あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

新しいノートを開く秋の風  あきオジ

2010-10-15 20:12:13 | 日記
六十年踊る夜もなく過ごしけり  一茶

(そうですかね。一茶のようなしたたか生活力をもっていれば、座興に踊りの一つや二つできそうな気がします。それにしても、このような句が出てくると意外な気がします。そして、一茶と言えば「愚痴」ですね。その率直さが受けたのでしょうが、それを品のない歌と評価した人もいたのですね。いつの世にも作者よりも熱心な解説者がいるものです。)

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「めがね」を見ました。
お気に入りの映画です。
タイトルの「眼鏡」に意味はなく
出演者がみな眼鏡をかけている。
それだけのことです。
「たそがれる」という言葉が登場して
いい雰囲気を作っています。
何もしないで
ぼーとしてときを過ごす。
そんな意味合いだと思います。
意味や目的を求めず
与えられることを期待せず
ときを受け入れる。
ちょっと哲学的ですが映画を見ていると
分かるような気がする。
そこが面白い。

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最近、根気がないし
先が見えるようになると
映画も魅力がありませんね。

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一列でコスモス畑を抜けて行き  あきオジ

2010-10-15 20:01:27 | 日記
昭和記念公園のコスモス畑です。
こんな素敵な花なのですが野におくのはふさわしい。
どうしてでしょうかね。

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梅干あざやか飯粒ひかる 山頭火

ひなたまぶしく飯ばかりの飯を  山頭火

(なぜか、山頭火が御飯の句を作ると焚きたての粒だったものが浮かんでくる。このような句は一茶ならあるかもしれません。そのうち探しておきます。でも、山頭火は行乞の人、そんなことあるはずがないのにイメージがつながる。山頭火はそのような矛盾の人だったのかもしれません。)

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楽しい刺激的な一日もいいですが
何となくけだるいけれど悩まされることがない
そんな日が好きですね。

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ショパン生誕150年だそうです。
最近ゆっくりしたテンポの曲が好きですね。
ノクターンとかいろいろ
よくショパンとシューマンのピアノ協奏曲を比べて聞きます。
心地良いですね。

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薔薇咲きし庭をめぐる心地よさ  あきオジ

2010-10-15 19:22:41 | 日記
今日は昭和記念公園のコスモスを楽しみました。
なかなかのもので歓声を上げたい気分でした。

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ひよいと芋が落ちてゐたので芋粥にする  山頭火

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地吹雪を木曽の尻振列車かな  後藤綾子

(このような景色や温度が見える俳句がいいですね。)

駅暖炉入れ替る人亦無口  平井呈一

(新編「折々のうた」を開いていると、面白い句にぶつかります。ぼちぼち拾い読みを始めました。鑑賞記録と言うより、この句と解説に眼を通しましたというメモのつもりで取りあげようと思っています。)

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ありがたしコスモス畑の夕陽かな  あきオジ

2010-10-15 07:23:40 | 日記
素人の怖さは自分で作った俳句の多くは現実味がなくて
嘘っぽい
そして、いかにも指を折ってつくりましたという感じだけしかなく
表現技術がないのでことばにしたとき「噛んで」しまいます。
まあ、いいか

ときどき、「これって本当に自分で作ったの?」と感動することもあるのだから。

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茶の木にかこまれてそこはかとないくらし  山頭火

(こんなおだやかで淡々とした句は珍しい。こんな平凡でありきたりの言葉を使った句がいいですね。山頭火には茶の木をとりあげた句が多いですね。そんな環境にいたのでしょうかね。自然が句を育てるのですね。)

あの山のコスモス越えれば寒さだけ  あきオジ

2010-10-15 07:03:54 | 日記
昭和記念公園のコスモスの丘
スケールが大きいですね。

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寝る外に分別はなし花木槿  一茶

(最近、あれこれの解説を読んでいると一茶の人気とは逆に俳諧師として評価しない。そんな評論家が多いですね。芭蕉の品格や蕪村の耽美的な世界とは次元が違う。あるいは「追いかけても届かない」わたりやすく言えば「品格が違う」「美意識がない」ということになりそうです。ということは俳句の世界には、登るべき山は一つしかないという共通理解があるのですね。それでもいいし、そんなこと関係ないと思いつつも、ちょっと違うかなと言いたくなります。)

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同じ景色を見ていても借金の返済を気にしている人
明日の仕事の段取りが気になる人
いつ死んでもいいと思っている人
それぞれの景色の見え方がある。

だから、自分が自分の見方をさらけ出す。
それしかない。

何をどうしようとか
感じてもらいたいなど思わない。

ただ、ときおりお立ち寄りくださいとご案内するだけ。

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「めがね」を見ました。
なんとなく好きで、繰り返し見る映画の一つです。
どうして、物語などないこのような映画が好きなのでしょうか。

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悲しくもなけれど止まぬ蝉の聲  あきオジ

2010-10-15 06:52:32 | 日記
閻王の口や牡丹を吐かんとす  蕪村

(この絵柄の大胆さなどは、圧倒的ですね。これが私の好きな俳句の一つです。この絵柄は芭蕉でも思いつかないし、これこそ蕪村ですね。素材を組み合わせて、その効果を最大限に表現するのが蕪村ですね。素人の私には、このような表現は真似できないけれど魅力的ですね。表現の誘惑なのでしょうか。)

地車のとどろとひびく牡丹かな 蕪村

虹を吐いてひらかんとす牡丹哉  蕪村

(これらの牡丹もいいですね。写生などという限定的でいじけた表現をぶち壊しているような大胆さがいいですね。このような句がなかったら、きっと、俳句などふりむきもしなかったでしょうね。そんな句です。)

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きっと、俳句は自分にとっての宝物を探し当てる遊びゲームのような面白さなのですね。

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