あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

雨ふればコスモスも濡れ人も濡れ  あきオジ

2010-10-07 20:58:14 | 日記
それぞれの秋を楽しめるといいですね。

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道尽きて雲起こりけり秋の山 子規

(子規も年齢を重ねることで言葉を磨き、感性を磨き、表現する力を身につけることができる。そんなどうしようもないことで焦りを感じたでしょうね。そんなことを思います。でも、それぞれが与えられた運命の中を生きているのですね。そんなことを思いながら選びました。)

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悪人は自分の理不尽な説明で自分の首を絞めている。
そんな気がします。
あれこれ因縁をつけている。
そんな連中は自分の意味不明な言い回しに
自分で嫌気がさしている。
そうなら、それもあるかもしれない。

でも、これが本気モードだったらやはりおかしい。

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他人を批判することで、正義の人であることを示していることにならないですよね。
でも、勘違いしている人が新聞で見られるような気がします。

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秋風は小学生を追い回す   あきオジ

2010-10-07 20:14:40 | 日記

もう少し待ってと言われて待てないのが野生の花
だから儚く、それだから心に沁みる。

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秋風の腹いっぱいよばれてもどる  山頭火

(山頭火らしい、人の好意には乗る。でしょうかね。それがいいとか悪いとかの問題ではなく
それが山頭火なのですね。)

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「長崎くんち」を取材した番組を見て感動し
テレビの前で釘づけ
その祭りに参加している青年のひたむきさがいいですね。
地元で生き、伝統を守っている。
その姿だけでも涙が出てきます。
いろいろなイベントを見ていると
日本の文化は地方によって支えられていると思いますね。
日本を知りたければ
東京だけでは不十分
地方へ向かうべきですね。

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豆腐売る日焼け鼻に秋の風 あきオジ

2010-10-07 19:59:08 | 日記
昭和記念公園の花々です。

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名月や西にもほしき窓ひとる  芭蕉

(この句、一茶の句と言われても、「そうなか」と思ってしまいますね。
これが芭蕉とは、ちょっと意外。ただ、それだけの理由で取り上げました。芭蕉といえどもいい句もあれば
それなりの句もあっておかしくない。)

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今日はサーバーの調子が悪いのかせっかくアップしたフォルダが消えてしまったり
何度も、接続不能になったりして、アップするのに時間がかかってしまいました。
早寝の私としてはアップする時間と寝る時間との競争です。
笑ってしまうでしょうが9時には寝ることにしています。
そして、起きるのは4時から5時です。

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仕事が好きだと言う人がいる。
今の時代
そう言わなければ落ち着きが悪いだろうと思う。
何か気の毒な気がします。
親から子へ相伝する。
そんな時代もつい最近まであったような気がします。

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猛暑去り豆腐売りはこえからし  あきオジ

2010-10-07 18:19:57 | 日記
昭和記念公園の花

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夕暮れや蛍にしめる薄畳  一茶

(一茶の逞しい生命力は、俳句形式ではおさまり切れない。そんな気がします。俳句ブームに埋もれて和歌では生活できなかったかもしれませんね。一茶研究家は一茶の歌人としての可能性をどのように見ていたのでしょうか。俳人になったのは食うためだったのかもしれません。まあ、動機がどうであれ、好きでなければ続かないでしょう。)

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深さもあるけど回数
それが肝心

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橋わたる足元にさく桔梗かな  あきオジ

2010-10-07 06:01:32 | 日記
昭和記念公園の中の日本庭園です。

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朝顔の紺のかなたの月日かな  石田波郷

(美しい構図と色彩ですね。きっと、紺は日本人がもっとも親しい色ではないでしょうか。朝顔との組み合わせがいいですね。
それにしても現代の作家の美意識は造形的であり、人工的ですね。自然を素材にしているのに肌合いとか匂いが見えませんね。
それがいいのかもしれません。でも、野暮ったさが足りません。)

秋の葉も落として寒し深大寺  あきオジ

2010-10-07 05:49:11 | 日記
木々は緑から黄色に変わり始めましたね。
昭和記念公園に出かけると
季節の移ろいがはっきり見えます。
楽しいことです。

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里ふりて柿の木もたぬ家もなし  芭蕉

(去年、塩山の里を歩きました。柿の産地なのです。ころ柿を干している風景が美しくて何度も出かけました。
江戸時代、当たり前の風景として柿の木があったのでしょう。美しい色合いですね。)

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美しいものは変化するから美しい
永遠は退屈

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奈良時代を取材した番組を見て、万葉集の世界にさらに興味を持ちました。
東国から防人として九州まで出かけた人は
三年ほどの任期を終えて東国に帰る人はほとんどいなかったという事実は知れませんでした。
ですから、防人に出かけるときの「別れ」とは永遠の別れと理解しなければいけないのですね。
そう思うと防人の歌は別の意味をもって読まなくてはいけませんね。

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秋風が法衣の裾を抜けてゆき  あきオジ

2010-10-07 05:35:55 | 日記
昭和記念公園
遠足でくる小学生や
保育園児などが多いですね。
いい場所だと思います。

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秋風のお堂で顔が一つ  放哉

(放哉の孤独で苦い思いの日々は想像できません。何となくこんなことかなという自分の経験からしか理解できないのです。人が「分かる」といのは、そんなことなのですね。歯が痛むとはどんなことか経験のない人には人の歯の痛みは分かりません。そして、経験があった人も、そのときの自分の痛みでしか人の痛みを理解することができません。分かったとは、そんな勘違いなのですね。)

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淋しいとは
自分を励ましたり
元気づけるものが自分の中に準備されていない。
その隙間なのですね。

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