あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

深き山霞て見えず美しきかな  あきオジ

2010-10-29 22:31:19 | 日記
見えないものだから美しい
何かがあるだろうという思いは青春なのですね。
何もないだろうと醒めてもの言いをするのが白秋
そして、ありはしないと実感するのが玄冬
そんな気がします。

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欠々(かけかけ)て月もなくなる夜寒哉  蕪村

蕪村の句なら何となく分かったつもりになるのですが、柳多留となるとどのように頭をひねっても「なるほど」が出てこない。ということは、私の頭がちっとも機能しないし教養がない。逆に江戸時代の庶民は回転が速く、洒落を解する教養があったということなのだろう。
この句分かりますか?

光秀と長田ならびに信濃者  柳多留

明智光秀と頼朝を騙し討ちした長田忠致の「不忠者」そして、冬場に江戸へ出て奉公先を大食いで食い倒す信濃者を並べた句。当時、冬季の奉公をするのは信濃の者が代表的存在だったとか。それをからめているのですね。

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2010-10-29 17:04:18 | 日記
凧の尾を追いかけ廻る狗(あのこ)哉  一茶

(狗は子犬の意です。今は河川敷でなければ見られませんが、あれこれ制限があるのでしょうね。犬もリードをつけていないといけませんから、最近は見られない景色と言うことになりますね。最近は野良犬を見ることがなくなりましたね。)

大凧のりんとしてある日暮哉  一茶

(泥臭い。ときとして当てつけがましい表現をして驚かす一茶にしては、穏やかですが、逆に物足りない。十分でないような気がします。生意気なもの言いで申し訳ありません。ただ、ときには言ってみたいのです。)

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ブログを更新しながら、ショパンの曲を聞いていました。なぜか生誕200年ということでショパンの曲が流れていますね。私はせわしなく音を連続させる曲はこのみではありません。遺作となった「ノクターン」がいいですね。甘美でせつなくて日本人の体質にすっと入ってきますね。

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今日雨だったので街の古本屋で「いわずにおれない」(まど・みちお著)を手に入れました。興味ある本がたまりますが、読む余裕が作れません。でも、本を買うのも楽しみです。でも、この本は喫茶店で読んでしまいました。人物が「童謡」の表現そのものですね。

「リンゴ」

   まど・みちお

リンゴを ひとつ
ここに おくと

リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ

リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない

ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ


赤き薔薇天を見据えるりりしさよ  あきオジ

2010-10-29 16:33:36 | 日記
神代植物公園の薔薇です。

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霜ふる音の家が鳴る夜ぞ  放哉

(放哉の出家する前の句です。内容は、よく分かりません。まだ、評論集とか日記等まで進んでいませんし、正直なところ読みなれたものなら見当がつきますがそうでなければ、山頭火の句と放哉の句は区別がつきません。個人的な感情を「そのまま表現してしまえ」が山頭火であり「言いたいけれどもこらえて」という表現が気になるのが放哉という程度のことしか思いつきません。「読み人知らず」でいいじゃないかというのが私の思いなのですが、そうなると、山頭火の句など単体ではほとんど捨ててしまうのでしょうね。まとめて山頭火なのです。)

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山頭火や放哉は人気があるのでしょうか。古本屋に行くと必ずあります。山頭火は解説書だけでも何冊もあります。非日常的なところがいいのでしょうかね。それと気取った俳句でもないし、「自分でもこんなていどなら作れる」と思わせるところがいいのでしょうかね。私も当たり前なのにいい感じ。そんな句が好きですね。最近、あれこれの俳句を見るようになったので、分かったような気分になってきました。本当は、それが怖いのでしょうね。


戦後生まれ戦死者もなく吾亦紅  あきオジ

2010-10-29 16:01:42 | 日記
酔えばあさましく酔はねばさびしく  山頭火

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山頭火の句。「定型でない身勝手さ」「表現の独りよがり」といった基本的姿勢を嫌う人もいます。社会生活の破たん者であり、周囲の人の好意を食い物にするのに俳人を気取っている。許せないという人もいます。というか、「人物が許せないから、俳句も許せない」というのが一般的ですね。そうなると山頭火の周囲の彼を支援してきた人はどのように説明されるのでしょうかね。その辺り、私には分かりませんが、私は人格者が教科書のような品格で評論家が議論するようなレベルの俳句を作ったとしても興味が持てないでしょう。それはそれらの句を愛する人の間で議論すればいいことなのです。私は素人の感性で好きなものを好きなように好きになりたいだけです。今はどうなのかしらという段階です。これからどのようになるのでしょうかね。

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今日、コメントをいただきました。コメントをいただき、その方のブログが分かれば、必ず拝見させていただきます。今日は残念ながら分かりませんでした。人様のブログを拝見させていただいたとき、同じ日に同じ場所で写真を撮っていたことが分かることがあります。昭和記念公園のコスモスのときもそうでしたし、巾着田の彼岸花のときもそうでした。「ああ、この方も写真を撮っていたのだ」とちょっとした驚きです。巾着田のときは、偶然にも投網を楽しんでいるおじさんの写真までありました。きっと、同じ場所で同じ時間帯に写真を撮っていたのですね。そんなとき、一眼レフでなく、いかにもデジカメというニコンの小型デジカメをもっているのが私ですので、声を掛けて下さい。きっと、皆さんは高級一眼レフでしょうから、逆にいかにも安物というカメラで写真をいっぱいとっているので気づくと思います。それでも、ブログだけのお付き合いで十分かもしれませんね。





葡萄売る鉢巻親父の無精ひげ  あきオジ

2010-10-29 04:43:47 | 日記
この時期の華道展では花がバラなどに限られていますので出品する人は大変ですね。
そんな中で吾亦紅がさりげなく飾られているのを見ると嬉しくなります。

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のちの月葡萄に核のくもりかな  夏目成美

(現代作家のような鋭角的な句ですね。これは江戸時代の俳人の句なのですね。「おらが春」という一茶の伝記ドラマにも登場しました。一茶が批評を求めるなど当時としては一茶より格上の俳人だったのですね。最近、拾い読みしたのですが、洗練された俳句作品が多く気にしています。素敵ですね。今は、あちこち興味が散らばっていますが、いつか集中して取り上げたいですね。年寄りにはこのような発見が何よりの励みです。)

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ほおばりて回して噛みきる葡萄かな  あきオジ

2010-10-29 04:05:31 | 日記
寒いですね。
「寒い」と「寂しい」とは重なった言葉なのですね。
最近、そんなことを思うのです。

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現代作家の中にも素敵な句がありますね。

やわらかき身を月光の中に容れ   桂 信子

かりがねや手足つめたきままねむる  桂 信子

(若くして夫に先立たれた女性の孤独感あふれる句ですね。でも、透明感があり、伝わってくるものがいっぱいありますね。)

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