あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

空高くただそのままに薔薇は咲き  あきオジ

2010-10-11 17:36:20 | 日記
神代植物公園の黄薔薇です。
豪華ですし、姿が美しいですね。
手入れが大変だというのがいかにも西洋から入ってきた植物という感じがしますね。

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白菊の一もと寒し清見寺  蕪村

(静岡県の興津にある清見寺は、「田子の浦ゆ打ち出でてみれば・・・」の辺り、海に面した堂々とした寺です。昔、よく立ち寄ったところです。ですから、蕪村の旅の途中では、富士山を見るのに夢中であった同伴者とは違ったところの目を向けているのが面白いですね。)

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最近、思うのです。「死ぬまでに・・・」という区切り方は、もう面倒だからやめにした。そんなことがいい。何を残せるわけでもなく、自分の志を伝えようなどと思いはしないし、そんなものもありはしません。ですから、「まあまあ」でいいじゃないか。そんなことです。

空見ればすでに流れる道見ゆる  あきオジ

2010-10-11 17:30:39 | 日記
落とし水柳に遠くなりにけり  蕪村

(蕪村も芭蕉を乗り越えるための努力は相当だったのでしょうね。蕪村は極めて西洋的な発想をする人で、面白いですね。あり得ないことであっても、あったように見せたり、まったく異質なものをぶつけて、意外な効果を求めるのですね。そこがあるままを見つめる芭蕉との差だと思います。最近、そんなことを思うのです。学者等はもっと深いところで発想ですのでしょうが、私はこんなところにいます。)

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ベコニアの淡き緋色に秋がみえ  あきオジ

2010-10-11 06:40:40 | 日記
ベコニアは一年中咲いています。
ですから、俳句の世界では季語にならないのでしょうか。
まあ、素人の私にはそんなに神経質になる内容ではないようです。

方代の秋のステテコ馴染み切り  あきオジ

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雪空火を焚きあげる雪散らす  放哉

(繰り返し、放哉、山頭火を取りあげていると、そこはかとなく、人物像が見えてきます。二人とも家庭を壊し、捨てて放浪の旅に出て、最後は堂守のような日々を迎え、そして、俳句だけ残した。そんな人生だったのですが。大正、そして昭和の時代の匂いを残しています。この二人は旅をしたことが大きいと思います。西行、芭蕉、菊舎の流れを継いでいるといえば、そうかもしれません。でも、無理やり結びつけるのは素人の乱暴さですね。)

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来年になったら、山頭火、放哉の俳階論に目を向けてみたいけれど、そこまで興味が続くでしょうか。
とりあえず、今日は今日の楽しみ方でやりましょう。

鬼平や山吹咲きし真昼どき  あきオジ

2010-10-11 06:29:03 | 日記
神代植物公園の薔薇です。
先日、雨の日に写真を撮りました。
でも、いかにも雨の日の雰囲気だけです。
今日は人もいっぱい出ているでしょう。
でかけてみようかと思っています。

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芭蕉様の脛をかじつて夕涼み  一茶

(そのとおりなのですね。そして、そんな句にしているののが一茶の愛らしいところですね。自分も俳諧師、でも芭蕉が作り上げた世界を乗り越えることなどとてもできない。芭蕉を越えられない山に仕立て、それを生計に役立たせている。そのとき、芭蕉を乗り越えられないことを認めてしまう。そんな自分を笑っているようにも思えます。じっさいの心根はどうだったのでしょうかね。芭蕉を敬愛していたのでしょう。芭蕉が見いだせなかった世界、そして表現スタイルを模索し続けた生涯だったのでしょう。)

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出かけようと決めた日は朝からわくわくというかどきどきというか
無邪気な自分が嫌いではない。

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鬼平犯科帳「山吹屋お勝」を見ました。
なかなかのできですね。
人情劇として仕上げていますが、時代の雰囲気がいいですね。

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火の花となりて咲きたるダリアかな  あきオジ

2010-10-11 06:14:10 | 日記
神代植物公園のダリアです。
この時期、豪快に咲いています。
でも、ダリアは豪華でスケールが大きいですが
「儚げ」がどこにもないのですね。
ですから、今年も咲いたか。
そんな感想だけで通り抜けてしまいます。

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落ちる日のくくりて染る蕎麦の茎  蕪村

(蕎麦の茎の赤いのは、落日が染めたのだ。という解説があれば読みとれます。でも平明な風景を映しとった、それだけの句が好きな私にはお気に入りですね。どうしてかは説明がつきませんが、古典を下敷きにした句を読みとるのには時間がかかりそうなので、それがなくても想像できる。そんな句を拾い読みしています。)

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このごろ、「歩くこと」が考えることであり、分かることである。
そう思うようになりました。
「歩くこと」しか、見当たりません。

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