36号線は車の流れがよく、9時40分に自宅に着きました。

 昨日25日22時に投稿したブログに、時間不足で書けなかった25日午前中の様子と岩手県宮古市から青森市までの道中を遡って書くことにします。


 6月25日9時半ごろ、宮古市の藤原小学校を訪問。ここにも津波が押し寄せ、校庭が水に浸かったそうです。学校建物の中にある「藤原学童の家」で2時間ほど「星のお話し会」をしました。


 集まってくれたのは学童保育の小学生12人。宮古島で撮影した天体画像をプロジェクターで見てもらいました。


 アストロアーツ㈱から無償提供された星座早見工作セットを使い、組み立てた後に使い方を説明しています。


 札幌から持ってきた望遠鏡で遠くの景色を見てもらいました。
 晴れていたら、太陽と金星を見てもらうつもりでしたが、残念ながら曇。私は雨男だったようです。
 子供たちは、遠くの木々や電柱を見て、素直な感想を口にしていました。


 子供たちに電柱を覗いてもらった後に、手持ちのデジカメを接眼鏡にそっと押し付けて撮影した画像をすぐその場で見せると、「ゲッ! 凄え~」と今回一番いい反応が返ってきました。(笑)

 太陽が見たかった~という声があって、また来ることを約束しました。これで今回の宮古市での天文普及活動は終了。
 スタッフにお礼をして13時ごろに宮古市を後にしました。滞在中に5回ほど地震があり、スタッフから「エ~、もう嫌だあ~」という声。よ~く判ります。


 帰路は時間の余裕があったので、高速道路は使わず、盛岡から国道4号線を通って青森まで行くことにしました。

 もう少しで青森県に入る手前、一戸町に入ると、「観光天文台」という看板が4号線沿いに何回も出てきます。気になるので寄り道することに。


 山道をくねくね走ること10数キロ、小高い丘にありました!

 16時30分頃、館内に入ると「職員はプラネタリウム投影解説中で30分ほどお待ちください」という張り紙が・・・。
 プラネタリムの入り口に行くと、16時から投影だったようです。漏れてくる声の様子から、どうやらマンツーマンの解説をしているようで、係員は説明に力が入っています。
 17時まで待ちました。これ以上待つとフェリーに乗り遅れます。時間切れです。何も見ずに帰路につきました。(帰宅してからウェブ検索してみたら、口径50cmの望遠鏡が設置してあるとのこと)

 19時20分頃、青森県平内町の狩場沢漁港に到着。夕焼けが綺麗なので、撮影も兼ねて小休止。


 漁港から北の方角を撮影。左は津軽半島、右が下北半島。

 上の画像の左側(北西の方角)を向いて撮影しました。

 左の黒い影が夏泊半島。右の薄い影は遠方の津軽半島。
 この夏泊半島には中学生時代の思い出があります。当時所属していた筒井中学校ブラスバンド部で夏休みのキャンプをこの夏泊半島でしました。当時3年生の兄も一緒でした。
 夏泊半島を抜けるともう青森市内となります。

 フェリーは22時出港ですが、1時間半前、つまり20時30分までに乗船手続きをとる必要がありました。20時20分に堤埠頭に到着。ギリギリ間に合いました。
 ギリギリだったせいでしょう。2等寝台の下段は満杯で、寝るのは上段になってしまいました。

 出港して30分後の22時30分に就寝。波は殆どなく滑るように航走したので、安眠でした。翌4時50分に起床し、朝風呂を楽しみました。


 朝日を浴びて輝く水面。外洋で波がこれほど穏やかなのは初めてです。

 少し疲れましたが、いい旅でした。
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