あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

流れ星五重塔を横切りて  あきオジ

2010-10-20 20:03:36 | 日記
美しすぎると怪しげになる。
そんな薔薇が生け花に使われていました。
どうして選んだのでしょうかね。

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月花や四十九年のむだ歩き  一茶

(望郷の思いとはいえ、義母との確執などがあり、帰りたいけれど帰れない。そんな侘しさがそのまま表現されていますね。芭蕉なら、故郷の道祖神とか社を写しとることで侘しさを表現するのでしょうか、そんなこと承知して一茶は「むだ歩き」と投げ捨てるように表現した。それでいいじゃありませんか。今でこそ有名人ですが一茶の生存中は、評価はそれはそれは低いもので、その実力を自分でも理解していたのではないでしょうか。そんな思いがあることを前提にしないと、厭味の句になってしまいますね。いや、それはないですね。)

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「愛があれば」の愛
言葉としても使ったことがありません。

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蝋燭をつけて飯食う秋もあり   あきオジ

2010-10-20 18:40:15 | 日記
初雪や俵の上の小行燈  一茶

(田舎の冬の穏やかな夜を思わせる句ですね。弟子に寄りかかったような句よりも、このような距離をおいた句の方が魅力的ですね。小動物を扱った句の拗ねたような表現は、本来的なものではなく、句会の参加者のうけねらいの「俗っぽい」表現も本来的に一茶がめざしたものではないことは明らかですね。そんなことを考えると、この句はなぜか淡々として絵柄が見えるような句ですね。そうれにしても、俳句は文字が少なく膨大な作品があるので、類型的な作品が多く、個性が発揮できるところが少なくて大変ですね。とくに現代作家は大変だと思います。でも、専門家にはそれなりの場所が準備されているでしょう。)

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なぜか、言わなくてもいい嘘をつきますね。

そして、問われもしていないに出る言いわけ

人って不思議な傾向があるのですね。

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野仏に供えられし石榴なり  あきオジ

2010-10-20 18:26:56 | 日記
天気がさえないのでデパートの書店を回ったり、古本屋を回りました。
デパートでの展示会で見つけた石榴です。

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最近はすっかる古本屋めぐりが日課になりました。
注意してみているからでしょうか。
山頭火の解説書がいっぱい出ているのですね。
古本屋に出ているときには買い求めます。
でも、山頭火の日記は手が出せません。
熱心に研究する程の愛着がわいてきたら
思いきりますが
今は、その段階にはありません。

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鋸の音貧しさ夜半の冬  蕪村

(この鋸というのは炭を切る音だと解釈する説があるそうです。至れりつくせりの解説ですね。このような解釈を詳細にすることで研究と称する世界があるのですね。私のようなアバウトな性格のものにはとてもできません。そんなとには研究者に便乗してしまうことにしています。)


黒猫がぬっと顔出す菊の門  あきオジ

2010-10-20 06:50:11 | 日記
秋深き隣は何をする人ぞ  芭蕉

(この句も有名ですね。芭蕉の句なら5つや6つ思いだせます。なぜでしょうかね。当時の人もこのような俳句などを通して人生を学ぼうとしていたのかもしれません。そう思うと別の視点で俳句や和歌を読めるような気がします。これからは川柳とか道歌あるいは和讃などにも目を向けたいと思っていますが、楽しいことです。)


うつくしや年暮きりし夜の空 一茶

(「・・・きり」というのは俳句独特の表現なのですね。このごろ気づいたことです。)

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コスモスが瞳に溢れる親子かな  あきオジ

2010-10-20 05:38:14 | 日記
コスモス散って季節は変わります。
それはそれ
これはこれで新しい発見ですね。

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ただ一本の寒菊はみほとけに  山頭火

(山頭火の句になれてくると山頭火のリズムがあるような気がしてきます。山頭火の表現は山頭火のリズムで展開している。一茶が一茶の言葉の選び方があるようなものです。山頭火の中の定型のようなものですね。山頭火は季語を否定しているようにも思えません。それより表現として削るだけ削ってしまおう。その結果として、季語を削ってしまった。でも、そのように思えるのです。でも、季語がないだけに内容に手抜きがないと同時読む人の理解力がないと「何を表現しているのか」「背景にあるものはなにか」が見えないし、読みとる手がかりを奪ってしまう。ですから、山頭火は詩人であることを自負して、俳諧から離脱することが望ましかったのかもしれません。しかも、言葉をつみとるよりも饒舌に語ることが逆に真価を発揮することが可能であったのかもしれません。でも、運命は分からないものです。どこかで、決定的な選択をしているのですね。そんな展開を想像しています。また、別の視点もありますから、あれこれ考えてみましょう。)

ここにこうしてみほとけのかげわたしのかげ  山頭火

(このような表現をしている山頭火は私のお気に入りです。平明で軽やかなリズムがあり、少々ずれている。それがいいですね。きっちと、無駄のない正調な句は私のもっとも苦手な類型です。)

風吹けばコスモスそらにしがみつき  あきオジ

2010-10-20 05:35:30 | 日記
コスモスも一気に終わりますね。
淋しくなります。

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法衣ふきまくるはまさに秋風  山頭火

(山頭火にとって法衣とは何だったのでしょうかね。「山頭火とともに」(小野沢実著)を読んでいたら、良寛との共通性を指摘していました。出家、遍歴等の共通事項は多々あり、境涯を確かめれば当然に二人は結ぶつけることは可能ですが、修行の意味合いはかなり違いますし、無理して結びつけて論じる必要なのなさそうに見えるのですが、もう少し丁寧に読んでみます。)

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